女の子の絵

そう、若い頃、まだ時代が大らかだった頃、山奥の古民家に住んでいたことがありました。
亡き妻の、ええ、三十年も前のことですが、父方の祖父の家が空き家になっていたので。
私が絵を描いて、妻が彫刻を、ちょうどいいかと。
広くて静かで、空気のいい環境を探していたところだったんです。
あの家は妻が小さいときに育った場所だったので思い入れもありました。
 
私たちは空いている時間に村の子どもたち相手に美術の教室を、
……美術とか教室とかそんな言い方をしたらおこがましいですけど、していました。
教えることなんてそんなにありません。
画用紙に好きに描かせて、拾ってきた松ぼっくりを組み合わせたりして、という。
子どもたちの遊び場ですよ。どの家も農家で、手伝いの合間の息抜きです。
お金は取りません。近所の人たちが親切で、
時々少し野菜を持ってきてくれましたから、そのお返しにって。
 
妻はその頃から体調がすぐれないことが多くて、
でも元気なときは嬉しそうに子どもたちの相手をしていました。
妻とは美術を学ぶ予備校のようなところで出会いました。
夢があったのに、結局はお金がなくて二人とも今でいうところの美大には入れませんでした。
でもなんとか二人で力を合わせて続けたかったんです。
 
ええ、来ていたのは三人か四人か。それぐらいです。
今でもその顔を覚えています。あの子たちはどうしただろう……
もうあの村に行くこともなくなりましたからね。
皆村を出て都会に住んでいるのかもしれません。ここみたいな。
 
その中である日、見慣れない子が一人いたんです。女の子でした。
どこか雰囲気が違う。誰とも話そうとしないで部屋の隅でポツンとしている。
来ている服も少しつくりが古い。戦後じゃないんだから
農家と言っても車で町に出ればいくらでもお洒落な服は買えましたからね。
話しかけても何も言いません。
こちらを見ることはあって何か意思表示らしきことはするのですが、
口を利くことは一切ありませんでした。
絵を描くよりも木々を紐で結わえて人形らしきものを作るのが好きなようでした。
 
その子がいなくなった後でいつもの子たちに聞くと
そんな子はいなかったと口をそろえて皆が言うんです。
僕が一人ブツブツ話していたけど、
絵描きさんって不思議な人だからそういうものだと思っていたと。
そんなことが何回かありました。
 
小さな村だから新しく引っ越してくる人なんて
私たちのような特殊な事情がなければいないわけだし、
今のように都会に住んでいた人が農業や、……ゲストハウスって言うんですか?
そういうのをやりたくて移住するなんてこともありません。
だから突然子どもが増えるなんてことはありえないんです。
どこから来たんだろう? どこに帰るんだろう?
布団で寝ている妻に話してみても力なく、そう……、と呟くだけでした。
 
私はその女の子をモデルにして小さな肖像画を一枚描きました。
描き終えて額に飾ってアトリエの隅に飾りました。
それっきり女の子が現れることはありませんでした。
 
妻の容態が急に悪くなって亡くなったのはその後でした。
大きな病院に行って検査をして手術をすれが違ったんでしょうけど、
僕らにはそんな余裕がありませんでした。
 
村の人たちばかりが集まったささやかな葬式を終えて、
私は逃げるようにしてその村を後にしました。
何か恥ずかしいこと、やましいことが私の事情にあったわけではありません。
でも私の中にそれはあったのだと思います。
 
あの少女は誰だったのか……
あの時の小さな肖像画は家の中にそのままにせず、なぜか村から持ってきました。
今思うと妻にそっくりなんです。
もしかしてと思うのですが、今となっては何もわかりません。
 
私があなたにお話したかったことは以上です。