昨日は松丸本舗にて
いつもお世話になっているBSE(ブックショップエディター)の方が
「目次読書法」のワークショップだというので顔を出す。
終わってそのまま本を物色していたらとある方を紹介される。
5月21日に代官山のUNITにてEP-4の復活ライブがあって…
そのまま飲みにいって話を聞いた。
1980年代の頃からEP-4とつながりが、というすごい経歴。
当日もしかしたら僕はライブの前後にチラシを配るとかお手伝いをするかもしれない。
どこかで聞いて記憶の片隅にあったけどそれっきりだったのが、
これも何かの縁だろうと見に行くことにする。
ナタリー「伝説のバンドEP-4が30年ぶりに復活、「5・21」ライブ決定」
http://natalie.mu/music/news/65790
UNITのページ
http://www.unit-tokyo.com/schedule/2012/05/21/120521_ep4.php
当日のDJはMOODMANと菊地成孔。
共演がジム・オルーク、千住宗臣、高井康生、恒松正敏、中村達也
ちょっとありえないメンツ。
坂本龍一も日本にいるなら出たいと呟いたとか。
http://togetter.com/li/136892
佐藤薫を中心に1980年代初めに京都で活動した後、東京に活動の場を移す。
1983/5/21:京都・名古屋・東京の3箇所でライブ、
インディーとメジャーでアルバムを発売。
この日に合わせて「EP-4 5・21」とだけ書かれたステッカーが
渋谷と原宿を中心にあちこちでゲリラ的に貼られまくったのが話題となる。
しかし、1990年代に入って佐藤薫はシーンから姿を消す。
アジアを回っていたのだとか。2010年に活動を再開。
そのメジャー・アルバム『昭和崩御』はタイトルが難ありで結局数ヶ月遅れで発売。
(ジャケットの写真は藤原新也、一見普通の民家を庭から撮ったようでいて、
金属バット殺人事件の現場を撮影したものであるという)
1980年代特有の、隙間の多いクールでノイジーなファンク。
Material や A Certain Ratio を思い起こす。
僕は『リンガフランカ』と題して28年ぶりに正式発売された2枚組を昨年買った。
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編集学校に話を移すと
校長:松岡正剛がこの佐藤薫のことを昔かなり気に入ってたみたいなんですね。
千夜千冊に何度か出て来る。たまには引用します。
・0725夜 町田康『くっすん大黒』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0725.html
|山崎春美はワタクシの「遊塾」(日遊塾)にも入り、なんだか
|猛勉強をしているふうだったが、ライブハウスではカミソリを
|持ち出したり、クスリをやっては絶叫していた。そのあとぼく
|は京都三条河原町で「モダーン」をやっていたEP4の佐藤薫
|に出会って、ときどき彼のライブに強引に引っ張り出され、な
|ぜかステージで“お話”をさせられた。いまおもえば噴飯もの
|で、共演していた坂本龍一がポカンとしてぼくの話を聞いてい
|たのを思い出す。佐藤薫はあるときマレーシアだかタイだかに
|行くと、そのままどこかに消えた。この佐藤にもぼくは弱かっ
|た。
・0388夜 竹中労『ルポライター事始』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0388.html
|一方、むろんのこと本も書きまくった。『美空ひばり』『タレ
|ント帝国』『無頼と荊冠』『琉歌幻視行』『逆桃源行』『聞書
|アラカン一代』。もっと著書はあるのだが、これらはとくに竹
|中労フリークの血を湧かせたバイブルだった。渋谷の松濤にい
|たころのぼくの家にEP4の佐藤薫が泊まりにきて、これらを貪
|り読んでいたことを思い出す。
・1010夜 阿木譲『イコノスタシス』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1010.html
|さて、ぼくがどのように阿木君に出会ったのか、さだかなファ
|ーストコンタクト・シーンが蘇らない。きっと30年前に大阪新
|町で会ったのだとおもう。いまは失踪したまま消息が見えない
|EP4の佐藤薫がそこに同席していたのかもしれない。
うーん、もしかしたらこの日は校長もライブに現れるのかも。
どうなんだろう?
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昨日は僕も「EP-4 5・21」と書かれたステッカーをもらう。
今日の昼、さっそく高円寺に貼りに行った。