いい風呂の日

11月26日は語呂合わせで「いい風呂の日」
なんかイベントあるだろうかと見てみたら
富士山の麓にある下部温泉の11の施設にてこの日無料で入浴できるという。
 
これまで何度か書いたことがあるが、
学生生活も終わりを迎えようとしている3月後半の春休み、
映画サークルの後輩が車に乗ってロケハンに行くというのでついていった。
山中湖のほとりにトランポリンを設置したドライブインがあるという。
樹海に少しだけ入ってみて、トランポリンを探して、
明け方温泉に入って帰るかという話になって地図を探したら出てきたのが下部温泉
朝の9時という中途半端な時間にもかかわらず
部屋に入れてくれるという温泉宿があってありがたく利用した。
飾り気のない古びた、湯治場のような温泉だった。
部屋も客室というよりは布団が積まれた物置だった。
だけど中居さんのおばちゃんがおなかすいてるなら食べる?
ほうとうの入ったカレーを持ってきてくれて、
賄いの残り物なんだろうけどすきっ腹を抱えた僕らにはとんでもないごちそうだった。
 
下部温泉甲府からローカル線に乗って行けば着く。
あの温泉宿また行ってみたいなあと思ってある時調べたことがある。
しかし宿という宿をしらみつぶしに見てみたけど、どれも違う。
廃業した宿の情報がWEB上に残っていたのを見つけた時、
あ、もしかしたらここかもしれないなと。
なんだか切ない気持ちになった。
あのおばちゃんは他の宿に再就職できただろうか。
 
今から十数年前、大学の寮の友人が青森支社に異動になって数年間を過ごした。
夏に帰省したときに会うということが何度かあって、
彼の運転する車で青森県内を旅した。
下北半島を回ってみようと恐山から薬研温泉へ。
鄙びた宿がいいとその一帯で最も安いところにしたらなんとも侘しい佇まいで。
料理は悪くないし、部屋で飲む岩魚の骨酒がうまくて何度も頼んだ。
でもその数年後、あの旅館で火事があったと友人から聞かされた。
ボヤだったか全焼したか今となっては記憶がはっきりしない。
後者だったような……
これも事故だったのか、それとも……
 
もしやと思い、6年前、熊野古道を歩いたときにお世話になった民宿を探してみる。
老夫婦二人だけが営む小さな宿だった。
その日泊まったのは僕だけ、もしかしたらしばらくお客がなかったかもしれなかった。
しかし服を洗濯してくれたり家庭的にもてなしてくれた。
次の日の朝、昼に食べるおにぎりを握ってくれた。
ここも今は営業を終えていた。
 
なぜか今、そういうことばかり思い出す。
そんな風呂の日。
どれもいい思い出なんだけど。

11/18-11/24

11/18(月)
 
先日光が丘LIBROで見かけて買った
しんがり 山一證券 最後の12人』を読み始める。
入社後一年目は日本橋のビルだった。
二年目から茅場町のビルに移ったそこが、まさに山一證券の入っていたビルだった。
そのビルから見えた永代橋の風景が描かれていて、感慨深い。
 
昼、弁当。鯖。ソーセージ。きんぴらごぼう。ニンジンのグラッセ
こんにゃく炒め。ブロッコリーミニトマト。昼寝。
 
PowerCenterの件、別のDBに3rdパーティーODBCを入れた後の
動作確認がうまくいってなかったのが色々問い合わせしたり試したりで何とか解決へ。
 
帰ってきて弁当の用意。豚バラ肉で生姜焼きを作る。玉子焼き。
妻から帰りの地下鉄が混んでいて辛いと LINE が届くが、
毎晩のようにそういう話で、何を言うべきかうまく返答できない。
夜は先日の白菜の残りを漬けたものと、舞茸をバター醤油で焼いたものと軽く。
酒場放浪記。逆転人生。町中華で飲ろうぜ。
午前0時に寝る。
 
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11/19(火)
 
朝、地面が濡れていた。雨が降ったのか。
打ち合わせなし。一日の大半を PowerCenter の作業。
Select ができるようになって、Insert を試す。
WorkFlow を作っていたら、グループごとに連番を振るのが難しいということがわかる。
これまでで一番の難題。周りのPJに聞くがわからずとのこと。
昼、弁当。昼寝。
定時で帰ってきて、先週に引き続き海苔弁当にしようと LIVIN で竹輪の磯辺揚げと白身魚フライを探す。
先週は竹輪がなく、今週は白身魚がない。とり天を買う。
鑑定団、迷宮グルメ。
23時過ぎに布団へ。
 
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11/20(水)
 
妻が掛け布団を抱え込んでしまって寒い。毛布一枚で寝ていた。
給料日。思っていたより多くは言っているな、と思うが通勤定期代。
昼、弁当。昼寝。
出荷のフローをまとめるために簡易版のシーケンス図みたいなものを作り始める。
夕方打ち合わせ。一進一退。
帰ってきて弁当の用意。パックのトンテキを焼く。卵焼き。
夜は鍋の余った大根でみそ汁をつくる。
妻が弁当にもっていけなかった鮭で炒飯。
同じく鍋で余った春菊を使う。
街録を見て寝る。
 
妻が今月有効期限切れになるポイントがあるということで使えそうな飲食店を探す。
練馬の焼鳥屋となる。
1月、2月と熊本に帰る話が出て妻が航空券を予約。
 
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11/21(木)
 
最近は朝、バナナとみかんを食べている。
PowerCenter問い合わせ。
要件定義の資料作成、打ち合わせ。
底なし沼の中にいるような気分になる。
今週1月以後の体制についてバッドニュースがあって、やはりどうにもならず。
開発側は一部、しばらく土曜も出社すると。
 
昼、弁当。昼寝。
帰りの地下鉄で『しんがり』を読み終える。面白くて一気に読んだ。
著者は「清武の乱」のあの方だったのか。読売新聞社を追われて、ノンフィクション作家へ。
 
帰ってきて弁当はそぼろを用意。
妻に借りたクリーニング代を返そうと。
駅のコージーコーナーでチーズケーキを買って添える。
バスク地方のだという。最近流行っているのか。食後食べた。
夜は簡単にチキンラーメンとアボカド。
家事をしながら鑑定団の再放送を見た他、テレビは見ない。
23時半に布団へ。
今晩も昨晩もみみたがボールを持ってくる。
 
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11/22(金)
 
朝、関東地方で地震練馬区は震度2で、起きてあれこれしていた僕は気付かず。
寝ていた妻が起き上がってテレビをつける。
この日は終日雨のようで、家を出るとぽつぽつと。
ヴァージングループの創業者:リチャード・ブランソンの自伝を読み始める。分厚い。
小宮山書店の3冊500円のワゴンセールで投げ売りだったと思うが、開いてみたらサイン入りだった。
 
昼、弁当。昼寝。
課題のうちひとつは僕の勘違いで問題なし。
もうひとつの課題はより大きな問題へ。身動き取れず、詰んだ状態。
このままいくと感情論でさらにこじれそう。
 
19時過ぎまで残業して帰ってくる。本格的に雨。
駅で妻と待ち合わせる。
IMA で野菜を買う。久しぶりにケンタッキーフライドチキンを。
スヌーピーのマグカップがついてくるパックにした。
新日本風土記を見ながら食べる。名古屋の大須商店街
猫歩きは能登半島
おんな酒場放浪記。この頃から眠くてしょうがない。
何とか頑張ってタモリ倶楽部まで見る。
JRに乗り入れが決まった相鉄線がテーマ。
午前1時前に寝る。
 
駅前のイオンも。妻が朝、前を通りがかったら
ブラックフライデー仕様の森永チョコボールを配っていたという。
 
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11/23(土)
 
雨が続く。しかも寒い。昨日は1月の気温だったとか。
8時起きで傘を差して床屋へ。
終わって神楽坂。「あげづき」に行ってみたらこの雨で寒い中も並んでいる。諦める。
この日神楽坂では「若狭まつり」とのことで
あちこちの店でワンコインランチ。
そのひとつに入ってみる。ソースカツ丼
おいしかったが、分量もワンコイン相当……
 
会社へ。開発メンバーが出社しているのでCanalCafeで買って差し入れを。
インスタントコーヒーを一杯飲んでオフィスを出る。
先ほどのソースカツ丼でガラポン抽選会の券をもらう。
会場が赤城神社なので割と遠い。でもこの機会に行ってみるかと思う。
雨の中探すのもなんだなと外に出る前に鞄を漁るが抽選権が見つからず。
仕方なく諦める。縁がなかったか。
新宿駅から大江戸線に乗って本を開いたら挟まっていた。
 
新宿のDiskUnionに立ち寄って取り寄せのCDを買って帰る。
駅に着いて家まで戻るが中には入らず、そのまま傘を差してライフまで。
食材を買って帰ってくる。
昨日から床暖をつけていて、みみたが寝そべっている。
 
腹が減ってラーメンを二袋分まとめて茹でて食べる。
武田ハムのチャーシューを乗せる。
賞味期限切れの熊本ラーメンの棒のがあった。
イタリアを見て、以後見たいテレビはなし。
音楽を聞きながらCDの解説を読んで過ごした。
破の伝習座に行っていた妻が帰ってくる。
寝たのは午前0時半。
 
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11/24(日)
 
金曜からずっと雨。
朝起きてもまだ小雨。ジョギングには行かず。
イタリアを見て、Lazy Sunday を。
11時頃から晴れ間が見えた。20℃まで上がるようだ。
常備菜の準備。切り干し大根の煮物。レンコンのきんぴら。
ブロッコリーを茹でる。インゲンの胡麻和え。
昼はトーストに武田ハムのチャーシューとレタスを挟んだサンドイッチ。
 
Lazy Sunday を聞き終えて、
妻が二子玉川で買う物があって車で行くというのでついていく。
環八は思ってたほど混んではいなかった。
高島屋からライズへ。
女性向けのおしゃれな雑貨屋で肩たたき棒的なものを見つけ、買ってみた。
ライズの地下にたこ焼きの「くくる」があって、
住んでた頃は一度もイートインを利用する機会がなかったのを小腹が空いたので入ってみた。
ふたりで10個は多いんじゃないかと最初は妻も言ってたが、あっさりとペロリ。
東急ストアで食材を買って帰る。
帰りは駒沢公園から246を経由して環七、目白通りというルートで。
環八の渋滞に巻き込まれず、45分ぐらいで着いた。
 
弁当の用意。いつも通り鯖を焼く。ソーセージを焼く。
夜は野菜スティックとポテトチップ。
なんとはなしにテレ東のカラオケバトルを見てしまう。
ブレイク寸前の歌手の大会だった。
Coversの井上陽水もついつい見てしまう。
横山剣田島貴男ハナレグミ、glim spanky の4組。
午前0時過ぎに寝る。

時限爆弾

こういう話。
40近い男は長距離トラックの運転手だ。
明日から3日間の休みをとれることになったが、夕方、営業所の所長から急に
「運んでほしいものがある」「他にいないので引き受けてほしい」「今すぐ」と言われる。
とりつくしまもなく、一方的に決まる。
伝票を見ようとすると「積み荷のことは聞くな」という。
「向こうに届きさえすれば危険はない」と。
そういえばさっき、営業所に見覚えのない黒いスーツ姿の男を二人見かけて
珍しく所長がペコペコと頭を下げていた。
帯広の営業所から前橋の営業所へ。
既に積み込みは終えていて、着いてから下ろすのは向こうの人間がやる。
なんなら特別手当を少し出してもいいと所長の財布から現金で渡される。
「前橋で2・3日休んでから戻ってきてもいいぞ」
いつもより一回り小さなトラックで、積み荷がさほど大きくないことを知る。
 
男は営業所の裏の自販機でブラックの缶コーヒーを2本買ってトラックに乗る。
ラジオをつける。音楽を聞く。一人きり無言の時間となる。
営業所を出て高速に乗る。単調な時間が続く。日暮れとなる。
函館からフェリーで本州に渡る。
その前にサービスエリアに立ち寄って休憩する。
大型車の駐車スペースに停めてトイレに向かおうとすると
女の子がトラックの運転手に話しかけて断られているのを見かける。
別の運転手に話しかけてまた断られる。
女の子がこちらに向かってくる。
向こうに渡りたい、お金がない、コンテナに隠してくれないかという。
そんなのいいわけがない。男は断る。
「どうしてもですか?」「悪いね、仕事だから」
女の子は10代の終わりぐらいか。肩掛けかばんひとつだけ。
何があったのか。家出してきたのか。
女の子は他のトラックへと向かう。また断られているのを見る。
男は、家出をしてそれっきり家に帰らずトラックの運転手をしている。
そんな自分のことを思う。
 
トイレを出て缶コーヒーを買う。一本ではなく、少し迷って二本。
一本は砂糖とミルクが入ったのを。
先ほどの女の子がベンチに座っているのを見かける。
思いつめて、途方に暮れて。
男は話しかける。コンテナは無理だが助手席に乗って行くかと。
女子は喜んで後を付いてくる。助手席に乗る。
缶コーヒーを二本渡す。好きな方を選ばせる。女の子は甘い方を選ぶ。
これからフェリーに乗ることを伝える。
フェリー代は男が出すから気にしなくていいと。
ただし、雑魚寝になるというと、女の子は受け入れるように頷く。
男は若い頃、家庭というものを持ちたくて何も考えず結婚した。
2・3年で離婚した。
娘が大きくなったら今のこの子ぐらいになっているだろう。
男は自分からは何も話さない。
女の子から聞かれたら簡単に返すぐらい。
どこまで行くのか、とか。トラックの運転手は大変なのか、とか。
 
暗くなっている。トラックをフェリーに乗せて下りる。
3等の席へ。区切られた広間に毛布と枕がある。
男は弁当を二つ買う。ひとつを女の子に渡す。
朝、トラックの前に来てくれればあとは自由に過ごせばいい。
そう言っても女の子は男の側から離れようとしない。
フェリーが港を離れた。
男は何も言わず早々と横になる。女の子もそうする。
男は時折目を覚ます。女の子は眠れないようだ。
次に目を覚ました時、女の子がいない。くしゃくしゃになった毛布だけがあった。
男は女の子を探しに行く。
デッキに出て一人きり海を眺めていた。男は離れたところに立って声はかけない。
戻ろうとすると営業所で見かけた黒いスーツ姿の男を見かける。
後を追ってきていたのか。積み荷の無事を確認するために。
男はこちらに気づいたが何食わぬ顔をして通り過ぎて行った。
 
朝、女の子を起こしてトラックに戻る。
港を出る。高速に乗る。東北道。案外混んでいる。
最初のサービスエリアで休憩する。小さなフードコートで簡単な食事をとる。
どこまで行くのか改めて聞くと、よくわからないことを言われる。
前橋まで行くけど、と言うとだったら前橋まで乗せてくださいと。
東京まで? と聞くともっと先に行きたいという。
そうか、と男は黙っている。
また高速を走る。女の子が助手席でずっと眠っている。
寝返りを打った女の子が男にもたれかかる。
寂しかったのか、男にしがみつく。男は振り払おうとはしない。
 
昼過ぎになって前橋の営業所に着く。
その手前で女の子を下ろしていた。
これで終わりと思っていたら小倉の営業所までそのまま行ってほしいと言われる。
手当は弾むからできれば休憩なしでよろしく頼むと。
腫れ物に触るかのような。これまでそんなことはなかった。
黒いスーツの男はいない。しかしその存在を感じる。
トラックに乗って営業所の敷地を出る。
女の子は入口の側に立っていた。クラクションを鳴らす。
気づいた女の子が走り寄ってくる。
 
小倉に向かって走り出す。
黒いスーツの男がトラックの走りだすのを見守る。
運転手の男と助手席の女の子は積み荷が「ある種」の時限爆弾であることを知らない。

トマトソースのカツ丼

荻窪の床屋に行ったのち、
常駐先のオフィスに立ち寄る用があったので神楽坂へ。
「若狭まつり」というイベントが開催されていて、
いくつかの店でワンコインランチた楽しめるという。
せっかくなので入ってみた。
その店では若狭ポークを使ったソースカツ丼だった。
なかなかおいしかった。
(量はワンコインランチ相当だったが……)
 
ごはんの上に揚げたてのトンカツを乗せてソースをかける。
あるいはソースをくぐらせたトンカツを乗せる。
店によっては千切りのキャベツを添える。
簡単だけどトンカツの味そのものを楽しむには
卵でとじたカツ丼よりもこちらのほうがふさわしいと思う。
 
「かつや」であんかけカツ丼を始めたと聞く。
新しいカツ丼が作れないか考えたとき、
鉄板の上にカツを乗せてトマトソースをかけ、その上にチーズ。
それをオーブンで焼いてチーズがとろけたところをごはんの上に、
というのはどうだろうと考えた。
案外合うんじゃないかと。相当なカロリーだけど。
肉は薄い方がいいだろう。豚肉よりも牛肉の方がうまそうな気がする。
そう思って調べてみたら既に結構な数のレシピが CookPad に集まっていた。
皆考えることは同じか。
トンカツにケチャップもいけますからね。
 
そういえば竹橋の毎日新聞社の入ってるビルに「タカサゴ」という洋食屋があって
そこではトンカツを乗せたパスタ、という一皿がある。
名物というから食べてみたけど、
単純にトンカツを乗せたミートソースのパスタという足し算であった。
これを掛け算にするにはどうしたらいいのか。
僕ならこの場合、トマトソースではなくカレールーをかける。
しかも「インディアンカレー」のようにライスならぬパスタを
カレーソースに絡め切った状態でトンカツを乗せ、そこにさらに生卵を。
 
以前ネットで見ていたらどこかの店に
卵でとじるのではなくオムレツを乗せたカツ丼というのがあった。
あれもうまいだろうな。トロトロふわふわアツアツのオムレツを開いてカツの上に。
僕ならそのオムレツは和風にして、出汁を効かせる。
 
ソースカツ丼に話を戻して。
ごはんの上にトンカツ、その上にソースではなくマヨネーズでもいいんじゃないか。
マヨネーズが合わないものはこの世に存在しないけど、トンカツはマヨネーズがかなり合う。
……わかった。玉ねぎを油ではなくマヨネーズで炒める。
それをごはんの上に乗せてその上にトンカツ。そこにソースをかける。
お好みに寄ってマヨネーズやケチャップも。
で、どうかな。
 

カニメロン

先月、支持者に対してメロンやカニを贈ったことが露呈して大臣をスピード辞職した例の議員。
練馬区を地元にしているので道を歩けばあちこちでポスターが貼られている。
色褪せようとなんだろうと今も貼られている。
たぶんこれから先5年先、10年先もずっと貼られ続けるだろう。
 
僕はそれまでいい印象を抱いていた。
数年前に練馬区ハーフマラソンを走ったとき、
街頭に立ってランナーたちを応援している姿を見て好感を持った。
元々スポーツマンらしく、
スポーツに励んでいる人に政治家という枠を超えて共感を抱いているというような。
そんな佇まいだった。
この人は清濁併せ吞むことができていいんじゃないか、という印象を受けた。
 
今度の事件があって初めて、先日、昼に弁当を食べながら Wikipedia とかあれこれ見てみた。
いいことはあんまり書いていなかった。
高校時代野球部に属していて甲子園に出たとあるがベンチ入りしていなかったとか、
大学時代はディスコの全国大会で3位になり、
そのとき7位だったのが SMA で一緒にユニットを組んだとか。
国会を休んで愛人とハワイ旅行に行ったのが文春に書かれたとか。
そういうのを読むと「なんだ、そんな人だったのか」と。
僕も見る目ないなー、なんてころっと心の中で掌返してしまう。
人間なんて勝手なもの。
 
3年も5年もしたら今回のことも忘れられて、
覚えていても「そんなこともあったか」ぐらいに曖昧なものになって
衆議院にも引き続き当選するだろうし、また大臣に返り咲くかもしれない。
政治なんて、政治家なんて、そんなもの。
むしろ箔がついたということになったり。
 
メロンやカニを贈るというのは
衆議院議員のクラスともなると誰でもやってることなんじゃないか。
支持者が亡くなったときに香典を出すとか。
他の人はもっとうまくやってるのをあの議員は少し、
というかかなり脇が甘かったのか。たぶんそうなのだろう。
今回のことで何を学ぶのか、ということは地元の有権者としてとても気になる。

「四人のロバ引き」

iPhone の中でたまたま目に留まって、Charlie Haden 『Liberation Music Orchestra』を聞いた。
Carla Blay が編曲、他、Don Cherry や Gato BarbieriPaul Motian など
当時を代表するアメリカのジャズミュージシャン10人を超える「オーケストラ」で
1969年に録音。若者たちが革命へと向かった時代。
その名前が表すように自由を求め、1930年代後半のスペイン内戦をモチーフとした。
Charlie Haden や Carla Blay らの自作曲以外に、当時歌われた民衆の歌を演奏している。
2曲目のメドレーがそうで、聞いていたら覚えのあるフレーズが出てきた。
「Los Cuatro Generales」という。
 
アメリカのAvan-Folk(前衛フォーク)系のシンガーソングライター Josephine Foster が
2012年に発表した『Anda Jaleo』の1曲目が「Los Cuatro Muleros」
これだ。前者が「四人の将軍」で、後者は「四人のロバ引き」となるようだ。
スペインを代表する詩人、ガルシア・ロルカが集めた民謡集
『Colleccion De Canciones Populares Españolas』から選んでカバーしたもの。
この曲を1曲目に持ってくるというのは単なる偶然ではなくて、
『Liberation Music Orchestra』に対する敬意が Josephine Foster にあったからではないだろうか。
ロルカはスペイン内戦のさなか、1936年に銃殺されている。
Charlie Haden たちもまた、ロルカに対する敬意があったのだろう。
 
素朴な民謡の「四人のロバ引き」だったのが
スペイン内戦の時期にまた歌われるようになったとき、「四人の将軍」となったと思われる。
民衆の敵を揶揄するために歌詞を変えて歌い継がれた。
このとき、21世紀のJosephine Foster は「四人の将軍」ではなく、原曲の「四人のロバ引き」を歌った。
これはロルカの民謡集に忠実に従ったからというのもあるんだろうけど、
スペイン内戦の時期に歌詞を変えて歌われたという表面的なところを取り上げるのではなく、
長らく歌われてきた歌の根っこにあるもの、
民衆の奥底にあるもの、その信じるに値する力を掬い上げたかったからではないか。
 
Josephine Foster の歌う「Los Cuatro Muleros」は一見民謡のようでいて
盟友 Hector Herrero の弾くアコースティックギターによるソロが
ザクザクと切り込むようでなんともロックな魅力に満ちている。
「四人の将軍」として大衆の口ずさむ流行歌となり、その後別の国で息を吹き返し、
『Liberation Music Orchestra』ではジャズ、『Anda Jaleo』ではロックとなる。
ここでは「四人のロバ引き」に代表されるが、民謡というものの底知れぬ力を感じさせられた。

永代橋のビル

今週は文庫になったばかりの、清武英利しんがり 山一證券最後の12人』を読んでいる。
山一證券の本社ビルから見る永代橋隅田川の眺めについて記された一節があった。
1997年の経営破綻で山一證券がそのビルを手放し、
一般のオフィスビルとなった後に僕らの会社がいくつかのフロアを借りた。
僕が入社2年目だったので2000年のことか。
山一證券のニュースは聞いていたけど僕が就職活動をしていた1998年には
既に過去の話になっていたし、取り立てて株の取引に興味があったわけではない。
当時仕事していても「あ、そうだったんですか」ぐらいの話で特に意識することはなかった。
前に入っていた会社の痕跡は何ひとつ残されていなかった。
 
でも今、社会人として20年働いたのちに
あのフロアが巨額損失隠蔽の現場だったのかもな、密談が交わされていたのかもな、
なんて思うとなんだか感慨深い。
それは単なる偶発的な犯罪ではなくて、
企業という大きな、内に向いた組織の中でどっぷりと日々を過ごすうちに生まれてくる
逃れようのないしがらみが全てを狂わせていったわけであって。
外の世界が見えなくなったとき、そんな自分を正当化するうちに、突如雪崩のように全てが崩壊する。
時と場合によっては誰でも巻き込まれる可能性のあるものだよなあと。
 
自分が働いていた会社が突然倒産してしまう。
多くの社員にとって、特に全国各地の支店で働く者にとって
それは全くもって予期していないことだった。
茅場町の本社で働いていた中にはあの日、呆然として窓の外を眺めていた人もいるだろう。
永代橋まで出て、隅田川に沿って伸びる遊歩道をあてもなく歩いた人もいるだろう。
陽の光を浴びて川面が輝いている。
水上バスが行き交い、観光客がのんびりと過ごしている。
ベンチにお年寄りが座り、若者がジョギングしている。
多くの人にとってはその日は、ごく普通の日だった。
そしてまたビルに戻って、現実と向かい合った。
あのフロアは、そんな空間だったのだ。
 
僕は仕事で行き詰まったとき、抜け出しては川沿いを歩いた。
何十分も、あるいは何時間も。
今思うとなんてことない仕事だった。
死ぬとか生きるとかそういうことは問われなかった。
明日どうしようとか、家族をどうしようとか、そういうことはなかった。
そして、かつて山一證券の入っていたビルにいつも戻っていった。
あのフロアで働いていた人たちはその後どうだったのだろう。
そこにはいろんな可能性があったのだということを思う。