奥多摩へ(前篇)

この土日は奥多摩の小さな温泉宿へ。
行けるときに行っておくかと前々からこの時期にしてたんだけど、
明日、日曜から東京都に何度目かの緊急事態宣言が出るというタイミングで。
滑り込んで無理やり遊んでいるようで、どこか心苦しい。
 
元々は長野県上田市にある練馬区の保養所に行くつもりだった。
温泉のある少年自然の家みたいなもので、練馬区民だと安く利用できる。
しかし、二週間前か、東京都にもまん延防止措置が取られることになって
県をまたぐ行為に当たるため当面営業休止となってしまった。
キャンセルの電話がかかってきた。致し方なし。
 
同じ東京都だったらいいか、車で移動してひと気のないところだったらいいか、
小さな温泉宿ならばディスタンスも取りやすいかと妻が見つけて、予約し直した。
3室しかない。一時は満室になったが、昨日見たら1室空きが出ていた。
緊急事態宣言のこともあって直前になってキャンセルしたのかもしれない。
宿のサイトを見てみると、このご時世なので
前日までのキャンセルはキャンセル料をいただかないとあった。
旅館業も大変だ。僕ら素人が思っているよりもかなり、大変だ。
 
午前中には奥多摩に着いてブラブラしたい、
クラフトビール醸造所があるみたいなので行ってみたいと思って
一昨日、チェックインの前に駐車場を借りてもいいかと電話してみた。
快くOKをもらえたけど、キャンセルの電話かもしれないと宿側はびくびくしたことだろう。
なんだか申し訳ないことをした。
 
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7時起き。
ペットシッターを頼んでいるのでリビングを中心に家の片付け・掃除をして
洗濯物を干しているうちに10時半。
久しぶりにみみたの給餌器に電源を入れるとさっそくみみたがガシガシする。
ガソリンスタンドでガソリンを足して、
近くのライフで缶ビールや缶チューハイを買い込んでクーラーボックスに入れておく。
練馬インターから所沢方面、西へ西へと飛ばして圏央道を青梅方面に南下。
渋滞となることもなく1時間もしないで青梅で下りる。
 
市街地を抜けると、あとは一本道をひたすら奥多摩へ。
昨年だったか、日原鍾乳洞に行ったのもこの道だったな。
軍畑、沢井、御嶽、川井、古里、鳩ノ巣青梅線に沿って進んでいく。
どんどん山は深くなり渓谷と大きな橋と。
川辺ではキャンプや釣りをしているのが見える。
鳩ノ巣の辺りでトンネルが出てきて、ダムもあった。
13時前。奥多摩駅まですぐだった。
 
宿が駅の近くで、車を停めさせてもらう。
「岡村様」と書かれた札がひとつ下がっているだけ。
どうも今日泊まるのは僕らだけのようだ。貸し切り。
 
歩いて駅前に出る。
小さな飲み屋の集まっている小路を歩いていると奥に
探していたクラフトビールの店があった。
「VERTERE」という。古い民家を改装した店舗。テラス席もある。
満席で少し待つと外のすこし離れた席になった。
キャッシュオンデリバリーで都度カウンターに頼みに行く。
僕らは牛肉のトマト煮込みやカリーブルスト、
チキン・フィッシュ・フレンチフライのフライバスケットを食べて
ビールはカルダモンや胡椒の入ったもの、オーツ麦から造られたものなどを飲んだ。
料理はどれもおいしく、地ビールも味わい豊か。
川の近くで眺めもいい。
飲んでいると時折、近くの木々から実が落ちてきてグラスの中に入った。
 
食べ終えて駅前に出る。
折りたたまれてカバーをかけられた自転車や登山客たち。
広場に出てきたワゴン車ではわさび丼を売っていた。
この辺りはわさびが名産なので明日買って帰りたい、と妻が言う。
先ほどの「VERTERE」のボトル売りの小さな店もあった。
 
観光センターがあったので地図をもらいに行く。
妻が窓口の人に聞くと30分で自然を満喫できるコースというのを
地図にマーキングしてくれた。
その通りに歩いてみる。
すぐ近くに北氷川橋というのがあってその手前から川原に下りることができた。
日原川。水が想像以上にきれいで透き通っていて、見ていると心が洗われる。
釣りをしている人やキャンプをしている親子連れがいた。
整備された小道を歩いていると西洋アカネやシャガが小さな花をつけていた。
 
引き返し、奥氷川神社から氷川小橋という緑に包まれた吊り橋を渡る。
ここで多摩川と合流する。源流に近いとこうもきれいなものなのか!
力強く根を生やした巨木がいくらでもあった。
もうひとつ登計橋という吊り橋を渡り、山間の遊歩道を歩き、
赤く塗られた昭和橋を渡って戻ってきた。
水がきれいなので昭和橋の赤が水面に映っている。
周りを歩いているのはトレッキングを終えて帰ってきた人たちばかり。
今度はできれば2泊して、一日かけて近くの山を歩いてみたい。
 
宿へ。チェックイン。
開いている他の部屋は会議や休憩などで使われているだけで
やはり泊まっているのは僕らだけのようだ。
まだ明るいうちに温泉に入って、夕食までをゆっくり過ごす。

混乱が続く

明日・明後日は奥多摩の小さな温泉宿へ。
前から予定はしていたんだけど
ここに来て急に東京に緊急事態宣言が出そうというところで
ギリギリ駆け込んでる感が出てきてしまって、なんとも心苦しい。
まん延防止等重点措置も適用されているし、本来なら行くべきではないのだろう。
とはいえ、車で移動してひと気がそんなにないと思われる
(いや、みんながそう思って人手がむしろ多い?)
奥多摩に出かけ、行った先では手洗いうがい、消毒をいつも通り欠かさず、
人の多いところには近寄らない、宿も個室で食べて温泉に入るだけ。
 
どこからいけないことなのか、というのがよくわからない。
誰もが今、そうだろう。
それぞれの基準で持って、街で見かけた、ネットで見聞きした出来事に対して、
「あんな人がいる」と怒ったり、あきれたりしている。
 
例えば、最近、夜、街で複数人で歩きながら
缶ビールや缶チューハイを飲んでいる人たちが増えたように思う。
顎にマスクをかけて。
今日床屋で聞いた話では、近くの路上や広場に集まって
夜中酒を飲む若者が増えたと。
なんだかなあと思う人もいるだろうし、
当事者からすれば「それぐらい、たいしたことないだろ」と。
誰しも他人事と思いたい。
なんにしても、このままだと感染者が減るということはない。
地球上の全員が感染するということのない限り。
でも僕も、人のことは言えないだろう。
 
そういえば。
今日の昼、飯田橋のクリニックへ。月一の花粉症の薬をもらう。
予約の時間まで少し間が空いたので先に昼を食べに行った。
在宅勤務になる前はよく通った町中華
先客に大学生のグループがいた。
6人でひとつのテーブルを囲んでいる。
待っている間、女の子が1人ずっと喋っている。
料理が届く。
女の子が食べている間も喋っている。そして言うには、
「ねえ、なんでみんな黙ってるの?
 私、食べてるときに静かなのは好きじゃない」
唖然とした。
ああ、この女の子は今、どういう状況なのかよくわからずに
この1年間生きてきたのか。よく生きてこれたな。
でもこの僕は、この女の子を責められるほど立派な生き方をしているだろうか?
 
緊急事態宣言が出ても影響のあるのは飲食店だけだったり、
それが解除されたり、
まん延防止等重点措置が出てみたりと目まぐるしく状況が変わって
また緊急事態宣言が出る。
飲食店も旅館も皆、対応が大変だ。
いつまで休業します、時短営業しますという貼り紙の日付のとこだけ
紙を貼ったり、書き直したり。
その貼り紙も色あせてしまっている。
 
小さな飲食店ならば休業して給付金をもらうという選択肢もあるが、
肉や野菜の仕入れがなくなるので卸業の経営を圧迫している
というニュースもよく見る。
 
非常事態宣言が出て
日曜か月曜には都内での飲食店での酒類の提供が禁止される。
だとしたら僕なんかはすぐ目と鼻の先の和光市に行けばいいのだろうか。
単に行ける人は周辺の県に行って飲むだけに終わらないか。
一方で飲食店側からすれば
利益の出る酒類の提供を奪われることで今以上の死活問題だろう。
何にしても一都三県連帯で酒類の提供が当面なくなるのか。
 
混乱が続く。
ワクチンも一般人は結局年内は打てないだろう、という話も聞く。
その中でそれぞれが、自己責任の積み重ねで生きていく。
疲弊して麻痺しているのが今、ということか。

カーナビの地図というもの

こんなことがあった。
先週末、納車。
ディーラーの整備工場でさっそくカーナビを立ち上げて、
iPhoneBluetooth 経由でつなぎ、自宅の場所を登録する。
表示してみたらなんと、自宅前の道路が表示されない。
家の周りに道路がないということになっていた。
 
それで自宅登録できないわけではなく、
その後カーナビを使って自宅までルート案内することもできたけど、
なんとなく気分がよくない。
そもそもの地図情報の精度も低いのでは? と思ってしまう。
今の家に引っ越してから3台目となるが、
前の2台のカーナビではこんなことはなかった。
 
指摘したら地図情報って即座に更新されるものだろうか?
まずは自動車メーカーの問い合わせ窓口に電話してみた。
先方もカーナビで実際に表示してみて
確かに該当の箇所に道路がありませんね、ということにはなったものの
できることはカーナビのメーカーに状況を伝えて改善要望を挙げるだけだという。
それはそれでお願いして、電話番号を聞いて僕も自分で聞いてみることにした。
 
カーナビのメーカーの問い合わせ窓口に電話してみる。
しかしなかなかつながらない。
つながっても自動応答のテープが繰り返されるだけ。
金と時間の無駄。
LINEでも問い合わせ可能だというのでそちらを試してみる。
 
状況をまとめて問い合わせ文章を作成して送信する。
数時間後、問い合わせが混雑していて申し訳ありませんというお詫びを添えて
地図作成のメーカーから提供される地図情報に基づいている、
状況を確認するのでお待ちくださいと返信があった。
 
次の日、今日、再度返信があって
確かに該当の箇所に道路があることは確認できたけれども、
地図作成メーカーでは道路に変更があったときのみ
年に一度の地図更新の対象となるので、
該当の道路が最近になって変更された道路でない限り、
次年度の更新対象になる可能性は低いとのこと。
 
僕の家の前の道路は引っ越した時からあって
というかたぶん十数年か二十数年前からあって、
たぶんこの先も何かが変わることもない。
カーナビメーカーの担当の方からは低調なお詫びと共に
地図メーカーには申し伝えるとはあったものの、かなり見込み薄。
 
じゃあ、カーナビを変えればいいのではないか。
自動車メーカー推奨の、カタログにあった純正のカーナビを取り付けたんだけど
2社のうちから選ぶことができた。
これこれこういう理由でと今のを返却して
もう片方の会社の方に変更することも自動車メーカーには要求できるのでは?
 
でも、電話する前にそのもう一社の方も
同じ地図メーカーだったら意味ないよな、と調べてみたら、なんと……、
同じ地図メーカー……
がっくりきた。
 
しかたない。使い続けるしかない。
この道路の先があちこち農地から宅地になったのでそこは地図の更新があるはず。
合わせて、自動車メーカーからカーナビメーカーへ、
カーナビメーカーから地図メーカーへと申し伝えた改善要望が合致すれば……
そこに淡い期待をしている。

初めて食べログで

一昨日、家の東側にある図書館に行ったあと、直接、
西側にあるライフまで土支田通りを歩いていった。
こじんまりと居酒屋やカラオケスナックが固まっている一角がある。
そのうちの一軒は僕らが引っ越してきた頃は流行ってないチェーン店の町中華で、
それがラーメン屋に変わったかと思うと店主の体調不良で長くは続けられず、
昨年の新型コロナウィルスもあって閉店。
最近になって、あれ? 何か別な店になったようだぞ、となんとなく気づいていた。
その店の前に差し掛かる。ランチメニューの看板が出ていた。
牛筋煮込みカレー、牛カルビ丼、ユッケジャンうどん、韓国料理のようだ。
 
気になって昨日昼、入ってみた。
牛筋煮込み定食。自家製コチュジャンで作った自信作だとボードに書いてあった。
確かにこれはおいしい。
割と辛く、日本の居酒屋とは違って韓国料理になるとこうなるのか。
サムギョプサル、チーズタッカルビ、海鮮ミックスチヂミ、
夜のメニューもたくさんあって、リーズナブルな価格設定。
ここはいいかもしれない。すぐ近くだし、また夜、来てみようと思う。
 
でも場所柄、夜は近くのオッサンばかりか。
昼も先客は一人のオッサンばかり3人ほど。まあ僕もオッサンだが……
僕が食べ終わる頃、同じように様子を見に来た若者が
恐る恐る入ってきた。
 
元々小さい店だったので内装はさほど凝ったことはなく、
カウンター席以外はテーブルに丸椅子と
韓国の道端の飲み屋を日本に持ってきたような感じか。
店の名前が隣のカラオケスナックと一時共有しているので、
恐らく何らかの関係があるのだろう。
昼だけかもしれないが、50~60代ぐらいの夫婦が切り盛りしている。
愛想がいいとは言い難いが、寡黙に淡々と料理を出すというのも
僕のようなタイプにとっては好ましい。
 
家に帰ってきて LINE で妻に報告。
食べログにも残しておくかと探してみるが、出てこない。
(僕はコメントは書かず、写真と評価だけ自分のメモとして登録している)
せっかくだからと自分で店を登録してみた。初めてのこと。
店の名前、住所(google マップには登録されていたのでそこから)、
店の位置を地図上で調整してあとは店のジャンルは韓国料理と。
入れられるのはそれぐらいで昼と夜の価格帯ぐらい。
定休日や営業時間帯などは店の壁などに書いてなかったのでよくわからず。
予約可否にカードの利用可否、利用シーンやオープン日なども。
かなりスカスカだが、まあいいか。
 
登録が終わるとメダルがもらえる。
これを集めているという人もいるんだろうな。新店ハンター。
 
いざ登録してみると不思議なもので、
誰かが次に写真やコメントを残さないか、
評価が上がらないかと気になって何度か見てしまう。
関係者でも何でもないのに。
別な方が店の詳細を補足してくれたら、
僕は店が育っていってると目を細めることだろう。
 
これから何度か店にはいくことにはなるだろうけど、
店の人には僕が食べログを登録しましたよとは
恥ずかしいので絶対に言わない。

先週買ったCD #27:2021/04/12-2021/04/18

2021/04/13: ヤフオク
The Smashing Pumpkins 「Earphoria」 \180
 
2021/04/14: www.amazon.co.jp
The Velvet Underground 「Live at Max's Kansas City (Deluxe Edition)」 \2500
 
2021/04/15: diskunion.net
ピンク・レディー 「サマー・ファイア '77」 \3251
篠田昌已 「東京チンドン vol.1」 \3050
Paul & Linda McCartney 「Ram Deluxe Edition」 \3450
(V.A. ON-U Sound) 「Pay It All Back vol.2」 \680
 
2021/04/15: www.amazon.co.jp
Ultravox 「Ha!-Ha!-Ha!」 \399
 
2021/04/16: diskunion.net
大沢誉志幸 「Confusion」 \1500
Lou Reed 「Live In Italy」 \4050
The Waterboys 「The Best of The Waterboys '81-'90」 \480
 
2021/04/17: diskunion.net
Miami Sound Machine 「Eyes Of Innocence」 \3650
Gloria Estefan & Miami Sound Machine 「Let It Loose」 \4650
 
2021/04/17: www.amazon.co.jp
コンポステラ 「歩く人」 \2782
The Waterboys 「Fisherman's Blues Collectors Edition」 \2302
Ana Moura 「Desfado-Reedicao」 \1800
 
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ピンク・レディー 「サマー・ファイア '77」
 
数年前のあるとき、ピンク・レディーを改めてちゃんと聞いてみたくなった。
しかし、新宿のタワレコでベストバルバムを見てみると
2枚組で30曲ぐらい入ったのばかりで。
いえ、そんなにたくさんいらないんだけど……
かえって敷居が高い。
ペッパー警部”とか”UFO”とか代表曲が10曲ばかり入っただけの
入門編みたいなベストアルバムってないもんか。
演歌もそうなんですよね。
八代亜紀都はるみを聞いてみたくなったときも2枚組ばかり。
これを僕は『ピンク・レディー問題』と呼んできた。
(CD買わずに Spotify で聞けよ、って話ですが)
 
そんなわけで僕はピンク・レディーが活動中に発表したのはシングルだけ、
それを目いっぱい集めたベストアルバムがあるだけ、と思い込んでいた。
調べてみたら全然違った。
スタジオアルバムも出しているし、ライヴアルバムはもっとあった。
「チャレンジ・コンサート」(1977/03/31 芝郵便貯金ホール)
「サマー・ファイア '77」(1977/07/26 田園コロシアム
「バイ・バイ・カーニバル」(1977/12/27 日本武道館
アメリカ! アメリカ! アメリカ!」(1978/04/21,22 ラスベガス・トロピカーナホテル)
「'78 ジャンピング・サマー・カーニバル」(1978/07/23 後楽園球場)
「ライブ・イン・武道館」 (1978/12/25 日本武道館
「さよならピンク・レディー」(1981/03/31 後楽園球場)
 
1977年、1978年だけで3作ずつライヴアルバムを収録していた。
大規模なコンサートを行うたびに録音していたんじゃないか。
こんなアーティスト、日本だけじゃなく海外を見ても他に知らない。
ペッパー警部”のデビューが1976年。
人気が爆発してコンサート会場がどんどん大きくなっていく。
その破竹の勢いがそのままパッケージングされている。
 
ちょっとどれか聞いてみたいな、と思うものの
紙ジャケで2006年に再発されて以来それっきりのようだ。
amazon ではどれも5,000円~10,000円ぐらいの価格になっている。
もう15年経つし、また再発すればいいのに。
なんで出し惜しみするんだろうな。
懐メロ世代にしか響かず、意外と売れないんだろうか。
 
DiskUnion で網を張っていたら
ライヴアルバムとしては2作目に当たる
「サマー・ファイア '77」を入手することができた。
1977年7月と言うと”カルメン '77”と”渚のシンドバッド”を出した後で
”ウォンテッド”の前。一番上り調子の頃。
しかもこのライヴアルバムのみ2枚組。
実際のコンサートに近い雰囲気が味わえるんじゃないか。
 
しかし、デビューから1年も経っていないのに2枚分も何を歌うのだろう?
曲目を見てみたら、なんと。大半が洋楽のカバーであった。
Hotel California”や”Johnny Be Good”といったロック
”Dancing Queen”や”Love Potion No.9”といったポップ
”Stop In The Name Of Love”や”Please Mr. Postman”といったモータウンのソウル
しかも、ほとんどの曲が日本語に訳された歌詞で歌われる。
洋楽のヒット曲をカバーして日本でもヒットさせるというのがひとつのスタイルであった
60年代、70年代の名残であろうか。
日本語で歌われる”Hotel California”や”Dancing Queen”があったなんて……
どちらも1976年の曲。取り入れるのが早いですよね。
そこに”ペッパー警部”、”S・O・S”、”渚のシンドバッド”など
それまでのヒット曲が全部挟まる。
牛乳石鹸とナショナルのCMメドレーなんてのも入っている。小芝居付きで。
 
聞いてみる。
ピンク・レディーの存在感と、客席からの最大限の歓声。
ビートルズの「Live At Hollywood Bowl」を思い出した。
ピンク・レディーは前年デビューとは思えないほどの堂々としたステージ運び。
曲の合間のトークも軽快。
今聞いてもこれ十分通用するようなライヴアルバムじゃないか。
当時の日本を切り取った記録としても貴重だと思う。
 
演奏は手練れのベース、ドラムが前面に出てブラスセクションも厚い。
きちんとしている。
だけどこの時代のアルバムによくあるように
誰が演奏しているのか、クレジットは皆無。
そういう時代なんだよなあ。
 
世代ゆえに、どうしても映像として思い出してしまうのは
『8時だヨ! 全員集合』で歌っていた姿。
前半のドリフターズのコントの後。
花びらをループさせたような背景に、フルのバンドがついて。
その前で歌い踊る二人。
幼稚園の頃に見ていたので、とても強烈なインパクトが残っている。
 
80年代初めまでは活動していたけど、
その全盛期は3年ぐらいでしかないんですよね。
燃え尽きてしまったんだろうな。
それもよくわかるような、全力投球のライヴアルバムだった。
 
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篠田昌已 「東京チンドン vol.1」
 
江戸アケミ没後30年を受けての JAGATARA 2020 という形で JAGATARA が昨年復活、
新曲 ”虹色のファンファーレ” のCDを買って、別冊 ele-king の特集も読んだ。
その中で改めて、篠田昌已という演奏家について興味を持った。
じゃがたらの精神的支柱がヴォーカルの江戸アケミであり、
音楽的支柱がギターのOTOとなるが、
それら中心に対する周縁として
じゃがたらの多様性を体現し、存在感の領土を広げていたのが、
ダンサーの南流石であったり、サックスの篠田昌巳であった。
もちろん、この二人が周縁の代表なのではなく、JAGATARAに関わった人皆がそうだが。
 
梅津和時らによるフリージャズのビッグバンド、
生活向上委員会(略して、せいこうい)で演奏を開始。
工藤冬里Maher Shalal Hash Baz と共演したかと思えばチンドン楽団に入ったり、
ハイナー・ゲッベルスやクリス・カトラーによる即興を主体とした前衛的なユニット
Cassiber の来日公演にもゲスト参加していたりと幅広い草の根的な活動を続けて
1992年、34歳の若さで急死。
(「Live in Tokyo 1992」は Cassiber の最後のアルバムとなるが、
 1作目と並ぶ名作だと僕は思う。
 篠田昌已の亡くなる1か月前の演奏だという。
 国賠盤の2枚目は大友良英の Ground-Zero がリミックスを行っている)
 
篠田昌已が死の直前に残したアルバムのひとつが
「東京チンドン vol.1」 だと知って、聞いてみたくなった。
僕が入手したのはリマスターの再発盤となるが、これもなかなか入手が難しかった。
vol.1 ということは第二弾も本当は考えていたのだろう。
実際、ブックレットの冒頭にて彼自身がそのことについて書いていた。
 
篠田昌已が入社した長谷川宣伝社と高田宣伝社の楽師たちによる演奏。
サックスやクラリネットの管楽器が3人と、
上下に鉦と太鼓の並んだチンドンや大太鼓のゴロスという打楽器が3人という編成。
街で見かけるチンドン屋には時々三味線が加わっていることもあるけど、
ここでは加わっていない。
おそらくその方がより正統的な編成なのだと思う。
 
1枚目はスタジオ録音で2枚目は実際に街角を練り歩いた時のフィールド録音となる。
演奏するのは昭和流行歌の”君恋し”や”さざんかの宿”、
元は軍楽マーチと思われる”青島マーチ”、
美空ひばりの”あの丘超えて”や都はるみの”涙の連絡船”など。
ある年代層ならば皆が知っている、口ずさむことのできる歌ということになるか。
2枚目の最後にパチンコ屋の開店口上が聞こえてきたりする。
なんか耳に残る声だなあと思いながら解説を読むと江戸アケミが飛び入り参加したとあった。
 
なんだかとても懐かしい音。
記憶の底、身体の底にあるものに語り掛けてくる。
普段演奏するその通りに録音している。
アレンジしてロックのリズムを加えようとかそんな余計な色気は持たない。
今となっては貴重な記録になったと思う。
探せば、全国のいろんな宣伝社のCDが出ている。
効果音や日本の音風景的な位置づけのものもあるだろう。
しかしここまでストイックに作品に徹したアルバムはないのでは。
 
それにしても。
言葉であれ音楽であれ、時代や地域によってどんどん変わっていくもの。
チンドン楽団の音楽のようにある時代の楽器の編成や演奏スタイル、メロディーが
そのままに保たれ続けるのは稀なケースのでは。
どうしてチンドン屋の音楽はそのようなことになったのか。
時代錯誤感で人目を引こうとしたのか。
民俗学的な研究もあるのではないかと思う。
 
ブックレットの最後にて篠田昌已
チンドンとの出会いを通じて得られた、
音楽とは何かということについてとても深いことを語っていた。
ここに引用するという野暮なことはせず、皆さんどこかで出会って読んでほしいと思う。
ブックレットにはチンドンの歴史的な写真もいっぱいです。
長谷川宣伝社・高田宣伝社の解説も勉強になった。
こんな素晴らしいものを残して亡くなってしまうなんて……
 
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大沢誉志幸 「Confusion」
 
一年早く生まれたか遅く生まれたか。
その地域のテレビ局ではどんな番組をやっていたか。
そんな些細なことで小さいときに出会うアーティストが変わってしまう。
ベスト10やトップ10を見始めた頃、僕も C-C-B 以外の何かを聞こう、
カセットテープを買おう、としたときにレベッカTM NETWORK とで悩んだ。
これが TM NETWORK になっていたら
その後の僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。
 
僕も二年ほど早く生まれていたら
大沢誉志幸をリアルタイムに聞いていたんじゃないか。
カップヌードルのCMで ”そして僕は途方に暮れる” は知っていた。
子供心に強く焼き付いたかっこいい曲だったけど、
落ち着いた切なさがあって、大人の聞くものと思ってしまった。
 
10年ぐらい前か。
「CUP NOODLE CM SONGS COLLECTION」というアルバムを見つけて、
これだよこれ! と。
大沢誉志幸 ”そして僕は途方に暮れる”
HOUND DOG ”ff(フォルティシモ)”
鈴木雅之 ”ガラス越しに消えた夏”
遊佐未森 ”地図をください”
CHAGE and ASKA ”太陽と埃の中で”
など。痒いところに手が届く、なんとも素晴らしいセレクション。
80年代後半から90年代初めに当たるか。
僕が一番テレビを見ていた頃のCMで流れていた曲なので懐かしいし、
このアーティストなら絶対この1曲という究極のところを集めている。
(そもそも、日清のCMは『Hungry?』など広告業界の評価も高い)
遠出するドライブの時には欠かせなかった。
 
差し掛かるたびに ”そして僕は途方に暮れる” が
いかに名曲かを妻と喧々諤々議論することになる。
よく聞くとバックの演奏の隙間が多く、面白いつくりをしている。
シンセがパーカッションのように短い音を連ねて、
あとはリズムを足して、効果音程度に少し上物がかぶさるだけ。
歌詞もあの頃一世を風靡した銀色夏生なんですよね。
 
アルバムとしてはどうだったんだろう、と思って
2013年にソニーから Blu-Spec CD2 で再発された
「Confusion」を中古で買ってみた。
驚いたことに、ベースがトニー・レヴィンでギターがエイドリアン・ブリューだった。
80年代「Discipline」期の King Crimson の! 米国組の二人。
さすがにロバート・フリップビル・ブラッフォードの英国組は参加していないが。
(ちなみにエイドリアン・ブリューは象とか動物の鳴き声を
 ギターで再現する人ということで80年代のCMに出ていたことがある)
 
ジャケットを見ると録音とミックス、マスタリングがニューヨークのスタジオだった。
他のメンバーもニューヨークの凄腕たちなんだろうな。
マスタリングのエンジニアはなんとグレッグ・カルビ。
よく見たらコンピューターのプログラミングに松武秀樹
サックスに Tower Of Power のレニ―・ピケット。
何と豪華なんだろう。今だからこそそのありがたみがわかる。
中学生の頃には絶対わからない。
いや、そういったクレジットに関係なく音の良しあしだけで聞いただろうから、
そちらの方がよいか。
 
オリジナルは1984年。
当時の言い方だと最先端のデジタルな音、ということになるか。
醒めていて、かっちりして、クリアな音。
ミュージシャンたちはバックに徹して自己主張しない。
正直僕は、何回聞いても ”そして僕は途方に暮れる” 以外はかすんでしまう……

身辺雑記:04/12-04/18

04/12(月)
 
夜はみみたがボールを持ってきてしばらく投げた。
どちらかが根負けするまで。
7時起き。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅はようやく新しいシーズンへ。長崎。
福岡からは山陰を省略して北陸・東北へ。北海道がゴール。
当初予定していた熊本はスキップとなり、青森もスキップ。
 
始業前に小説を書く。
昼休み、仕事の後も。難所を一つ越えた。
過去のリサイクルもあるが、68枚まで来た。
何とか今週末にはゴールにたどり着けそうだ。
 
先週末の部会の資料にあった、各事業部の状況を見返す。
住所変更を忘れて期限切れになったクレジットカードの問い合わせ。
自動車保険の車両変更手続きなど。
電話あり、出てみると
再来週末行くつもりだった長野県にある練馬区の宿泊施設。
まん防発令により、越県となるためキャンセルになりますと。
 
昼は蕎麦。夕方ライフへ。
夜は筑前煮を作って豚ロース肉を焼く。
酒場放浪記、逆転人生はASOVIEW
町中華は再放送で上野など。
月曜から夜ふかしを少し見て寝る。
 
---
04/13(火)
 
7時起き。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅は対馬へ。
牛乳を取りに行く。
曇り。明け方雨が降ったのか。
この日、降りそうで降らずで見ると小雨だったり。
 
朝イチで事業部の打ち合わせ。
乗り切るが、今後どうなるか。
午後、問い合わせでやり取り。
やっぱここは手を離れないのか。
 
昼は五木のアルミうどん。この日はすき焼きうどん。
豆腐、ねぎ、玉子、乾燥天ぷら。
 
小説を書く。
68枚から2枚削って78枚になったから12枚書いたことになるか。
 
夜は山安の鯖一夜干しを焼く。大根おろしを摺る。
妻のリクエストでとろろごはん。
昼にライフに行って、大根を買い忘れたことに気づいて夕方もライフへ。
こころ旅とサラメシを見ながら食べる。
鑑定団。落語家のお宝大会で林家木久扇古今亭菊之丞
猫歩きは日光、那須、塩原。
ぼっちキャンプがなかったので23時過ぎに寝る。
 
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04/14(水)
 
7時起き。雨。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅は壱岐の島。
昼、カレーうどん。鶏肉や卵を入れて。
 
午後、前のPJの打ち合わせで
もう少し稼働を割いてほしいという話になる。
4月後半と5月はそこをメインに。
夕方から勉強会。FIWAREについて。
 
夜は納豆ご飯、味噌汁、筑前煮の残り。
こころ旅の録画を見る。
夜になって大雨。
妻が大事にしていた湯呑を流しに落として欠けてしまう。
接着剤でくっつけて応急処置したが、
この際金継ぎをしてみようと。
あれこれ調べて、初心者セットを東急ハンズのサイトで買う。
 
小説はラストスパートへ。92枚となった。
23時過ぎに寝る。
 
熊本地震から五年。
あの夜、青森の母から電話がかかってきて知った。
 
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04/15(木)
 
昨晩みみたが大暴れ。
バファリンの箱を出しっぱなしにしていたのを食べようとしていた。
ワインのコルクの栓を僕の枕元で転がす。
 
7時起き。晴れ。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅は壱岐の続き。
 
始業前に小説。書き終えた。ゴールまで来た。
ちょうど100枚。
前作もそうだけど、ここからのエディットが大変だな……
最後が駆け足になってしまったので
前半部分を少しでも詰めてその分膨らませたい。
 
昼、LIVIN へ。安くなった挽肉や鶏肉を買う。
かき揚げとカニクリームコロッケをご飯に乗せて食べる。
午後、事業部のキックオフ。
事業部長や各部門の部長からの発表。
 
インゲンの胡麻和えを作る。
味噌汁はかき玉。
こころ旅。
ヒロシの迷宮グルメ。
お笑い演芸館VSはオズワルドなど。
妻が帰ってきて、鮭を焼く。青梗菜の炒め物。
23時半過ぎに寝る。
 
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04/16(金)
 
7時起き。曇り。肌寒い。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
こころ旅は壱岐が3日目。
新日本風土記、先週の再放送の冒頭だけ見る。
燃えるゴミの日。
みみたの猫砂を入れ替えて爪とぎボードも新しくする。
 
始業前に小説を読み返す。
仕事が終わってからも手直し。
このセリフは主人公ではなく、別な人にというアイデアを思いついて
ガラッと完成度が上がった。
 
昼はレトルトのカレー。
青空市で買った骨付きチキンカレー。
午後は Power Center 周りの動作確認など。
 
こころ旅、チコちゃん、新日本風土記熊野灘の再放送。
夜は妻がニンニクを豚肉でくるんで揚げたものをつくってくれる。
ライフで買った電子レンジで温めるだけの小芋にバター塩を振る。
つまみになる話はアンタッチャブル伊集院光
おんな酒場放浪記。
明治牛乳のドラマの最後の方を見る。
来週は王林ちゃんが出てねこ車。
 
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04/17(土)
 
昨晩もみみたが大暴れ。
僕が収納ケースのふたを閉め忘れたのか、
てんぷら粉の袋を床に引きずりおろして食い破ろうとしていた。
朝目を覚ますと妻の横で毛布の上、すやすやと眠っている。
8時起き。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
 
新車の納車の日なのに、小雨。
先日の妻のお怒りもあったので
何日が登録証の発行で何日に納車かと営業担当は紙に書いて配った方がいいと
サンプルを作ってみたのをプリントアウトする。
 
11時、ディーラーへ。
説明を聞いて、実際に車に乗って聞いて。
カーナビに自宅を登録したりと僕もあれこれ設定する。
12時過ぎに終わって一度家に。
みみたにカリカリを上げて、乾燥にかけていた洗濯物を取り出す。
 
近くのオートバックスに行って足元のカバーを買って早速取り付ける。
試運転がてら少し遠くで昼を食べるかと国立へ。
これまでの車のカーナビなら石神井公園の北側
のルートになったのが、
別のメーカーのカーナビになって伏見通りを通るルートへ。
やっぱいろいろ変わるんだなと。
 
1時間半ほどで国立へ。
ロージナに入る。15時過ぎでもほぼ満席。
僕はシーフードカレー、妻はビーフドリア。
食べ終えて George's を覗く。野菜の直売コーナーができていた。
駐車場代の足しにするために駅北側の三浦屋で野菜や総菜を買って帰る。
今回はナビの言う通りに従ってみようとしたら
途中でルート変更して荻窪方面へ。
井荻トンネルをくぐって笹目通りで帰ってきた。
すっごい遠回りしたようだけど、渋滞には巻き込まれずスムーズだった。
どうなんだろう。まずは様子見。
これまで通り富士街道石神井公園の辺りを走っていたら渋滞だったのかもしれない。
 
イタリアの再訪編を見る。
夜は三浦屋で買ったピザなど。
映画を見ようと、高倉健主演の『鉄道員
大竹しのぶ広末涼子。いい映画だったなあ。というかずるいな、これ。
お笑い向上委員会、世田谷ベースを見て寝る。
何本も朝までやるらしい。見てたら寝れないと諦める。
午前1時。
 
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04/18(日)
 
8時起き。縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
昨晩大雨だった分、今日は晴れ。しかし風が強い。
街録。イタリアの再放送。
 
妻の湯呑が欠けてしまった件。
金継セットが昨日届いたので試してみるが、
手順書を見ると各工程で乾くまで3・4日~2週間程度待つ必要があって。
え? そんなにかかるものなの?
この日は一番最初の漆を塗るところまで。
塗りすぎると垂れてくるし。
それをウエットティッシュで拭っているとそれが他の個所に付いたり。
なかなか難しい。
 
洗面台にひびが入ったところの補修も行う。
灰色の接着剤と白の接着剤を混ぜ合わせて塗る。
これ、ひびに合わせて細い線になるように塗ったらいいんだろうけど、
付属の小さなコテで塗ったらかなり広がって、指でも広がって。
プロはどのようにやるものなんだろう?
 
Lazy Sunday を聞きながらライフへ。
公園で子供たちが遊んでいる。シャボン玉が飛んでいる。
その奥の体験農園で10人か20人ぐらいが固まって作業していた。
マスクしながらならばよいのか。
 
妻が美容室に出かけて、昼は簡単にカップヌードル
新聞のクロスワードパズルを解く。
Lazy Sunday が終わって文春を読む。
 
16時。妻が帰ってきて、カーナビの地図情報の差分更新を試してみる。
iPhone にダウンロードされたのが382件、190Mぐらいのファイルサイズ。
車のエンジンをかけてカーナビに接続。
瞬殺なのか数時間なのか、どれぐらいかかるものかよくわからず。
Bluetooth だからか一件ずつのろのろと進んでいって、
USBケーブルでつないでも大して変わらず。
家の車庫でアイドリングしたまま待つのもなんだなということになってドライブ。
近場ということで彩湖へ。
夕暮れ時。家族連れがたくさんいた。堤防を上がってみた。
更新がなかなか進まず、カーナビで笑点を見る。
終わる頃家に戻る。着く頃になっても終わりそうになく、公園を一周する。
マリオカートみたいな骨組みだけの車で公園の周りを走っている若者たちがいた。
 
18時半、家に戻ってくる。
孤独のグルメ、途中から見る。東中野アフガニスタン料理。
ナニコレ珍百景を途中から見て、ポツンと一軒家。
夜は少しずつ。アボカドを切る、そら豆を茹でる、
ライフで買ったサーモン刺身とレバーの甘露煮。
国立の三浦屋で一風堂のもやしのタレを見つけて、試してみる。
あの味にならない。色はものすごく真っ赤なのに味もない。
作り方をどこかで間違えているのか。
 
モヤさまは鎌倉。
最後に出てきた足湯カフェは先日ヒロシの迷宮グルメに出ていたところか。
シンパイ賞がなく、CDの開設を読んで過ごした。
 

初めての金継

先週の夜、妻が洗いものをしていたら悲鳴が。
大事にしていた湯呑がツルッと滑って流しに落として、縁が欠けてしまったという。
僕の洗い方が不十分だったから洗い直そうとしたらこうなったという話で……
市販の陶器用接着剤でくっつけたらそれなりにはまったんだけど、
表面がべたべたして接着剤の臭いがするし、
その個所に口をつけて飲むのはやめた方がよさそう。
 
よし、と思い立ってこの機会に金継をやってみようと思い立つ。
しかし調べてみると初心者向けのキットはあるものの結構な値段がする。
1万円弱。安いのか、高いのか。
色々見てみた結果東急ハンズのだったら間違いがないかと。取り寄せてみた。
 
小さめの段ボール箱
漆の入った小瓶が二本、真綿、砥粉、小麦粉、金粉などが小袋に入っていた。
今日の朝、さっそく初めてみた。詳細な手順書も同梱されている。
第一工程:漆固め
第二工程:接合(麦漆接着)
第三工程:
第四工程:刻苧付け
第五工程:錆漆付け
第六工程:錆研ぎ
第七工程:塗り
第八工程:塗りの研ぎ
第九工程:金粉蒔き
第十工程:金粉固め
 
え? こんなに手間がかかるの?
しかも、各工程ごとに乾くまでに3・4日~2週間待つことになっている。
ひー! そんなに時間のかかるものなのか。
今日の午後3時間ぐらいで終わるんじゃないかと勝手に思っていた。
 
とりあえず、まずは第一工程の漆固め。
2種類の小瓶の内、透漆の方を塗る。
とろーっとしたこげ茶色の液体をそーっとかけた縁の周りに塗ってみる。
合わせて、チラシの裏にも塗っておく。
これに綿棒に当ててみて付かないようならば乾いている。
これがどれぐらいで乾くものなのか、そこからして分からない。
接着剤のように数分で? なんて思っていたらそんなわけなかった。
3時間かかってまだ全然乾いてないので
この日はもう次の工程は諦めることにした。
 
基本不器用なので欠けた部分よりもだいぶ広い範囲に漆が広がった。
それを拭き落そうとウエットティッシュでそっと拭う。
それをすぐ捨てればいいんだろうけどもったいないもったいないと
漆のついていない箇所で他のところを拭ってとしているうちに
いつのまにか指や湯呑の全然関係ない箇所にも漆が付いていた。
それで慌ててウエットティッシュをチラシの上に置いたら
乾燥確認用に試し塗りしたところで、
それに気づかずにまた持ち上げて指に付いたりと。
もうしっちゃかめっちゃか。
 
少量だったからか漆でかぶれることはなかったけど、
そのままにするわけにもいかないと説明書きにあったように
サラダ油で手を洗う。
そんな感じで最初の半ページにしてドタバタ。
心の余裕はなくイライラしっぱなし。
始める前は妻に「俺、才能あったらどうしよう」などとほざいていたのに、
最初の五分で「あ、ねーわ」と見切りをつけた。
これは時間とお金をけちらず体験レッスンを受けてからの方がよかったな。
 
とりあえず、明日は漆が渇いているだろうと第4工程へ。
途中の第二・第三工程は割れてるのをくっつける場合なので割愛。
いやー、先が思いやられる……
……湯呑をちゃんと洗っていたらこんなことにはならなかった。