『大地の芸術祭』へ(その4)

4日、日曜のこと。
7時までぐっすり寝る。
なんでこんなに眠れるかというと
夜中みみたにガブガブと起こされないからだな、というのもひとつ。
そのみみたは馴染みのペットシッターさんと存分に遊んだようだ。
 
朝風呂に入って、8時に朝食。
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「やたら朝まんま」
 地場の夏野菜をやたらに細かく刻み、混ぜ合わせた
 里の農家に伝わる夏の滋養・健康食。
「みらい納豆」
 十日町産のさといらず豆(砂糖要らず)。
 日本海笹川流れ”の藻塩で豆の味をお楽しみください。
里山のっぺ(冷製)」
 新潟郷土料理の定番。鮭・干し貝柱・鶏肉
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他、しろめしの友六品など。書ききれず。
夜同様、手間暇かかったものが少しずつ。
ご飯は米櫃がなくなるまで、三杯食べた。食べ過ぎた。
 
最後にもう一度風呂に入って荷物をまとめてチェックアウト。
「みらい納豆」と藻塩を買う。
 
この日は別のエリアへ。十日町市の南、中里エリアにある
清津峡渓谷トンネルにある「Tunnel of Light」を見に行く。
大地の芸術祭』の目玉の一つと言っていいだろう。
途中のガソリンスタンドで入れていく。
東京より安く、なのにセルフではなく窓ガラスも吹いてくれる。
店のラジオが聞こえる。
シンガーソングライターのポニーテールという人がゲストで出ていたようだ。
音楽性を変えにくい名前を付けてしまったなと思う。
この名前ではぐっと大人になってジャズ路線へ、というのはできない。
それに50歳、60歳になってもポニーテールなのか。
 
いくつかトンネル、スノーシェードを抜ける。
スノーシェードというのは山を掘ったのではなく、崖に沿った山道に屋根を付けたものか。
青森ではあんまり見かけないと思う。
10時過ぎに清津峡渓谷トンネルに着く。
第2駐車場に停めて歩いている人たちもいたが、
第1駐車場まで行ってみる。空いていたが、パトカーの隣だった。
切り立った崖の底にきれいな川が流れている。
ここはやはり夏に来るべきだな。
『ペリスコープ』という名のエントランス施設に入る。
1階はコーヒーやソフトクリームを売る店で、2階が足湯になっていた。
 
いざトンネルへ。
入坑料1,000円で、パスポートを持っていると半額になる。
検温をしてリストバンドをもらう。
トンネルは落石事故があってしばらく閉鎖されていたのを、
前回2018年の『大地の芸術祭』の際に中国人の建築家を招いて全面的に改修したという。
全体を潜水艦を見立てて、途中に3つある見晴らし所がある。
ひんやりとしたトンネルを歩く。
最初の方はよく見ると床にカモシカや子熊の足跡が点々としている。
少し行くと休憩所代わりにトンネルの成り立ちや
付近の動植物の解説を行うコーナーがいくつかあって、
抜けるとライトアップの色が変わる。
見晴らし所を抜けるとまた変わる。
冷ややかな青、燃えるような赤紫、生命の営みを思わせる緑。
自然の5大要素(木、土、金属、火、水)をモチーフにしているからか。
見晴らし所から崖を見下ろす。
見上げると地層が斜めにびっしりと積み重なっていて、ブラタモリ的に語ることは多そう。
柱状節理というやつか。
見下ろすと流れの早い川が水しぶきを上げている。
 
奥の『パノラマスケープ』に到着する。
浅い足首までのプールが水盤鏡となって清津峡渓谷の景色が反転して映る。
向こう側に行った人たちはシルエットになって影絵のよう。
裸足になって、サンダルになって、
順番に譲り合って左右の壁のどちらかから奥に行って、思い思いのポーズで写真を撮る。
僕も裸足になった。水が冷たくて気持ち良い。
そしてこの水がとても美しく、純度の高い水だというのを足の裏から味わう。
深い清津峡渓谷の風景も吸い込まれそうになる。
自然の中にアートがあるのか、アートの中に自然があるのか。
その調和の極点のように思った。
機会があれば一生に一度見に行くべき場所だと思う。
引き返すトンネルの色遣いがしっかりと余韻を残す。
 
『ペリスコープ』に戻って足湯に入り、ソフトクリームを食べる。
Brutus Casa の『大地の芸術祭』特集を拾い読む。
近くのインフォメーションセンターで壁に広げた地図を見ていたら
昨日の「農舞台」同様、ボランティアの方が話しかけてきて
この近くでおすすめの場所を聞いたら
少し行ったところにあるキャンプ場の手前にある
『カクラ・クルクル・アット・ツマリ』という作品の展示が本日4日まで、
田んぼの間の道の両端に立てられた竹竿の先に風車があって
風が吹くとカラカラ音を立てるという。
インドネシアのアーティストで、バリ島で見られる風景なのだと。
絶対見たい方がいいですよ、というのでそこに行ってみることにした。

『大地の芸術祭』へ(その3)

土曜の続き。
田んぼの中は蛙が飛び交い、シオカラトンボがふんわりと舞い降りる。
スズメ退治のためなのか猟銃を打つ音が盛んに聞こえる。
 
さらに坂道を下ってだいぶ開けてくる。
空高く伸びた赤いトンボの、『〇△□の塔と赤とんぼ』が目立つ。
この日最も感銘を受けたのは『リバース・シティー』
カメルーン出身のアーティストのようだ。
丸太で組まれた2m四方ぐらいの櫓のようなものから
巨大な色鉛筆が無数に吊り下げられている。
1本は1mかそれ以上あるのではないか。
そこに国の名前が白で書き込まれている。
ニカラグアが赤、スリランカが黄色、セントクリストファー・ネイビスが青。
ロシア連邦ウクライナもあったが、日本は見つけられず。
無着色の、国名のない鉛筆もチラホラ混じっていた。
一見平和の祈りのようでいて、
鉛筆の真下に立って見上げると妻はミサイルが攻めてくるようにも見えたという。
これがアートなんだな、と思う。
明快にして見る者に深く考えさせるコンセプトがある。
比較して日本人アーティストの作品はタイトルも実物もよくわからないものが多かった。
 
イリヤエミリア・カバコフの棚田の前を通って
『農舞台』とは小川一つ隔てた森の中へ。
森の木々を活かしたカラフルな作品がいくつか。
銀色のボディで3種類の弦楽器を模した
『スペース・スリター・オーケストラ』という作品が面白かった。
弦が貼ってあって、押さえて指で弾くと音が出る。
スライドギター用のチューブなんかも添えてあった。
プロのミュージシャンに「演奏」してもらうのもありなんじゃないか。
森の入り口にあった『西洋料理店山猫軒』も、ありがちな内容ながらよかった。
カラフルな色遣いで塗られたドアが10枚ぐらいランダムに立っていて
そのひとつひとつに『注文の多い料理店』の台詞が書かれている。
実際にドアは開けることができる。
次のドア、次のドアと開けていくうちに物語が進んでいく。
 
この時点で16時過ぎ。
足元の悪い中、半日、森や田んぼの中を上ったり下がったりしてさすがに疲れた。
他、このエリアには草間彌生の作品もあって遠くからはその水玉が見えたんだけど、
この日はこれで終わりにする。
松代駅前のコンビニに立ち寄って酒を買って宿に向かう。
農産物直売所や観光案内所も兼ねていて
妻がエチゴビールを何本か買う。
 
宿は松代から少し離れたところにある。田んぼと木々の間を走る。
やがて松之山の温泉郷に出る。
鄙びた、小さな温泉街だった。
 
部屋に案内され、さっそく3階の露天風呂へ。
タイミングよく一人きり。
雨の降る音を聞きながら、目の前の森を見ながら入る露天風呂。
湯加減もよくいくらでも入っていられる。
木を半分に割った半円形の枕に頭を持たせる。これが気持ちよい。
しかし残念ながらこの露天風呂は時間制で夕食の後は明日の朝まで女性専用になるという。
1階の大浴場にも入ってみる。
小さな目の半露天風呂もあった。
寝湯のような形で寝そべることのできる木枠もあった。
 
1階の風呂の脇に、温泉に24時間漬けた卵を入れた発泡スチロールの箱が置いてあった。
これをふたつもらって部屋に戻る。
まずはそれで缶ビール。
ほんのり茶色く色づいた茹で卵は風味があって、どこか塩味がする。
風呂に入っているとき、顔にかかったお湯を舐めるとしょっぱかった。
海水の化石が温泉のもとになっていると解説板に書かれていた。
ここ松之山温泉は日本三大薬湯のひとつ。
 
温泉から戻ってきた妻に茹で卵を食べたかと聞くと、食べた、横にあった日本酒も飲んだという。
え? と思う。
仲居さんは確かに日本酒もアイスキャンディーもあるのでどうぞ、と言っていたが、
有料かと思っていた。
18時までだけどまだ置いてるんじゃないかと言うので行ってみたらちょうど片づけたところだった。残念。
茹で卵だけもらってきた。
温泉卵のサービスって聞くとどこでもありそうで、出会ったのは初めて。
いろいろ気の利いた宿だった。
全館畳敷きでエレベーターの中まで畳。素足で歩いていける。
小さな宿ならあるけど、こんなに大きな宿で素足は初めて。ありがたい。
 
最後にもう一度3階の露天風呂に入りに行く。
雨がまた強くなって土砂降り、雷まで鳴った。
夕食は2階の広間へ。
クロモジの入って色づいた、小さなグラスに入った水が爽やかで心地よい。
里山のごはん。米はもちろん十日町の棚田によるコシヒカリ
海の幸、お造りこそ青森のイカ、北海道のウニとあったものの
山のものはこの付近で採れたものだろう。
鯉こく、みそ田楽、湯治豚。
一つ一つに手間がかかっている。
お品書きの鍋のところを引用してみる。
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夏の棚田鍋《熟成地豚 越の紅》使用
夕顔 筆茄子 コリンキー 木の子
塩の子 神楽南蛮と麹を塩漬け熟成した物
 辛くてしょっぱいですが鍋の薬味に抜群。
火が消えましたら、おこげを割り入れ
 塩の子を混ぜてお召し上がりください。
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新潟の酒を飲む。
「越の初梅 雪中貯蔵酒」
 
食べ終えて、向かいのバーへ。
ここの宿が経営しているようだ。
4月にリニューアルしたばかりで昼間は観光案内所。
店内に小さいながらも窯があって、イタリアンのシェフがピザを焼くという。
さすがにそれを食べる余裕はなく。
前菜の盛り合わせだけ頼んで僕は「黒文字ジンソーダ」を、
妻は「実山椒ウォッカソーダ」を。
どちらもカウンターの上で漬けられていた。
スペインのワインも置いていた。
いい雰囲気の店なのだが、客は僕らの他にもう一組のみ。
土曜の温泉街にはもっと客がいると思うが。
次の金曜にこの温泉街で開催されるジャズのイベントのことや
温泉街の町おこしの難しさのことを聞いた。
 
夜の温泉街を歩く。真っ暗な中、道端で湯気が沸いている。
ひと気がなくしんと静まり返っている。
宿の部屋にはこの温泉街の手作り感あふれるグルメマップや
地元の人がガイドになるハイキングの案内のチラシなど。
がんばっている山奥の温泉街は応援したくなる。
 
部屋に戻って温泉に入り、缶チューハイを飲んでいるうちに眠くなる。
23時前には布団に入った。

『大地の芸術祭』へ(その2)

土曜の続き。
文化センター「農舞台」の外に出て周囲の展示をいくつか見てみる。
ママチャリを観覧車のように組み合わせたオブジェ、
その2階の運転席に上ってペダルを漕ぐ。
最初は重かったが、弾みがつくと後ろで大きなものが回転するのがわかる。
 
建物の中に戻って2階の受付脇の掲示板に貼られた
アート作品の位置をマッピングした地図を見ながら妻と次は何を見ようかと話していると
受付の方の手が空いたようで話しかけてきた。
だったら、松平城の天守閣までシャトルバスで行って坂道を下りてくるといいですよと。
天守閣の内部にも見どころがあって、途中の坂道にもたくさん展示されている。
それはいい、と提案に乗っかることにする。
 
シャトルバスは無料で、農舞台と天守閣の間を往復し続けている。
ライトバンに乗る。
田んぼの間に様々な大きさ、形、色彩の作品たちが垣間見える。
坂道は急で、レンタサイクルがあるもそれでも大変そう。
下からゆっくり時間をかけて上ってきている人たちも多い。
天守閣の手前の山小屋のようなところで下ろされる。
坂道を上っていく。急に雨が強くなる。構わず上る。
 
アート作品の展示されているところは
バス停のように黄色い看板が立っていてそれを目印にする。
その看板からスタンプが吊り下げられていて、パスポートに押していく。
森の間にフランス人の建築家なのか、アーティストなのか、
細長い格子柄になった鋼材で組んだ4階建ての塔があって中に入って階段を上る。
側溝の上にかぶせるアレみたいな。その骨組みの隙間から外が見える。
晴れた日ならば気持ちいいだろう。
木々の間から松代ののんびりとしたささやかな街並みが見えた。
一両きりのローカル線がやってきて駅に停まる。
「農舞台」近くの松代駅。ほくほく鉄道。
 
坂道に戻る。さらに急になって汗だくになる。
これは攻めるのも大変だったろうな。
天守閣は3階建てか、小さかった。
受付でパスポートにスタンプを押してもらう。
中がさっそく、白とは思えない現代アートな空間。
黒い枠線で白いタイルを敷き詰めたような。
そこにそのタイルを広がる空間をくしゃくしゃに丸めた球体が吊り下げられている。
3階に上ると中の壁は黒く、真ん丸に繰りぬかれて外が見えるようになっている。
黄金色に塗られた1m四方ぐらいの板が設置されていて、そこに座って写真を撮る。
一つ下の階には黄金の茶室。
中は入れないが、覗き込むと格子の一つ一つに花鳥風月のあれこれが。
しかしカタツムリにサンマにニンニクとなんかおかしい。
 
雨は止まず。
坂道を下り、田んぼの中に入って行って作品を一つ一つ見て回る。
屋外なので無骨な、大きなオブジェが多い。地面に埋め込まれたような。
雨でぬかるんで妻が思いっきり転んでしまった。
買ったばかりのトートバッグも泥まみれに……
 
そんなふうに見て回っていた一つに
「農舞台」のアトリエで見たイリヤエミリア・カボコフの作品『人生のアーチ』が。
切り開いた空き地に設置されている。
真っ白なアーチの上をグロテスクにデフォルメされた人物たちが
卵から生まれ、(灯りのついて明るい)重荷を背負い、
転がり落ちて倒れる様子が描かれている。
その広場に入っていくとき、軽トラックが坂道の脇に停まって
野良着を着た年老いた夫婦が下りてくるのが見えた。
何やら準備しているところに妻が話しかけた。
今は植物で覆われてしまったが、
昔はここに街道があって隣町まで歩いていくことができたという。
その途中に代々の畑や田んぼがあって、
今は耕してはいないがその世話をしに行くところだと。
楽しんでいってください、と言われる。
 
引き続き林の中に入って行ったり、田んぼに出たりを繰り返す。
木々の間に木と同化したケムール人が立っているような『王国』という作品、
中国のアーティストによる、田んぼの脇につくられたフレームだけのシュールな空間をつくった『米の家』、
日系人なのだろうかブラジルの方による
薄っぺらい強化プラスチック製の真っ赤な案山子が田んぼになっていて
それぞれの案山子の裏にはモデルになったおそらく周辺に住む人々の名前が書かれた『かかしプロジェクト』
こういった作品が面白かった。
 
もうひとつ、イリヤエミリア・カボコフの作品があった。
『手をたずさえる塔』とその中に設置された『手をたずさえる船』
世界中の子供たちの絵を組み合わせたのが帆となっている。
『人生のアーチ』の苦悩を背負う人々のそれぞれのデッサン(?)も壁に飾られていた。
塔の前にはテントが設置されていて、初老の男性が一人のんびりと椅子に座っていた。
地元の方がボランティアで手伝いをされているのだろうか。
塔は日が暮れると光を放つけど、えーと、何色だったっけ? みたいな。

『大地の芸術祭』へ(その1)

越後妻有(新潟県十日町市津南町)で
三年に一度開催される『大地の芸術祭』が今年その年で、妻が見に行きたいという。
 
いろんなところでその話を聞いたことがある。
農村が舞台となって、そこに国内外の現代アート作品が展示されている。
田んぼの中に展示されている作品たち。
その範囲はとてつもなく広く、一日はおろか、二日、三日あっても回り切れない。
僕もいつか見てみたいと思っていた。
仕事の切れ目で休みも取りやすいだろうと9月最初の土日に行くことにして、
妻に十日町市の宿も手配してもらった。
 
3日、土曜。
7時に起きて家の中を掃除して片づけをして、ペットシッターさんを迎える準備をする。
洗濯物を室内に干す。
東京は涼しい。雨は降らない。しかし、この日越後妻有は雨だという。
9時半過ぎに家を出た。
練馬ICから鑑江悦道に乗って、一路新潟を目指す。
三芳、高坂、嵐山……
妻が最近読んだ『将棋の子』の話を聞いているだけでいつのまにか埼玉も奥の方まで来ていた。
上里のサービスエリアで休憩して昼を食べることにした。
 
11時過ぎ、フードコートに入る。
上里といえば姫豚、小麦。
妻はラーメンにして僕は豚丼とわらじかつ丼のハーフ&ハーフ。
空いている。
それが、食べ終わる頃急な混雑に。
なんらかの団体旅行なのだろう、20歳手前ぐらいの女の子たちが行列を作っている。
皆、白を基調にしたおとなしい服装をしている。
女子大の一年生のクラス旅行??
妻はなんかの観劇ツアーなんじゃないかという。
見るとそれぞれ仲が良くて前後で話し合ってる、というようでもない。
4月ならまだしも9月ならそれなりに友達もできているだろう。
コロナ禍で今も100%オンライン授業というのではなく、今年からはリアルな授業も増えていると聞く。
そんな賑やかさがない。
それに女子大ならもっと服装が地味な子、派手な子、バリエーションがあるだろう。
なんだったのだろう。
妻の言うように何かの演劇の公演か、アイドルのコンサートか。
しかし、新潟方面で?
逆に新潟から東京に向かうのか。
駐車場には何台かバスが停まっている。
ちょうど停まって若い男の子たちが出てきたバスがあった。
それは都内のある大学のだった。
 
車に戻る。
関越トンネルに入ると。走っても走っても出口に出ない。
調べると11kmあって、日本で2番目に長いトンネルなのだという。
東京湾アクアラインが10kmだからあれよりも長い。
トンネルの中で新潟県に入る。
抜けると越後湯沢。
緑まぶしい山に囲まれ、そのどれもがスキー場。芝生のゲレンデが上から下まで広がっている。
スキー客向けに建てられた色とりどりの、高層階のリゾートホテルがニョキニョキと。
ガーラ湯沢もあった。
 
塩沢石打のSAでもう一度休憩をとる。
サービスエリアとなっていたけどあるのはトイレとセブンイレブンだけ。
こじんまりとしていてフードコートもガソリンスタンドもない。
やはりパーキングエリアとサービスエリアの区別がつかず。
 
関越道を下りる。
スキー場のエリアを抜け、山間ののんびりした集落がいくつか現れる。
豪雪地帯だからだろう、民家の多くが玄関に階段を作って入り口を高くしている。
屋根も極端に傾斜をつけている。
物置やガレージも皆、かまぼこ型というか、ろうそくの火型とでもいうか。
積もった雪が溜まって崩れ落ちるのを防ぐようにしている。
同じように雪がたくさん降る青森ではこのような建物は見かけない。
物置も四角い。屋根の雪下ろしをする前提なのだろう。
そのうちに視界のほとんどが田んぼ、その奥の低い山々となる。
緑また緑、稲が黄金色に育っている。
ああ、この景色を見ただけでも来てよかったなと思う。
 
この日、まずは『大地の芸術祭』の総合案内所的な場所にまずは行ってみようということにしていた。
芸術祭が6つのエリアに分かれているうちの「松代エリア」だという。
『まつだい「農舞台」』という施設がその中心地にあって向かう。
駐車場に停める。
人間サイズのユーモラスなカエルのオブジェが6体。
その反対側にはママチャリを何台も組み合わせた巨大なオブジェ。
階段を上って2階につくられた台の運転席でペダルをこぐとママチャリオブジェが回転する。
ふむ、これが「現代アート」か。
入り口で検温をして、検温済みのリストバンドをもらう。フェスっぽいと思う。
妻が事前購入していたチケットをパスポートに引き換える。
スタンプカード兼いくつかの施設の前売り券、割引券といったところ。
 
建物に入って2階へ。
河口龍夫という方の『「関係 - 黒板の教室」(教育空間)』
小学校なのだろう。
一つの部屋が架空の教室になっていて、そこにある全てのものが黒板的な素材でできている。
並んだ机のひとつひとつが黒板で、訪れた人がチョークで好きに絵や文字を書き込むことができる。
地球儀も日本地図も時計も椅子も、皆、黒板。
深い緑色ののっぺらぼう。そこに何を書き込むのも君たちの自由ということか。
なのに、徹底して全てがそうだというわけではなくて、
昔の机のように机のてっぺんの板を持ち上げると、そこが小さな展示室となっている。
右側の引き出しも引っ張ることができる。
そこは黒板的材質の鋏のセットが並んでいることもあれば
黒板的材質から逃れた空間でもあった。
そのひとつは百人一首や手芸用品が並んでいた。ある生徒の記憶なのだろう。
 
2階の目玉はイリヤエミリア・カバコフの作品たち。
恥ずかしながら僕は知らなかったが、現代アートの巨匠となるようだ。
イリヤ・カバコフの70年代の、旧ソ連時代は作品を製作するも公にはせず、
ごく一部の人にしか見せなかったようだ。いわゆるサミズダート(地下出版)の活動か。
私家製の絵本のようなものが展示されていた。
その自由奔放なイマジネーションは旧ソ連にとって危険なものだっただろう。
アナーキストな危険思想の持主だから、というのではなく、
天使がこの現在にいるならば人間は何を望むべきか、といった難しい問題を扱っているから。
80年代末にエミリア・カバコフとの共同制作になり、
アメリカに移住後はインスタレーションなど活動の幅を広げていったようだ。
旧ソ連で生まれ育った人ならではのシニカルなユーモア感覚と
そこから自由に離れていく発想。
この人には何かあるなとこの『大地の芸術祭』に絡んだ作品集を買った。
 
建物の廊下を進んで下りて行った先に
このイリヤエミリア・カバコフの作品、『棚田』を見るための展示スペースがあった。
棚田に青や黄の人形が配置され、牛を追っていたりする。
その風景に重ねるためのメッセージを日本語で綴った透明のプレートが吊り下げられている。
そのプレートを通して棚田と、人形たちを見ることになる。
この作品を展示することになった時、その棚田の持主に交渉しても拒否されたという。
しかし、イリヤ・カバコフが作品に対する思いをメッセージとして記したとき、
それは受け入れられたのだと。
棚田の持主が一線を退き、亡くられた後も芸術祭の方でその棚田を引き継いでいる。
後に作品のことを調べた妻からそのことを聞いた。
 

大山へ

仕事の切れ目で金曜は有休をとった。
といっても特に予定はない。やりたいこともない。
終日雨予報なので遠くに行く気にもならない。
クリーニング屋に行って、洗濯物を部屋干しして。
そうだ、と大山のアーケード街、ハッピーロードを行ってみることにした。
 
学生時代4年間、
大山にある日大病院前の調剤薬局で夜勤の事務のアルバイトをしていた。
一晩2万近く、週に一度入るだけで結構な収入になった。
大学の映画サークルで曜日ごとに担当を決めていて僕は金曜だった。
途中から隔週で土曜も担当した。
このアルバイトのおかげで金銭的な負担はだいぶ楽になった。
僕が卒業する時も映画サークルの後輩に譲った。
あれから20年以上経って今はどうなっているか、まだ続いているのかはわからない。
 
光が丘に引っ越して6年か。
前から何度も大山行きたいなと思いつつ実現しなかったのは
隣の板橋区でそんな遠くはなくいつでも行けるか、という思いがあったのと
思い出の地ではあってもハッピーロードの他に何もないところだから。
終日過ごすような場所ではない。
この日は午後読みたい本もあって、昼前に行ってどこかで食べてすぐ帰ってくることにした。
 
10時半過ぎに家を出る。
小雨の中、成増まで歩いていく。
東上線の各駅停車に乗る。
下赤塚、東武練馬、上板橋ときわ台
一駅手前の中板橋で下りて駅前のブックオフに入る。
ブックオフも小さく、商店街もこじんまりしている。
日大病院まで歩いていくつもりが、雨脚が強くなってきて断念する。
駅に戻って大山まで一駅乗った。
 
土砂降りの中、ホームに下り立つ。
上りだと北口か。見覚えのない風景。そうか、と思い出す。
学生時代は国立から新宿に出て、池袋を経由していつも下り方面。
南口から出ていた。
ハッピーロードも南口にある。
踏切をくぐって、アーケードのない商店街の方をまずは少し歩いてみる。
バイトの前によく通った安い中華料理の店があったんだけど
当然のごとく見つからなかった。
かなりなところチェーン店に置き換わっていた。
一番安い定食の油っぽいトマト卵炒め、食べたかったな。
 
ハッピーロードに戻る。
どれぐらい店が入れ替わったのだろう。
見覚えあるあるのは本屋など数えるほど。
金土と泊りの時に利用していた銭湯はどの小道を入るんだったか。
その後で食べていたとんかつ屋も店をたたんだか。
 
昼をどこで食べるか。
そういえば最近知った町中華というかチャーハンで有名な店があったよなと
ハッピーロードを出て川越街道近くの「丸鶴」に行ってみる。
平日で雨だからすぐ入れるんじゃないかと思っていたが、
さすが人気店、店の前で3人待っていた。
壁にあちこちのテレビ番組や雑誌に取り上げられた時の写真が貼ってある。
おやじさんと高田純次が写ってるものであるとか。
おやじさんが炒飯哲学を語ったものであるとか。
少し待って中に入る。当然相席。中はサラリーマンと作業員ばかり。
モニターではテレビ番組で取り上げられたときの録画を編集したのが流れている。
 
チャーシューチャーハンと、金曜はサービスで500円だというので唐揚げを。
チャーハンはすぐ出てきた。
テレビの中のおやじさんも2分で作るよと豪語していた。
ここはパラパラ系ではなくしっとり系。でも、ふわっとしている。
絶妙な塩梅。味も胡椒が効いてスパイシー。チャーシューもゴロゴロ。
ガツッと来る存在感なのにしつこくない。確かにこれはうまいな。
西の鶴丸、東の龍朋か。
神楽坂の龍朋も都内最高のチャーハンとされる。
 
遅れて唐揚げが出てくる。こちらも絶品。
ふわっと柔らかくてジューシー。唐揚げもしっとり系。
店を出るころ、テイクアウトできることを知る。
しまったこれで夜、ビールを飲みたかった。
長居を避けるためか、それともしっかり味わってほしいからか、
メニューには酒類はなかった。
 
雨が少し弱くなったので日大病院まで歩いていく。
夜勤のバイトのために薬局側で交互に
弁当を頼んでいた二軒の喫茶店、料理屋があったけど
これらの店も見当たらず。とっくの昔に店をたたんだか。
病院方面に向かって歩く若者たちは医学部の学生やインターンなのか。
 
ハッピーロードに戻る。
焼き鳥を売っている店を3軒見かけて、多いなと思う。
そのうちの1軒で買って帰る。
前に2組並んでるところにした。
しかし、僕の番が来て選んでるうちに気づいたんだけど
このハマケイは光が丘IMAにもあって、何度か食べたことあるな……
や、ここは普通においしいのでそれでもいいんだけど。
路地を入ったところにある総菜屋の焼き鳥が気になったものの
アーケードから外れてて傘を差さないといけなかったのでやめにした。
今度また丸鶴に食べに来た帰りに覗いてみるか。
 
成増行きの各停に乗ってのんびり戻る。
雨が止まないのでバスに乗って帰ってきた。
家に着いたのは13時半。
手ごろなサイズの小さな旅だった。

最後の大阪出張(2日目・3日目)

火曜。
午後イチでいよいよ経営層への最終報告。胴体着陸へと至ることができるかどうか。
午前中は最後の資料の手直し。
昼は早めに食べる。
以前入った石鍋パスタの店が新メニューでチキン南蛮定食。限定十食。
サクサクふわふわ、オーロラソースもおいしかった。
お客さんのビルへと移動。すぐ近くにある。
最終報告はなんとかなって軽微な修正のみ。
夕方までに終える。
 
定時前にオフィスを出ていったんホテルに荷物を置く。
打ち上げのため北新地に戻る。
前から気になっていた川沿いの店。
「北新地キャンプ」という名前が「味付万博」に変更という。
飲み放題にスパークリングワインや焼酎ハイボールなんかもあっていい店だったな。
鉄板で料理を作っていて、チャーハンも唐揚げもなかなかよかった。
しかし飲みすぎて途中から記憶なし。
店を出るころに意識が戻った。
何人かは終電を逃しそうになる。
朝まで、という話も出たが、飲みすぎて具合が悪かったのでホテルに帰ることにした。
iPhone を見ると食べた記憶のないお好み焼きと、後輩と先輩を撮った写真。
大浴場に入りに行って寝る。
 
水曜。
朝イチで部長への報告。
しかしいつもの会議室エリアがロックかかっていて入れず。
下のフロアのフリースペースへ。
先週怒らせたが、PJのクローズが見えてきたので円満に進んだ。
 
最終日なのですることはほとんどないが、
ちょこちょこと打ち合わせあり。
合間に中之島を散歩。
図書館を過ぎてなにわ橋駅へ。
しかし夏の暑さが戻ってきた日で、早々に戻ってきた。
帰りは地下のなにわ橋駅を通ってみる。
ここのアートギャラリーB1は以前何かの時に入ったことがある。
 
午前中の打ち合わせを終えて
近くのステーキハウス「大和」に昼を食べに行く。
ここの肉ゴロゴロのカレー、4回目か。
一番リピートしたな。
最終日はここと決めていた。
後輩に奢る。
 
先日は言った堂島の地下街に青森・岩手の店があったよなと行ってみる。
週末の旅行に向けてペットシッターさんに渡すリンゴのクッキーを買う。
歩き続けたら西梅田の駅につながっていた。
こういった地下街ももっと探索したかったと思う。
 
午後の内部の打ち合わせも話すことがなく、すぐ終わる。
15時、顧客との最後の打ち合わせまで時間ができて梅田へ。
バナナレコードの梅田店が7月にできたのだという。
地下街を伝って行ってみようと思う。
第3ビル、第4ビル、ディアモール
第4ビルの地下街の一角に小さな中古CD屋があった。山積みになって身動き取れず。
掘っ立て小屋のような。特にめぼしいものはなし。
CDシングルの短冊を熱心に掘っている女性がいた。
 
ディアモールの終点から東梅田の駅に出て、その後ホワイティを入ったり出たり
その先はよくわからず。
串カツの店、洋食屋、いろいろあってくらくらする。
阪急三番街が地下街の端になるのか。
地上に出る。古書店街がこの辺りにあったような。
バスターミナルを抜ける。
雑居ビルの5階にバナナレコードがあったのだが、ここはレコード専門でCDはほんの少しだった。
すぐ店を出て地下街に戻って引き返す。
阪神百貨店の辺りでまごつく。この辺りはさっき歩いたのかどうか。
ディアモールの入り口を見つけて入るが、先ほど通ったところとは違う。
なんとか第4ビルへの通路へ。北新地にたどり着いた。
行きは30分以上かかったのに、帰りはなぜか15分ぐらいだった。
 
15時、最後の打ち合わせ。
コンサルの入る企画構想フェーズはこれで終わり。
その日出社したメンバーと少し話して解散。
後輩とは LINE を交換する。
 
大阪駅まで今度は屋外を歩いて行ってコインロッカーに荷物を預ける。
DiskUnion まで歩いていく。
新幹線の時間を考えると30分もいられない。
じっくり見る暇はなかったが、それでも4枚安いのを選んだ。
DiskUnion にももう一度行けて、これで思い残すことはない。
 
大阪駅に戻って新大阪へ。
妻が食べたいと言っていたはちみつプリンを買う。
新幹線の改札をくぐり、「だるま」の串カツをテイクアウトする。
注文を受けてから揚げるので5分ほどかかる。
通天閣セット。
紅ショウガ、レンコン、ウズラの卵、エビ、ソーセージ、牛カツ、豚カツなど。
新幹線の中で早速食べる。まだ温かい。
ソースを入れる容器もついている。
 
買ってきたCDの解説を読む。
Ramones のトリビュートアルバムが国内盤帯付きで380円。
誰か作家らしい人が寄稿している。
読み終えてびっくり。スティーヴン・キングだった。
しかも Ramones をカバーするバンドで歌ったこともあると。
 
『おいらせ週評』と『「うまいもん屋」からの大阪論』の続きを読んで過ごす。
東京に着いてしまった。
これで4か月の大阪出張も終わり。
いつものように妻が迎えに来てくれていた。
風呂も沸かしてある。
ぼっちキャンプを見て、ぐったり疲れ切って23時には寝た。 

最後の大阪出張(1日目)

5月から4か月に渡って毎週前半、月火、場合によっては火水や月火水で繰り返した
大阪出張も今週が最後。
リトライとなった経営層への最終報告を30日(火)に行って、
31日(水)PJ報告書の提出と、ワーキングループメンバーへの展開で
プロジェクトとしては一区切りとなる。
新しい部門に異動して初めての本格的な案件。
最初のうちは勝手がわからず無我夢中、あっという間だった。
 
それまで7時ちょうど発の新幹線に乗っていたのを
先週から1本早めている。
いつもだと仕事に関する本を読んだり動画研修を見て過ごしていたのを、
今回が最後だからまあいいかとプライヴェートの本を読む。
このところ少しずつ読んできた『死の瞬間』を読み終える。
臨死体験の本かと思って買ったんだけど、
医療の現場における末期の患者との対話についてその先駆けとなる内容だった。
 
日曜の東京は最高気温26℃で涼しかった。
朝家を出るときも肌寒いくらいだった。
大阪はそこまで気温は下がってないという。
しかし、7月のようなモワッとした空気はだいぶ落ち着いていた。
 
月曜は翌日の最終報告に向けての資料の修正など。
難しいところは終わっているのであとは文言のチェック結果の反映など。
昼は新しいところを開拓するのではなく、これまで行った店に。
近くの高めの中華料理屋でゴマラーメン、麻婆豆腐、ライスのセット。
 
定時過ぎに仕事を終えて、この日は飲み会なし。
まずはホテルに荷物を預ける。
アパホテルを定宿にして今回遂にポイントがたまって5,000円キャッシュバックとなった。
 
あと、行っておきたい場所として
アメリカ村の「KING KONG」と「Time Bomb Records」の2カ所があって心斎橋へ。
普通にカフェで刺青をしたお兄さんたちが談笑。
三角公園にたむろする若者たち。
その横で横になった寝ているおっさんなのか若者なのか。缶チューハイが転がっている。
19時前でこんな雰囲気だと24時とかどうなるんだろう。
歩かない方がよいのか。
 
「KING KONG」はビッグステップの地下に移転後小さな店舗になって品ぞろえが今一つ。
店員の応対は相変わらず良いけど。
1枚、前から探していたのが見つかって買う。
Time Bomb Records」歩いててこの辺のはずが、……見つからず。
地図を調べたら移転していた。この店も小さくなってしまった。
ブルーハーツの解散ライヴを安く中古で買う。
古着屋も回りたかったが、キリがなくなりそうなのでやめにした。
町中華の店を見つけて焼きそばと餃子でビールを飲んで帰ってきた。
 
大浴場に入って、缶チューハイを飲みながら本を読んで過ごした。
江弘毅という元MEETS編集長による『「うまいもん屋」からの大阪論』を読む。
カウンター越しに料理人と客が向かいあうのが大阪流。
部屋に運ばれてくるのが料亭で、向かう合うのが割烹と知る。
他、織田作に愛された自由軒や元祖オムライスの北極星など。
もう一冊、神保町PASSAGEで購入した
『世界でいちばん虚無な場所 旅行に幻滅した人のためのガイドブック』を少し読む。
月曜から夜ふかしがなく、23時過ぎに寝る。