一生涯、上がった役満は九連宝燈だけ

10年以上麻雀を打っていないことに気付いた。
素直に驚く。学生時代の自分からしたら考えられない。
二次方程式が解けなくなったのと同様に、
点数計算もできなくなっているのだろう。


当時の友だちと会うこともない、会っても麻雀を打たないという以前に
会社の人と麻雀を打つということがない。
入社当時はまだあったけど。


時々、一緒に昼飯を食べてたり飲んでたりして
「あ、麻雀できるの? じゃあ今度やろうよ」って話にはなるけど、
実現したためしがない。
・・・って、なんかこんな書き方してると人のせいにしてるみたいだな。
僕がいけない。「やりたいやりたい」と思う自分がいる一方で
雀荘に終電までいるとか徹夜するってのをひどく億劫がる自分がいる。
誰かの家でなら、と甘いことを考えるが、今時そんな家もないか。


去年だったか一昨年だったか、携帯にフリーの麻雀ゲームを入れたときは
地下鉄の行き帰りでずっとそればかりやってて、「人間がダメになる」と思った。
途中からもう「勝とう」という気持ちがなくなって
釣りをしてるかのようにボーっとツモ切りするだけになるんですよね。
何がしたいんだか自分でも分からなくなってくる。


自分がやらなくなったというだけで
「麻雀人口は減った」などと決め付けたくなってしまう。
どうなんでしょうね。今時の学生は。
神保町は学生街でもあるけど、御茶ノ水や水道橋の方まで歩いていったとしても
雀荘を見かけた記憶がない。覚えてるのは1軒だけ。
これはむしろ僕が麻雀に興味がなくなって視界に入らなくなったということなのか。
そう考えると、なんだか寂しい。


場末のゲームセンターの色彩も描画も貧弱な50円の脱衣麻雀もまた懐かしい。
インベーダーゲームみたいなもので今はもう絶滅してしまったかもしれない。
あれは自分が思うセオリーに任せて打つと必ず負けて、適当に打ったほうが勝てる。
今時の脱衣麻雀はAVのようにリアルなんだろうな。
いや、違う。萌え系なんじゃないだろうか。
・・・それって面白いのかなぁ。
アニメはアニメ、麻雀は麻雀と分けられている方がいいと考えるのは
僕が年を取って思考が硬直してるのか。
両方いっぺん、という若さがなくなった。


そんな僕は60過ぎて人生に引退したら
麻雀ばかり打ってそうに思う。