実話系怪談の30年

急に秋。寒くなったというのにまだ怪談本を。
昨日、『新 超怖い話』のシリーズを初めて読んだ。
第3巻的な位置づけの一冊を。
 
1993年発行。
勁文社文庫 Twentieth - one” から。ケイブンシャ、文庫を出していたんだな。
帯には「ハイテクの集積空間たる都会で今日も生み出され語られる現代の怪異譚」とあった。
ハイテクという言葉、目にしたのは何十年ぶりだろう。
パソコン通信からネタを拾い取材したものもあるという。
インターネットはまだ一般的ではない時代。
テキストだけの掲示板とメールでやりとりしていた頃。
平山夢明を目当てに取り寄せたんだけど、シリーズに初めて参加したときのものでまだ新人扱い。
デルモンテ平山というペンネームになっていた。
 
読んでみるととても素朴な内容で、
この30年の間に実話系怪談というものはシチュエーション、現れ方、影響の及ぼし方に
格段の進化、複雑化があったのだなということが見て取れる。
しかし、誰が、何が進化しているのか。
 
霊や、怪奇現象そのものが?
それは考えにくい。
語り口の進化というのは確実にあり得る。
それを支える想像力の進化というのもあるだろう。
妄想、夢想だというのではなく。
しかし、より怖く、より恐ろしく禍々しくという読み手・聞き手の要請に基づいて
解像度が上がっている、より精密に対象と向かい合う
というテクニカルな面のスキルアップは絶対にある。
求められるものがよりディープになったことでアンテナの感度が上がるとか
求められるものがよりディープになったことでその写し鏡としてこの世に現れるものも変化する
ということものあるだろう。
事象に対する意味づけの仕方も変わってくる。高度になる。
 
インターネットの普及により情報量が爆発的に増加というのも
この分野にあてはまるんだろうな。
生活も変わったし、メディアも変わった。
だけど霊体験の本質は変わらない。
向こう側とこちら側という基本的な構図は変わらない。
その分語られ方の方がどんどん進化していく。変わらざるを得ない。
そういう30年だったんだな。
 
心霊現象? このテクノロジーの時代に何を言ってんだ? とはならない。
むしろ相反するように一部の人たちの間での興味は高まったと思う。
様々なニッチな立場やフェチが市民権を得るのと同様に
怖い話というものも一定の支持層を得るようになった。
好きとカミングアウトしても変わり者と思われなくなった。
実は、とつけなくてもよくなった。
いいことなのかどうかなのか。
一方でコンビニで見かける実話系怪談本の安っぽさたるや。
 
この世とあの世の間の歪みというものは永遠になくならず、
形を変えて今後も存在し続けるのは確かだけど。