「トリムラン」のこと、青森の平井堅のこと

お盆に帰省した時に成田本店で目にして買った『めご太郎』という手作り感覚の青森市ガイド。
いろいろ発見があったんだけど、
一番「へー!」「そうだったんだ!?」となったのが、青森市は実はソース焼きそばの町なのだと。
四角くて極太の「角打麺」が特徴で原田製麺、大谷製麺が2大メーカー。
僕は全然知らなかったんだけど
「しおや」「しょう太」「すずき」「後藤食堂」「小鹿焼きそば店」といった店が紹介されていた。
そうか、あの四角いモチモチした麺はもしかして青森の隠れた名物だったのか……
 
……ということを思い出したのは、昨日高校の演劇部のことを書いたから。
学校の裏に「トリムラン」という弁当屋があって、ここの焼きそばが僕ら世代の思い出の味。
いつでも誰でも食べられるわけではない。
昼休み、学校の外に出て食べることは校則で禁じられていた。
なのでちょっと悪ぶってる奴らだけが食べに行く。学食なんて行けっかよ、みたいな。
ある日連れてってもらう機会があったんだけど間の悪いことに後者の外に出た途端、
「こらっ おまえらどこさ行くんだ!?」と先生に見つかってしまった。
夕方のホームルームで「報告あったぞ。行ったの誰だ? 手ぇ上げろ」ってことになり……
 
その頃の学校はまだ週休二日制ではなく、土曜は午前まで。
時々友人たちと自転車に乗って遠出して食べて帰った。
「じゃあトリムラン行くか」となって一度だけ入った。
でもそんなときに食べてもドキドキワクワクはしないわけで。
いたって普通の焼きそばを普通に食べて帰ってきた。
小中大、特大とあって小は100円ぐらいだったように思う。
特大が330円で50円の目玉焼きを乗せても380円。とても安かった。
こういう店って全国どこの高校にもあるんじゃないか。
探せばホームページがまだ出てくるので、店は健在なのかもしれない。
今も高校生たちは食べているのだろうか。
 
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おまけ。先週青森帰ったときのこと。
 
青森駅前の「A-FACTORY」におしゃれなハンバーガー屋があって、
そこに平井堅似のイケメンな男性が働いていた。
50代手前ぐらいか、白髪交じりで他の店員は女性ばかり。異彩を放っていた。
それが3年前の正月。
「A-FACTORY」を訪れる度に「平井堅いるかな」と妻と言いあって、いるねとかいないとか。
 
この前お盆に帰ってきたとき、「このところ見かけないね」となる。
「A-FACTORY」はJR東日本の運営なので、彼は実は青森に流されてきた鉄道マンで
3年のお勤めを終えて東京に戻ったんじゃないか。
妻とはそんな結論になった。
 
先週帰ったとき、昼は青森駅前に出てあちこちでラーメンを食べた。
本町を経由して新町へ。
小さい頃通った幼稚園が今、教会になっている前を懐かしくて必ず通る。
本町は飲み屋街でその中に内装工事中の店があった。
業者が働いている側で毎日、通りがかる友人と楽し気に話し込んでいる男性がいる。
どこかで見かけたことあるなあ、と思う。
 
ずっとモヤモヤしたまま東京に戻って来て、ハタと気付く。
「あ、平井堅だ」
そうか、夢を叶えて独立したんだな。あの風情はオーナーだよな。
内装工事の始まったばっかりで喫茶店なのかレストランなのかスナックなのか全くわからず。
正月帰ったときにはオープンしているだろうか。入ってみようかな。

「どんなときも。」

ときどき無性に槇原敬之が聞きたくなる。
CMや旅番組で「遠く遠く」のカバーが使われているのを聞いたとき、
この人は普遍的にいい曲を書くな、と思う。
初期のベストを中古で安く買って、iPhone に入れた。
 
「どんなときも。」を聞くと切ない気持ちになる。
いろんなことを思い出す。
1991年、高校2年生のときのヒット曲だった。
 
高校時代の多くの時間を演劇部の部室で過ごした。
ヤンキーでもないはみ出し者の集まりだった。
中心人物の女の子が全国大会に出ようという目的を掲げたとき、
僕らは何かに導かれるようにして一人一人また仲間に加わっていった。
 
全国大会に出るには東北地方予選で勝つ必要があり、
東北地方大予選に出るには青森県の予選で勝たなかればならなかった。
枠はふたつ。
全国大会常連の八戸北高校は今回も余裕で勝ち上がるだろう。
実際、完成度が別格過ぎた。
もう一校の常連校は弘前の女子高、聖愛。
ここならなんとかなるんじゃないか。
「打倒聖愛」を抱えて夜な夜な後者の片隅で練習を続けた。
青森市の大会で絶賛され、県大会へ。
聖愛の舞台が終わり、自分たちも力を出し切った。
これは勝った、と皆が確信した。
 
そこに思わぬダークホースが現れた。
確か八戸の定時制の工業高校だった。
出演するのは男子生徒3人だけ。
ジャングルジムが置かれ、夕暮れという設定だった。
その3人が日々の暮らしに嫌気がさすが、明日への希望を取り戻す。
そんな内容だったと思う。たいしたことはない。
なのに、キラキラと輝いていた。何もかもが輝いていた。
奇跡とはこういうものなのか。
実際、その後上京してあちこちでいろんな劇団を見たけど、
この時目にしたもの以上に感動した舞台はない。
 
部員たちだけでつくったものではなく、
演劇のできる先生がその年からついたのかもしれない。
(僕らは脚本も演出もその中心人物の女の子が担っていた)
だとしたら、その先生と生徒たちの結びつきそのものが奇跡だった。
 
その要所要所で「どんなときも。」が流れた。
ただ単にその時のヒット曲だから選ばれただけだろう。
だけど役者の演技とストーリーにぴったりとはまっていた。
ありもののの曲をここまで合わせられるのか、という点でも
僕にとってその後この時の体験以上のものはなかった。
そのサビにあるように、
どんなときであれ僕らは僕ららしく生きることが大切なのだと
力強いメッセージを語っていた。
 
負けた、と思った。
予想通り、八戸北高校とその定時制の工業高校とが予選を勝ち抜いた。
悔しくてホールの廊下で皆、押し黙り、何人かが泣いた。
 
その後この2校がどうなったか記憶にないし、
今はどの高校が強いのかという勢力地図はがらったと変わってしまっているはず。
畑澤先生が指導して全国大会の常連となった弘前中央や青森中央であるとか。
 
このときの思い出と一緒になっているので、
「どんなときも。」は僕の中で永遠にキラキラしている。
一生に一度出会うかどうかの曲。

夏休み最終日

早いもので夏休み、9連休も最終日。
今朝もみみたが横で添い寝。すぴーすぴーと。
昨日、一昨日と疲れが出てたので10時までダラダラと寝る。
『小さな村の物語 イタリア』を見ながら扇風機にたまった埃を取る。
 
『Lazy Sunday』を聞きながら常備菜を。
切り干し大根の煮物とレンコンのきんぴら。
昼は蕎麦を茹でる。ラー油をたっぷりかけてみた。
 
編集学校の後輩と、寿司を食べに行くことになっていたと
メッセンジャーでやりとりをする。
中野にいい寿司屋があるとのこと。
 
昨日の集まりで話題に出た来年5月の青森旅行をちょっと考えてみる。
1日目、新幹線で移動、三内丸山遺跡、県立美術館、ワラッセ青森駅前に宿泊。
2日目、弘前駅に特急で移動、弘前城へ、新青森駅に戻って新幹線で東京に戻る。
新幹線、ホテルは旅行会社で取ろうかと。
ゴールデンウィークが望ましいんだけどホテルがどれぐらい高くなるか。
青森市内は「ねぶたん号」で移動を考えたものの混雑して乗れないんじゃないか。
青森駅前で10人近く入れる個室となると予約が取りにくいんじゃないか。
荷物は持って移動することになるか。新青森駅が案外コインロッカー少ないんですよね。
案外あれこれ細々と難しそう。
 
『Lazy Sunday』が終わって、ライフに買い物。
帰ってきてブロッコリーを茹で、ほうれん草を茹で、
明日の弁当用に鯖を焼き、ミックスベジタブルとベーコンのスクランブルエッグ。
 
ラグビーのワールドカップ笑点はなし。
世界遺産を見ようとしたら庭で水やりしていた妻が悲鳴を。
大きな蛾が入ってきたと。
30分ほどかけてようやく窓の外に出す。
 
モヤモヤさまぁ~ず2は他局のラグビーフィーヴァーをよそに2時間半のスペシャル。
さすがテレ東。
小田原、横浜、箱根と回る。
最近は日曜の夜、このゆるさが心地よく1時間半では物足りないと思っていたところにこの尺。
毎回スペシャルでいいなあ。
 
終わってチャンネルを変えると高田純次のはしご酒。渋谷を回る。
頂き物の冷や汁を妻が作ってくれる。おいしいですね。〆にちょうどいい。
でもここで〆とはせず、またしばらくチビチビと飲む。
Song To Soul やってたら見て寝るか。
明日からまた仕事……
 

品川、神楽坂

昨晩はチコちゃんがなく、ワールドカップバレー女子を見た。
ラグビーの陰に隠れていて実はやってたんですね。
というか、ついこの間も見たような。毎年やってるのか。
新日本風土記は松山。猫歩きはバスク地方
おんな酒場放浪記。この辺りからチョイチョイ寝落ち。
頑張ってタモリ倶楽部を見て寝る。
 
明け方目を覚ますと横にみみたが寄り添っている。
腕を伸ばすと、腕枕にピトっとくっついて寝ている。
不思議なもので、日中妻の足の間に収まりはしても僕の足の間には入らず。
夜中僕の腕枕に収まりはしても妻の腕には近づかず。
 
8時半まで寝て、『大草原の小さな家』を見て洗濯物を干して家を出る。
12時から編集学校の以前担当した教室の集まり。品川のスペインバル。
神楽坂のブラジル・アルゼンチン音楽の専門店「大洋レコード」の存在を知って
これはぜひ行ってみよう、集まりの前に、と思っていたのだが、
改めて場所を確認しようとサイトを探したらオープンが12時からだった。
大江戸線を大門まで直行することにする。
 
その間嵐山光三郎『温泉旅行記』の続きを読む。
紀伊勝浦のホテル浦島、熊野本宮の冨士屋など
行ったことのある温泉が出てくるのが嬉しいというだけではなく、
この本は温泉、旅の視点から見た稀代の日本近現代文学史でもあった。
若い頃に担当編集者だったこともあって
山口瞳檀一雄深沢七郎らの思い出が軽妙洒脱に語られる。
人柄なのかつまらない人に出会わない。
有名であれ無名であれ魅力的な人ばかりが登場して、飽きない。
夏休みを締めくくる素晴らしい一冊と出会えた。
 
品川に早く着きすぎて e-cute を覗きつつ、
インターシティに移動してサンマルクカフェでさらに続きを。
12時前に店に移動。
2時間半ぐらいいたかな。飲み放題のサングリアをグイグイ飲みながら
皆の近況を話し、語らいあった。
来年青森旅行に行きたいという話になった。
インターシティでもう一軒入って白ワインを飲みながら2次会。
大人の集まりだったのでこの日はそこまで。
やけに盛り上がってるなと思っていたら帰りの大江戸線で号外が。
日本はアイルランドに買ったとのこと。
 
東京駅から東西線に乗って神楽坂で下りて「大洋レコード」を探す。
こじんまりとした店にCDが並んでいた。
これはやばい…
見るものみんな買ってしまいそう。
おすすめのCDのひとつひとつに店の方が詳細な解説を書いて貼っている。
廃盤で入手困難だった Florencia Ruiz『correr』の在庫があった。
彼女の日本公演行きましたか、という話になる。
店の中でかかっていた女性ヴォーカルとギターだけの
Duo Vieira 『Perolas Para Jobim』というジョビン作品集がよかったので買った。
 
飯田橋まで出て、職場のオフィスビルに届いたコンビニ受け取りの中古CDを。
ふと聞きたくなって槇原敬之の初期ベストを。
明後日は出社か……、見るとフロアによっては明かりがついている。
 
帰りの大江戸線で『温泉旅行記』を読み終える。
帰ってきて暗くなっている。
庭の水やり、洗濯物の取り込み。
ブラタモリ』は比叡山の後編。
妻が茹でてくれていた枝豆の残りで缶ビール。
青森に行っていた間の新聞をまとめて読む。
『お笑い向上委員会』を見て寝る予定。

青森へ その5

昨晩はいいちこの水割りを飲みながら
ちくま文庫から出ている嵐山光三郎『温泉旅行記』を読み始め、
疲れてくると『私たちが熱狂した80年代ジャパニーズロック』というムックの続きを。
23時半には寝たか。
 
この日も何度か夜中目が覚めてトイレに行って、
母は眠れないのか低い音でラジオを聴いている。
7時半に起きてカレーの残り。
千切りキャベツ、トマト、ブロッコリー、パプリカのサラダ。
ハム、茹で卵。
『こころ旅』の15分版、『なつぞら』は最終回の一つ手前。
 
食べ終えて家中に掃除機をかけて、部屋の拭き掃除。
母が僕が使っていた敷布団を干すというので手伝う。
僕が家を出る頃ひっくり返す。
あさイチ』に松重豊が出ていて、途中まで見て母はラジオへ。
高橋源一郎が出ていて、1964年のオリンピックの時、
当時の文士が寄せた文章を集めた本を紹介していた。
グラス一杯に氷を入れた水と、コーヒーを飲んで家を出る。
9時45分頃。
 
新青森駅までちょうどいい時間のバスがなく、着いても2時間待ち。
それも困るとバスはやめて青森駅まで歩いて電車に乗って行くことにする。
昨日同様、本町から新町へ。
小さい頃通った幼稚園が今、教会となっているのを通り過ぎる。
この日は暑く、青森銀行本店の温度計が26℃となっていた。
 
10時40分。奥羽本線、秋田行き。
青森駅の駅舎は今年12月25日に60周年を迎えるとあちこちにポスターやお祝いの花が。
新青森駅に着いて先日妻が試しに買っておいしいと言っていた入り豆を買う。
あと、海峡するめも。
大きいのと小さいのをそれぞれ買って、小さいのは新幹線の中でつまみにする。
みみたへのお土産には猫用のわかさぎトバ。
 
新幹線の中では「八甲田おろし」と宝焼酎のチューハイと。
『温泉旅行記』と 『私たちが熱狂した80年代ジャパニーズロック』を読む。
平日だからガラガラかと思いきや、結構混んでいる。
隣に誰も来なかったら窓側に座るつもりでいたが、
八戸から盛岡まで、盛岡から上野まで入れ替わりで男性客が座った。
 
新幹線は予定通り着いたが、中央線が車両点検か何かでしばらく止まった。
その間うたた寝
新宿で下りて、DiskUnion とタワレコで取り置きのCDを。
大江戸線に乗る。
光が丘に着く。東京は思っていた以上に蒸し暑かった。
 
17時半前。
家に着いてゴミ収集のネットを片付け、庭に水を撒く。洗濯物を取り込む。
荷物を片付け、母に電話する。
次は正月かね、という話になる。
みみたは布団干し器のハンモックで寝てて、僕が近づくとタンと下りてきてスリスリ。
調子の悪かった給餌器は僕のいない間無事に動いていたようだ。よかった。
18時になってカリカリが出た。
お土産のわかさぎトバを一本、千切って皿へ。
昼間のみ過ぎたと妻が冷蔵庫に用意していた麦茶を飲む。
 
このあとチコちゃん、新日本風土記、猫歩きなど。
夏休み終盤戦に向けていつもの生活に戻っていく。
The BeatlesAbbey Road』の50周年記念盤の発売日が今日。
さっそく聞いた。

青森へ その4

7時半起き。寝てて何度か目を覚ました。
日中寒かっただけに明け方かなり冷えた。
しかし起きると快晴で陽射しが射しこむ。
昼間暑くなりそうだった。
 
なつぞら』を見ながら朝食。
カレー。茹でたソーセージ。ゆで卵。ブロッコリー。トマト。
一昨日・昨日とずっと本を読んでいたので、この日は県立美術館へ。
青森駅まで歩いてバスに乗る。
8時半に家を出る。スーツを着て会社に向かう人たちをチラホラ見かける。
青森銀行本店前の気温はこの時間で23℃だった。
昨日は11時半で21℃。やはり上がってる。
 
本町から新町と歩いて駅前へ。
目の前でバスが行ってしまう……
あれ、と思うが平日・休日の時刻表を間違えていた。
とりあえず次に来た新青森駅経由の西武営業所行きに乗る。
新町をぐるっと回って古川に出て跨線橋を渡り、その先の石江の橋を。
この辺から歩くといいだろうかと下りたところが奇しくも
小学校の頃に通ったヤクルトのスイミングスクール前。懐かしい。
30年を経て色褪せてもまだ健在だった。
 
雲一つない晴天の下を20分ほど歩いた。
石江の商店街は高校の帰り道、自転車で何度か通ったことあったはずだが、
新しくできたのか道路が広くなっていて記憶と違っていた。
というかこの辺りは義弟が新青森駅まで迎えに来てくれたときに何度か通ったな。
 
美術館に着く。
三内丸山遺跡の隣りということもあって緑の公園が広がっている。
虫が鳴いている。
真っ白い建物の中に入る。
だいぶ老朽化が進んでるけど、居心地のよい場所であることは変わらず。
 
さっそく、アレコホールへ。
ビルで言えば4階ぐらいはあるだろうか。
広い空間の壁4面それぞれに
シャガールが手掛けたバレエ作品『アレコ』全4幕が架けられている。
そのひとつひとつが縦9m、横15mだというからとてつもなく大きい。
県立美術館ではそのうち1、2、4幕を所蔵。
3幕を所蔵していたフィラデルフィア美術館が改築により長期貸出してくれることになって、
全部が揃った。2021年3月頃までとのこと。
シャガールらしい幻想的なモチーフで描かれる愛の誕生とその喪失。
平日午前中の美術館は人も少なく、心ゆくまで眺めることができた。
 
企画展は入れ替え中で、この日は常設展のみ。
尼崎市のコレクションからはるばる青森に来た白髪一雄という方の描いた
大阪の素朴な水彩画となぜか急に方向転換してフットペインティング。
村上善男という注射器の針と弘前の古い町並みの地図をモチーフにした前衛的な画家の
蒐集したコレクション。岡本太郎ジャスパー・ジョーンズマルセル・デュシャンがあった。
メル・ラモス、ホアン・ヘノヴェスという画家がよかった。
そして成田亨ウルトラマンの怪獣の原画と鬼の彫像と。ケムール人の立像もあった。
ガラモン、レッドキングシーボーズ。単なる原画ではなく、人類普遍の哀しみを湛えている。
残念ながらこの日は沢田教一や阿部合成の展示はなし。
 
10時半からアレコホールで4つの幕に照明をほどこしながら
バレエ作品4幕を解説するというイベントがあって、
ホール真ん中の椅子に座って鑑賞する。
どこかの中学校が授業の一環なのかちょうど大勢で入ってきた。
『アレコ』がどういう内容なのか、実はよく知らなかった。
男女の出会いと別れを描いた、やはり切ないものだった。
 
一度外に出て迷路のように階段を上り下りして
奈良美智の「あおもり犬」を設置しているスペースに出る。
皆記念撮影している。僕も近づいた。
冬はこの通路閉鎖されているので屋内からガラス越しに見るのみ。
初めて至近距離から眺めた。触れた。
その白い身体にはバッタが貼り付いていた。
 
リンゴとたわむれる猫の写真のポストカードを買う。
外の八角堂というところに奈良美智が新しくつくった彫像が展示されているというので
見に行くが、遠くからてっぺんが見えるのみ。
どこから近づくのだろうと迷っていたら中国人と思われる観光客の方が
身振り手振りで行き方を教えてくれた。
 
市営バスで戻るつもりで少し早くバス停に着いたら何人か先に待ってる人たちがいて、
小型観光バスの「ねぶたん号」が来た。せっかくなのでそっちに乗ってみる。
青森駅行き。いくつか観光地を回ることになっていて、次の停留所は新青森駅
津軽海峡フェリーターミナル、あおもり北のまほろば歴史館、アスパムと回る。
来るときは石江から南にまっすぐ伸びる道路を歩いたけど、
新青森駅からこの道に戻って来て逆にまっすぐ北へ行って道なりに進むと
フェリーふ頭なんですよね。そこから海沿いに進んでベイブリッジを渡って、という。
ぐるっと回って無駄がない。よく考えたコースだな、と思う。
フェリーふ頭はかつて住んでいた油川の家からも近く、
思いがけなく懐かしいショートトリップとなった。
 
青森駅前で下りてワラッセで土曜に会う方たちへのお土産を買う。
軽くてかさばらないものを探したら青森ヒバの栞があった。
A-FACTORYで留守番の妻へのお土産に秋限定の「じょっぱり」、弘前城を描いたシードル、
アカシアの蜂蜜の瓶詰。全部割れ物だったのでその場で宅急便にして送る。
 
ニコニコ通りを歩いて古川の「つじ田製麺所」で昼のラーメンを食べる。
荒煮干しのバラ肉チャーシューにゆで卵を追加。
平日だからか高校生が多かった。午前中だけなのだろうか。中間テスト期間?
 
歩いて帰る。今日もまた母から頼まれた塩飴を探すが見つからず。
家を過ぎてさらに棟方志功記念館の方まで行くが…
陽射しのある中を歩いて喉が渇く。家の近くの酒屋で缶のハイボールを買った。
家に着いて14時。これまでに読み終えた本ともらった鯖缶
コンビーフを段ボールに詰めて宅急便で送る。そのための荷造りをする。
 
あとは家でゆっくりすごす。
青森の水で作った氷でハイボールを飲みつつ、音楽を聞きながら、
熊本上通の「汽水社」で買った村瀬秀信『止めたバットでツーベース』を読む。
窓を開けると風が入ってくる。
 
夜はカレー。茄子とササギの味噌炒め。焼売。『こころ旅』を見ながら食べる。
部屋に戻っていいちこの水割り。飲みすぎだと母が心配する。
『止めたバットでツーボール』をイッキに読み終える。
この方のことは知らなかったが、副題に「村瀬秀信 野球短編自選集」とある。
ライターのようだが、野球以外のことも書いているのだろう。
「君は近藤唯之を知っているか」「ヤクルト芸術家」「ジントシオ」といった作品には
プロ野球の周辺で強烈な人生を送っている人を描き、
「鉄砲玉のゆくえ」「小さな村の甲子園、ふたたび」「PLチャーハン」では
スター選手、強豪校ではない、だけど一生懸命の人生を言葉にする。
プロ野球ってスポーツである前に選手やファンの生き様なんだよな。
素晴らしい一冊だった。
だけどこの本、著者のサイン入りで読まれた形跡がない。
誰がそんなもったいないことをしたのか。
 
この後もう一冊何かを読んで23時には寝るか。
The PoliceTodd Rundgren の10代の頃から何度も聞き返したアルバムをかけて、
ようやく実家に帰ってきたなという気持ちになる。
だけどそれが東京に戻る前日の夜。

青森へ その3

仕事の夢を見る。
また悩ましい課題が出てきて…、という。
メモっとかなきゃと夢の中で evernote に書く。
仕事から離れたくて休みを取っているはずなのに、仕事のことばかり考える。
このツケは後から絶対来るだろうというのをのらりくらりやってきて、どこで捕まるか。
怖くてたまらない。かといって、……
 
7時半起き。
朝は昨晩のカレー。『なつぞら』に大泉洋が出ていた。
この日は掃除機ではなくカーペットにコロコロをかけて、
フローリングにはクイックルワイパー。
午前中は『やぎ少年ジャイルズ』の下巻を100ページまで。
 
今日もまた散歩。母に頼まれて先日コンビニで買ったという塩飴を探すが、見つからず。
行き帰りで10軒近いコンビニ・ドラッグストアに入るが見当たらない。
もうひとつ頼まれた、本町の仏具の店で洗浄液を買う。
青森銀行本店前で時刻と気温が表示されていて21℃。昨日より涼しい。
東京と違って青森では恐らくとっくの昔に蝉の鳴き声はなく、あちこちにトンボの姿が。
 
そのまま人通りのない本町を歩いて、「まるかい」へ。
何年振りだろう。小学校のとき依頼??
近所に1個上のお兄さんが住んでいて小さいときはよく一緒に遊んだ。
そのお父さんにジャスコとかよくあちこち連れて行ってもらった。
それで一度訪れたのはよく覚えている。
中学校に入る頃から一緒に遊ぶことはなくなって、それっきり。よくある話。
高校のときにも一度同級生たちと行ったような行かないような。
近くに青森ボウルもあるし。
青森ボウル今もあるんですね。驚いた。
 
30年以上昔の記憶にある「まるかい」は町の定食屋のような風情で
おばちゃんたちがラーメンを運んできて、
指が入ってるだの入ってないだのがよくネタにされていたけど
建て替えて新しくなって、店員も男性ばかり。
ここで修業している方たちなのだろうか。
中が600円で大が650円。安い。あとは100円のおにぎりだけ。
大にした。トレイに4つぐらいいっきに運んですぐ出てくる。
あっさ入りしたスープにチャーシュー、メンマ、ネギだけ。
大は2玉なのか。けっこうな分量だった。
煮干し出汁だけど酸味は他の店ほどきつくない。昔懐かしい味。
 
青森でラーメンというとひと昔前は味噌カレー牛乳か、ここ「まるかい」か。
どちらもいまだ人気が高い。
「まるかい」も11時半に訪れて駐車場はいっぱい。
タクシーやトラックの運転手、近くの工務店で働いてるのか揃いの制服の人たち。
そして決まって白いYシャツの年配の会社員。皆常連っぽい雰囲気を醸し出している。
観光客は少ない。
正月に帰るたびにに来てみるけど、年末年始はしまってるんですよね。
ようやく入ることができた。
 
帰ってきて午後はずっと『やぎ少年ジャイルズ』の続きを読む。
途中、母に頼まれて近くのドラッグストアへ米を買いに行く。
夜はカレー。ササギの卵炒め。冷凍の焼売など。
今晩も母の洗った食器を拭く。
 
夜、ようやく読み終える。
いやー、ラブレー的ごった煮の怪作・奇作だった。
物語的本流はそれなりに力強いのに
その中を流れる想像力はその割に若干狭いような。
トマス・ピンチョンと比較してしまうからか。
しかしこれはこれで20世紀アメリカ文学に爪痕を残す大作だろう。
2段組みで上下750ページを2日で読んでへとへとになる。
 
この後は中山泰樹『ディランを聴け!!』と
ピーター・バラカン『わが青春のサウンドトラック』を読んで寝る予定。