床屋型コミュニケーションなど

仕事でよくやってしまうことなんだけど、
これぐらいはまあ皆に連絡するほどでもないなとほっといたり、
メーリングリストメッセンジャーツール、チャットツールで
誰宛でもなく流しておいたら当然誰も読んでなくて、
気が付いたら自分一人でいろんなことを抱えているという。
あるいは、さっき○○に書いたことなんだけどと直接伝えて回るか。
……何か本質的におかしい。
 
情報をしかるべきところに蓄積させて、流通させるということはいつになっても難しい。
ツールが進化するとしてもその多くはユーザーインタフェースに関わる部分であって、
人と人のコミュニケーションのあり方そのものを改善させることはない。
そのツールの使い方を工夫して有意義なものにするのはやはり人間なのである。
 
そういうことを考える一方で。
昨日、いつもの床屋で髪を切った。
切ってもらう間、マスターの最近こういうことがあったという話を聞く。
僕は相槌を打つ。
このとき、こちらはカバーをかけられて首だけ出して手は出さない。
だからスマホをいじったりはしない。
マスターも鋏と櫛を手にずっと髪を切っている。
 
今時珍しく、会話の双方がスマホを手にしていない。
これって貴重なことだなと。会話だけで会話を成り立たせるというか。
そういうこともあって話したことの多くが記憶に残っている。
美容室だと雑誌が読めるということはスマホも触れるか。
こういう床屋型のコミュニケーションをもっと増やさないとな、と思う。
 
コンサートの会場で聴きながらスマホをいじってるのも普通のことになって、
そのうちに映画館で映画を見る時もスクリーンの照度を落として
スマホ片手にとなるかもしれない。
 
それはそうと2020年のオリンピック。
僕らが今想像する以上に外国人観光客が訪れて、交通機関が混雑することになる。
そんなとき立っようと座ってようとスマホを眺めてるだけで周りに無関心という人たちばかりだと
大小様々な問題が起きかねない。
スマホに夢中になって通路をふさいでしまうとか、席を譲らないとか。
せめてオリンピック期間中だけでも車両の中や駅構内でのスマホ利用の規制を行うべきではないか。
スマホ禁止車両を用意するのは、……安易か。