ハンバーグ丼

日々次の日の弁当を用意したり、夕食をつくったりしていると
時々新しいメニューを考えてみたくなる。
今日なんとなく思い描いていたのはハンバーグ丼。
カツ丼のように出し汁で煮て、卵でとじる。
それをアツアツのご飯の上に乗せて食べる。
当然かつおベースで醤油の入った和風の出汁と最初は思ったけど、
ここはデミグラスソースでもいいかもしれない。
 
この時一緒に煮るネギは長ネギがいいか、玉ねぎがいいか。
カツ丼の場合圧倒的にタマネギの店が多いけど、
たまに蕎麦屋なんかで長ネギのを見かける。
案外ハンバーグには長ネギの方が合うかもしれない。
刻んだ玉ねぎは既に入っているわけだし。
 
ハンバーグはやっぱ焼きたてがいいな。
鉄板の上で肉から染み出た油がジュージューいってるような。
僕はスーパーの総菜が大好きなんだけど、
惣菜で買ったハンバーグを電子レンジで温めてつくったら全然おいしくないと思う。
 
しっかり焼いて硬めになった状態でつくるよりも、
半生の状態で一度フライパンから降ろして鍋で煮るとするといいんじゃないか。
丼のふたを開けて箸でつつくと卵の間でホロホロと崩れるとか。
それをそぼろのように広げて食べる。
だから卵も煮すぎない方がいい。
溶き卵を注ぎ入れたらすぐふたをしてそれをさっと丼に移すぐらいで。
つなぎは少なめになるか。焼くのが大変だけど。
 
もうひとつ。
ソースカツ丼があるのなら、ソースハンバーグ丼があってもいんじゃないか。
丼の半分にたっぷり山盛りのキャベツ。
焼きたてのハンバーグを乗せてウスターソースをかけて食べる。
家でハンバーグをつくったとき、そんなふうにして食べるという人もいるのでは。
 
煮込みハンバーグをそのまま丼に乗せるというのもありだ。目玉焼きと一緒に。
茶店のメニューにありそうだけど。見かけた記憶がない。食べたこともない。
 
ロコモコ丼と言えばロコモコ丼だけど、
最近見かけるのはどれもおしゃれなものじゃないですが。
オーガニックなキッチンでないともはや出せない、というような。
そうじゃなく、安い定食屋でガッツリ、みたいな。
思い描くのはそういうハンバーグ丼。

間違い電話

 
間違い電話って仕組み、面白いなって今更ながら思う。
かかってきてもいいことはないし、かけてもめんどくさいだけだけど。
そこから恋愛につながるというのは漫画でしかありえない。
でも、なんか面白い。
 
桁数が違うし、数字じゃなく英数字だしで組み合わせは無限。
メールアドレスを打ち間違えて他の人に届くということは、
よほど短いアカウント名でない限りなかなかない。
普通、宛先不明でメールサーバから返信が届く。
(そもそも宛先のコピペを間違って別人へというのはあるが)
向こうに届いたとしても、開いたかどうか、読んだかどうかはわからない。
 
一方で電話番号は桁数が決まっているし数字だけだしで
使われていない番号でない限り、間違えたらどこかしらにつながることになる。
電話に出て、その人とわずかながら話すことになる。
想定した相手かどうかこちらは声を発して確認し、向こうは違いますと答える。
最低限のコミュニケーションがそこには生まれる。
 
以前どこかで読んだんだったか、聞いたんだったか。
暇なとき、ゼロを押して日本国内として、
そこからでたらめな番号を9個押してわざと間違い電話にして、
出た人の反応をうかがうという。
「すみません、間違えました」ガチャ、と切られる数秒だとしても
向こうの話す間合いだとか背景に聞こえる音だとかいろいろと違う。
とんでもなく予想外なところにつながる可能性もある。
もしかしたら勘違いした先方が一方的に話し込むことだってあるだろう。
 
昔は交換手が電話回線を手動でつないでいた。
「どこそこの○○さんお願いします」と電話局に伝えると、
オペレーターの女性が該当の個所に差し込む。
そのときにつなぎ間違えるということもあったという。
 
その後機械で自動でつながるようになる。
あるときまで電話が混線するということもあったようですね。
1:1ではなくいくつかの接続が一緒になってしまい、複数人で同時に会話する状態になる。
アメリカのコラムニスト:ボブ・グリーンのコラムに
あるとき電話が混線して会話が入り乱れているうちにハイになってきて、
思いがけなくパーティーのように盛り上がってひとしきり楽しい時間を過ごす。
せっかくだからみんなで会おうよということになって
何時にどこそこの店でと決まって、皆オーケーと言い合って電話を切る。
しかし誰も来なかった、ボブ・グリーンにそのときのことを話した一人以外は。
そんな話を思い出した。
それってなんかわかる。電話ならではの、こと。

不登校

昨晩の『逆転人生』を見て、不登校の児童、不登校予備軍の児童が増えていると。
僕の小さい頃、学校に来ないのはヤンキーだけだった。
教室に40人以上いて、小学校・中学校では不登校の生徒は不良以外皆無だった。
1980年代の青森だからかもしれないけど。
高校になって初めて、(校則や集団生活や学習カリキュラムといった様々な点で)
学校に馴染めずに不登校という生徒が学年に一人二人いたように思う。
 
学校とは「行く」ものであった。
どんなに行きたくなくても、
病気以外に「行かない」という選択肢はありえなかった。
そう思っていたのは僕だけではないと思う。
そういう時代だった。
(昔はよかったと言いたいのではないし、今の人は……、と言いたいのでもない)
 
不登校」という選択肢ができたから、いや、
不登校」という名前が付けられて概念化されたから、
この社会にその数がぐっと増えたのではないかと錯覚する。
高速道路を逆走するなどのお年寄りの運転事故が
ここに来て急に増えたかのようにニュースで感じるのと同じ。
「認知されたから増えた」というような。
実際には逆で、これまで少しずつ増えてきて
社会的要因でそれが急カーブになる局面があって、
一定の閾値を超えたから表面化した、ということなんだろうけど。
……それはさておき。
 
昨日の番組で不登校になった原因に「SNSいじめ」が挙げられていた。
午前3時にLINEでメッセージを送って、即返信しないと仲間外れになるという。
自分だったらどうか。
そもそも母子家庭でスマホなんてもてなかったかもしれない。
そんなときどうなるのだろう。そもそも相手にされないのか。
引っ込み思案で家の中で本ばかり読んでいた僕は、
一人きり空想と妄想の中に閉じこもっていた僕は、
今だったら学校に行かなくなっていたかもな……
そこからどういう出口を見いだせたか、と思うとゾッとする。
青森の片田舎で引きこもっていたか。
何かのはずみでボタンを掛け違えていたら
僕もまた何らかの事件を引き起こしていたかもしれない。
妄想に窒息して、現実との区別がつかなくなって。
 
現実と折り合いがつかなくて空想が妄想になる。
そこからどう抜け出すか。
それが不登校や引きこもりに対する一つの解決策に思うんだけどどうなんだろう。
そんな簡単なことじゃないか……

08/19-09/25

08/19(月)
 
7時出社。仕事は淡々と。
昼、弁当。鯖。ウインナー。
来月の広島遠征に向けてみどりの窓口に新幹線の切符を買いに行く。
帰りに本屋に寄って、『ことりっぷ』を買う。
あるいは
JTBから、シンプルで見やすくて分厚いわりに軽いのがあって
これもいいかなと最初は思ったんだけど、よく見たら2017年発行。
『ことりっぷ』は2019年4月だったのでそちらに。
駅前再開発で○○がオープン、みたいな情報も知りたいが、
どちらかというと地味に困るのが行ってみたら閉店したというので。
 
帰ってきて庭の水やり。しかし夜、雨が降る。
掃除機をかけて弁当の用意。味噌漬けの豚ロースを焼く。玉子焼き。
夜は海藻、豆腐、トマト、レタス、スプラウトのサラダ。
おろしそば。大根おろしを摺るが、先の方だったのでかなり辛かった。
妻は途中でギブアップ。
酒場放浪記。しゃべくりに星野源
IZ*ONEという韓国・日本混在のアイドルグループが登場。
しゃべくりメンバーがさんざんいじくりまわしたけど、
今のこのご時世問題にならないかハラハラした。
 
Zeroを見る。
あおり運転のあの件、ぞっとするな…
どっちかというとガラケー女の方。
両方の顔、名前を報道。
23時半に布団へ。
 
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08/20(火)
 
5時に目が覚めて大雨。
会社に着く頃弱くなっている。
佐伯一麦『還れぬ家』を読み終える。
給料日。ATMから引き出す。
 
昼、弁当。昼寝。
午後のレビューはおおむねいい方向に向かったが、
夕方の打ち合わせで予想外なところから要件定義の漏れが。
役割分担のはざまにあって、誰も予算化していない。
どうしたもんか。険悪な雰囲気になる。
明日は明日の風が吹く、酒飲んで寝ようと帰った。
 
夜はピザを買いに行く。
掃除機をかけて、弁当の用意をして、妻の帰る頃に合わせて
事前にオーダーしといて歩いてドミノピザへ。
フィエスタという今、店で押してるアボカド、タコスミート、チェダーチーズのを一枚と
シーフードのクリームソースのを一枚。
どちらも悪くないのだが、一枚丸ごと同じのだと飽きる。
他のと半分ずつにすればよかった。
鑑定団を見て、23時半に寝る。
「全裸監督」を見てみたい、という話になる。
 
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08/21(水)
 
成田本店で見かけて買った『龍の夢 ねぶたに賭けた男たち』を読み始める。
先月読んだ『龍の伝言 ねぶた師列伝』の続編。平成のねぶた師へ。
昼、弁当。ケチャップチキン。
午後打ち合わせ。このところ長らく引きづっていた課題がようやく決着の方向へ。
他、昨日のレビューの設計書修正など。
少し残業して帰る。妻が先に帰っている。
 
モロヘイヤとゴーヤをもらったとのことで天ぷらへ。
大根がないというので自転車に乗ってライフに買いに行く。
雨が降った後でペダルを漕いでいると涼しい。
本絞りは秋柑が出ている。一番搾りも秋味を。
天ぷらはモロヘイヤ、ゴーヤ、レンコン、ピーマン、ニンジン、嶽キミ。
例によってまたたくさん揚げすぎた。冷凍庫で保存する。
しかも嶽きみを揚げているときに油が跳ねすぎてポップコーンのようになって大惨事。
揚げ終わるまでにものすごく時間がかかって片付けまでしていたら午前0時近く。
妻には悪いことをした。
 
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08/22(木)
 
明け方雨で目を覚ます。
一昨日問題になった件、昨日問い合わせメールを送ったところ
意外とあっさり解決できそうな回答が返ってくる。拍子抜け。
昼、弁当。焼き鮭。ソーセージ。他、あるもので。
食べ終えて昼寝。
夕方レビュー。19時まで残業。
 
帰ってきて明日の弁当のため、高菜チャーハンを。
今回もおいしくつくることができた。味見が止まらない。
夜は蕎麦を茹でておろしそば。
大根おろしを電子レンジで温めると辛みが弱まるという話で、
試してみたら確かにそうなった。
 
お笑い演芸館が再放送。
この前ディスク不良で見れなかった
岸和田少年愚連隊』が届いたのでスキップして見てみたのだが、
ほんとエンドロールの手前だった。
23時過ぎに布団に入る。
みみたが釣り竿型猫じゃらしをくわえてやってくる。
 
甲子園決勝、履正社対星稜は履正社が優勝。
久しぶりに決勝がワンサイドゲームにならず、拮抗した試合へ。
観たかった。
 
赤いきつね焼うどんのでか盛り、一昨日見かけたときはまだあったので
今度買うかと思って今日行ってみたら売り切れていた。しまった…
 
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08/23(金)
 
朝から雨。今週は梅雨のように雨が降っている。
少しは涼しくなったが、昼間はモワッと暑い。
 
朝からずっとバタバタ仕事。
昼、高菜炒飯。
打ち合わせが終わって疲れ切って何もする気がなくなる。
 
やまやに寄って缶ビールを買って帰ってきて、クリーニング屋へ。
一昨日の天ぷらで油が跳ねたポロシャツを持っていく。
妻が預けたのを引き取って帰ってくる。
 
チコちゃんは拡大版のスペシャル。
新日本風土記品川宿。北と南、それぞれに祭がある。
猫歩きは京都の梅宮大社。流れ者の猫が仲間に加わるまで。
おんな酒場放浪記、タモリ倶楽部、金曜日のどっち。
午前1時半に寝る。
 
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08/24(土)
 
7時半起き。大草原の小さな家
「ジョーンズさんの鐘」またしても神回。
 
荻窪の床屋へ。102歳のお母様が亡くなられたとのこと。
マスターも心なしか元気がない。
終わって、以前『町中華で飲ろうぜ』に出ていた「啓ちゃん」に入ってみる。
家の近くにあったのに、入ることがなかった。
レバー辛煮丼にする。ピリ辛の中華丼にレバーが入っている。
12時を過ぎて店は満席。
ベビーカーに小さな子供を連れた外国人と日本人の夫婦。
年配の夫婦。会社かなんかの先輩後輩の男女。若者が一人。女の子二人連れ。
いろんなお客さんが次々に入ってくる。
隣りに座った男性は瓶ビール。まさに町中華
 
新宿の DiskUnion に寄って取り置きのCDを。
久保田麻琴の『サンセット・ギャング』と Grareful Dead『Steal Your Face』
安く売ってたのも合わせて買う。
Paul Weller『Heavy Soul』と Ash 「A to Z vol.1」の国内盤がそれぞれ100円。
 
帰ってきて LIVIN で買い物して、その後ライフへ。
少し涼しくなったようでいて、日が出ると暑い。
iPhone の曲の入れ替え。『龍の夢』の続きを読む。
イタリアを見る。夜はゴーヤチャンプルー
パッチギ!』を見た。しまった。こんなに面白い映画だとは思わなかった…
とんでもない傑作だった。
矢沢永吉70歳の番組をやってた。
お笑い向上委員会を見て寝る。午前0時過ぎ。
 
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08/25(日)
 
夜は涼しかったのが、
朝起きると日差しが強くいつのまにか暑くなっている。
9時起き。常備菜の準備。
切り干し大根の煮物。ブロッコリーを茹でて冷凍しておく。
レンコンのきんぴら。
昼は先日頂いたマルタイラーメンの九州ラーメン5つセットのうち、熊本を。
武田ハムのチャーシュー、桃屋のメンマと共に。
 
Lazy Sunday を聞き終えて、『龍の夢』の続きを読む。
焼酎をロックで飲みながら。インドの古典楽器を聞きながら。
千葉作龍の弟子、内山龍生と竹浪比呂央の二人のところ。
千葉作龍が竹浪比呂央を破門にした話など。
ここがひとつ、青森ねぶたの今ある姿を形作ってんだろうな。
 
笑点を見ようとしたら24時間テレビ。嵐と大喜利
世界遺産アイルランドの孤島。西の果てに約束の地があるとされた、その島。
弁当の用意。鯖を焼く。ベーコンとほうれん草のスクランブルエッグ。
モヤモヤさまぁ~ず2がなく、消えた天才の冒頭を。
体操女子、14歳で日本一となった天才少女は今、シンガポールマーケティングの会社の社長。
いだてんを見たのち、借りてきた『JSA』を。ポン・ジュノ監督・これは切ない話だった。
枝豆を茹でて缶ビール。
『Song to Soul』は「ラジオスターの悲劇」
午前0時に寝る。

床屋型コミュニケーションなど

仕事でよくやってしまうことなんだけど、
これぐらいはまあ皆に連絡するほどでもないなとほっといたり、
メーリングリストメッセンジャーツール、チャットツールで
誰宛でもなく流しておいたら当然誰も読んでなくて、
気が付いたら自分一人でいろんなことを抱えているという。
あるいは、さっき○○に書いたことなんだけどと直接伝えて回るか。
……何か本質的におかしい。
 
情報をしかるべきところに蓄積させて、流通させるということはいつになっても難しい。
ツールが進化するとしてもその多くはユーザーインタフェースに関わる部分であって、
人と人のコミュニケーションのあり方そのものを改善させることはない。
そのツールの使い方を工夫して有意義なものにするのはやはり人間なのである。
 
そういうことを考える一方で。
昨日、いつもの床屋で髪を切った。
切ってもらう間、マスターの最近こういうことがあったという話を聞く。
僕は相槌を打つ。
このとき、こちらはカバーをかけられて首だけ出して手は出さない。
だからスマホをいじったりはしない。
マスターも鋏と櫛を手にずっと髪を切っている。
 
今時珍しく、会話の双方がスマホを手にしていない。
これって貴重なことだなと。会話だけで会話を成り立たせるというか。
そういうこともあって話したことの多くが記憶に残っている。
美容室だと雑誌が読めるということはスマホも触れるか。
こういう床屋型のコミュニケーションをもっと増やさないとな、と思う。
 
コンサートの会場で聴きながらスマホをいじってるのも普通のことになって、
そのうちに映画館で映画を見る時もスクリーンの照度を落として
スマホ片手にとなるかもしれない。
 
それはそうと2020年のオリンピック。
僕らが今想像する以上に外国人観光客が訪れて、交通機関が混雑することになる。
そんなとき立っようと座ってようとスマホを眺めてるだけで周りに無関心という人たちばかりだと
大小様々な問題が起きかねない。
スマホに夢中になって通路をふさいでしまうとか、席を譲らないとか。
せめてオリンピック期間中だけでも車両の中や駅構内でのスマホ利用の規制を行うべきではないか。
スマホ禁止車両を用意するのは、……安易か。

『岸和田少年愚連隊』『パッチギ!』

妻が見てみたいというので借りてきて、、
先週の日曜『岸和田少年愚連隊』を、今日の夜『パッチギ!』を見た。
びっくりした。そして悔やんだ。
俺は何でこんな面白い映画を見逃していたのだろうと。
正直、全く期待していなかった。
井筒監督って言うと深夜番組のけったいなおっさんというイメージで。
 
もう理屈抜きで面白い。
岸和田少年愚連隊』なんてストーリーらしいストーリーはなく、
ただ喧嘩に明け暮れているだけ。
なのになんだこの圧倒的な存在感は。
しかもほとんどの登場人物がナイナイの二人を初めとする吉本の芸人で素人。
(ちなみに山本太郎宮迫博之という2019年夏を代表するふたりが出演している)
 
なのに素人っぽさがみじんも感じられず、セリフ回しも違和感がない。
これって演じ手の魅力を最大限に引き出しているからか。
奇跡というか、この時この場でしか撮れない映画を撮るという
稀有な才能があるんだろうな。
 
パッチギ!』も大半が喧嘩のシーンなんだけど
主人公が「イムジン河」という歌に出会い、
クライマックスに歌うという流れがあってよくできている。
こちらもまた役者たちが塩谷瞬沢尻エリカ高岡蒼佑と適材適所。
在日朝鮮人と分かり合えるのかという永遠の問題にも
自らのスタンスを出すことで
岸和田少年愚連隊』と比べて格段に奥行きが生まれている。
 
映画の中心に歌がある、というのが強い。
イムジン河」に全てが集約されているだけではなく、
オダギリ・ジョーの歌う「悲しくてやりきれない」も
映画にスッと寄り添っていた。
音楽はフォーク・クルセダーズ加藤和彦が担当してるんですよね。
 
とりあえず妻とは、もう一度見ようと。

海の向こうで戦争が始まる

昨日の韓国が「GSOMIA」を破棄というニュース。
(日韓防衛当局間で軍事機密のやりとりを可能にする軍事情報包括保護協定とのこと)
 
ああ、こんなふうにして
案外、来年の今頃は日本と韓国とが戦争が交戦状態にあって
阿部首相がかつて言ったところの「わが軍」が戦地に赴いている、
日本か韓国かその間のどこかで死んでいく、
そんな光景を僕らはネットニュースやテレビで眺めながら暮らしている、
そうなってもおかしくはないな……、と思った。
 
この世界の片隅に』であれ、どんな戦争映画でもそうだが、
戦争というものは何もないところからいきなり突然始まるのではなく、
日々少しずつ少しずつ気が付かないぐらいのスピードで状況が悪化していって、
後戻りできなくなる決定的なポイントに差し掛かっても
その時にはわからないまま。
そこを過ぎてしまうとあとは一気に下り坂を転げ落ちていく。
 
今、そういう悪化をひとつひとつ積み重ねていってるんだなと。
数週間前、日本が韓国を貿易上の優遇対象国のリストから外したとか、
いや、それ以前に数年前から
韓国に対するヘイトスピーチを白昼公然と駅前で行う団体が増えたなとか。
僕ら自身の多くはおそらく韓国や韓国人に対してなんらネガティブな感情を抱いていない。
ヘイトスピーチを僕らの日常の「例外」と捉え、
今回のような政府間の攻防をブラウザやテレビの向こうの出来事のように思う。
そのうちに、取り返しのつかないことになってしまう。
サイレントマジョリティーはただ巻き込まれるだけ。
 
どうにかできないものか。
今、世界的に「○○が気に入らない」「○○を排斥しろ」という
極端な意見ばかりが注目され、
サイレントマジョリティーがそこに与することはない一方で
同調するごく一部の極端なコメントが群がっていき、
ひとつの流れを形成していく。
下手に関わると痛い目に会うから僕も含めて皆、見てみぬふりをする。
戦争が始まったとき、僕らはそこに責任を、その痛みを感じるだろうか。
ただ、何もできなかったという徒労感だけが残るのか。
 
来年の今頃、どうなっているだろう。
誰が流れを変えてくれるのだろう。
待っているだけだと、戦争が始まってしまう。