自分にご褒美

それは偏見だ、と一部の方から反感を食らうのを承知で書く。


ダイエットの最大の敵は睡眠不足を代表とする不規則な生活や
ファーストフード・ジャンクフードを筆頭とするおいしいものや
食事制限のような間違ったダイエット手段でもなく、


「自分にご褒美」


絶対、これだと思う。
「人間だもの」に並ぶ最強の免罪符。


「自分サイズのささやかな幸せを見つけよう」
みたいなフレーズと結びついたら最悪である。
自分というものをとことん甘やかす。
自堕落に何事も「まあこれでいいや」で向上心がなくなる。
前を向いてちょっとずつ進んでるつもりになっても、
周りの変化するスピードの方が速い。
結果、後退している。よくてプラマイゼロ。
少なくとも週に1回のペースで「自分にご褒美」を与えていたら多過ぎじゃないか。
自分からハードルを下げるようになったら、上げることがどんどん難しくなっていく。


それにしても、この表現って誰が使い始めたのだろう?
21世紀に入ってから見かけたような。どこかの雑誌なんだろうな。
(英語表現としての「reward myaself」というのは昔からあるみたい)
この「21世紀」というのがポイントで、
「自分にご褒美」って大衆向け資本主義の新しい段階を象徴する言葉だと思う。
何かが満たされない一方で別の何かが飽和している。その倒錯した状態。
目の前のこの瞬間における豊かさの尺度を下げることを許容したら、
誰もが幸福感に浸れるじゃないかっていう。
消費社会そのものは飽和しているから、
様々な階層に向けた商品が過剰に供給されているから、それが可能になる。


あと、贈り物というものが他者に向けるのではなく自分に対して向けられた、
閉じられたものになったというのも気になる。
贈るという行為が他者との間での関係性の更新を目的としたものであるなら、
それがねじれた方向性で作用する。
自分の中に「自分」というキャラクター化した他者を想定して積極的に相対化する。
絶対的な価値はいったん置いておく。それもあり、なんでもありにしてしまう。
自分が何者でもなくなっていく。
境界線を曖昧にすることで現実とのヒリヒリした関係から遠ざかる。
…などなど。


屁理屈?
まあ、そうなんだろうな…