「ベニスに死す」「スキャナー・ダークリー」

新年明けましておめでとうございます。


引きこもり生活4日目。
昨日もまた一歩も外に出ず。 今日もまたそうだろう。


一昨日の夜は22時に寝て、7時前に起きた。
昨日の夜も22時に寝て、8時前に起きた。
去年は日付をまたいで新年を迎える瞬間まで起きていたものの、今年はそれすらなし。
ドライなもんです。
寝てる間に勝手に33歳になってた。

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晦日の昨日、午前中はずっと小説を書いていた。15枚ぐらい?
昼、インスタントラーメンを茹でて食べた。


午後は映画のDVDを2本見た。
「ベニスに死す」と「スキャナー・ダークリー


その後、hitomi のクリップ集2枚組の後半と
Led Zeppelin のこの前出た2枚組ベストのオマケDVDのライヴを見た。
ジミー・ペイジがヴァイオリンの弓でギターを弾いている写真はこれまで何度も見てきたが、
動いている映像として目にしたのはこれが初めて。かっこいいねえ。
ライヴ DVD もロバート・プラントじゃなくてやはりジミー・ペイジが花形だった。


青森から送られてきた、調査捕鯨の会社が作った高級品の鯨のベーコンを食べた。
あと、同じく青森からのイカをバターで焼いて食べた。
隠し味に鷹の爪の輪切りを入れてみる。


そんな感じで32歳が終わった。
今日、元日、33歳の始まりの日も同じようにして過ぎていくのだろう。
これから何時間か小説を書く。


今、新年にふさわしいアルバムとして U2「The Joshua Tree」を聞いている。
こういう日に聞くといいね。何かが始まっていくような気持ちになる。

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「ベニスに死す」


ルキノ・ヴィスコンティ監督の1971年作品。
芸術の在りようについて悩む老境の作曲家が
静養のため訪れたベニスのビーチで、神々の作り出した「美」そのもののような少年に出会う。
一言で言うと、黄昏の美学。一本ずしっとそれに貫かれてて揺るぎない。
ここまで来ると話が面白いとか面白くないとかそういうことじゃなくなるんだよね。
たいした話じゃないようで、そんじゃそこらの普通の監督には語れない内容で。
ある種の高みに到達した人だけがようやく垣間見れるものを映像にしたんだなあと。
壊れやすくて儚い、一瞬のような、永遠のような時間。

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スキャナー・ダークリー


リチャード・リンクレイター監督がフィリップ・K・ディック
代表作「スキャナー・ダークリー」(旧題は「暗闇のスキャナー」)を映画化。
しかも実験的なアニメ作品だった「ウェイキング・ライフ」の手法を踏襲し、
役者が演技した実写の映像をデジタル・アニメに置き換えていく「ロトスコープ」で作られている。


この「ロトスコープ」の採用は当たっていると思う。
原作がフィリップ・K・ディックが終生追い求めた
「どこまでが現実でどこからが現実のイミテーションなのか?」
「現実とはなんなのか?なぜこうも易々とこの手からすり抜けていくのか?」
って感覚を描くに当たって、
実写のようでいてアニメであり、アニメのようでいて実写に近い
この映像の質感はドンピシャじゃないか?と僕は思った。
この妙に生々しい、役者の息遣いが聞こえてくるようなアニメ。
どれだけ特撮技術が発達してところで、描けないものがある。
むしろ、特撮技術が進化すればするほど
フィリップ・K・ディックの世界観と映画が乖離していくように思う。
「リアル」なものが失われて、ただのエンターテイメントに過ぎなくなる。
僕自身としては、これは「ブレードランナー」以来の幸福な映画化だったのではないかと。


スクランブル・スーツを映像化するとしたら
そりゃ高度な撮影技術を持ってすれば実写でもいけたかもしれないけど、
アニメでああいうふうに描かれると、「なるほど」と思わずにはいられなかった。


内容としては非常に原作に忠実。
ここ違うな、と感じたのは最後の方の2箇所ぐらいか。
「あれ?ここってこうだったっけ?」ともう一度読み返してみたくなった。
旧約と新訳の2回読んでいる僕からすれば
「なんて分かりやすい映画なんだろう」ってとこなんだけど
読んだことのない人からすれば何を言ってるのか分かりにくいかも。
自転車のギアが足りてるだの足りてないだの
そこで語られているエピソードが何なのかは理解できても、
それが何を意味しているのかは
フィリップ・K・ディックの諸作にはまり込んだ人でないとピンと来ないかもしれない。
「麻薬捜査官が麻薬に溺れました。だから何?」って言うような。
今まで1度も読んだことなくて、それでも映画を見て何かを感じることのあった人は
まずは原作を読んでみて、そしてその他の作品に進んでいけばいいと思う。
この映画が入口になってくれれば。


特典映像のメイキングがこの映画の成り立ちについて語っていて、
なんと1977年のフィリップ・K・ディック
インタビューに答えているという場面が何箇所か出てくる。
これだけでもファンは必見、というか必携だろう。
「政府が常に我々のことを監視している、
 私だって家に侵入されてキャビネを開けられ書類を盗まれた」
「SFというジャンルは不当に地位を貶められている。
 性描写や深遠な考察を持ち込もうとするとSFのくせにと言われる。
 SFなんて冒険小説であればいいというわけだ」
といったことを語っていた。
まあ、生前よく語っていたことですね。


このメイキングにはフィリップ・K・ディックの娘も出てくる。
各役者のインタビューももちろんあって、
興味深かったのは主役のドナを演じたウィノナ・ライダーの父親は
ティモシー・リアリーと親交があって、ウィノナの名付け親となったのだということ。
そしてティモシー・リアリーフィリップ・K・ディックとも通じていて、っていう。


エンド・クレジットの音楽のところを見てたら、
Radioheadトム・ヨークジョニー・グリーンウッドっぽい変名が。
調べてみたら参加していた。DJ SPOOKEY とともに。
でも残念なことに発売されているサントラには
トム・ヨークの曲は収録されていないとのこと。