なんとなく、3つのこと。

最近ふと思ったのが、
自分はもう当事者として入学式とか入社式というものに出ることはないんだな、
歳をとるってそういうことなんだな、と。
もちろん、今から社会人大学に入るということもなくはないが、…
入〇式の類。自らそういうイベントをプライベートで作らない限り、なさそう。
 
かといってこれから卒〇式の類のイベントがいくつか待っているかと言えば、そんなことはない。
3月末、定年退職した人向けの式典を開催するという会社はどれだけあるだろう。
最終日にその部や課の人たちを前にしてスピーチをして、
もしかしたらお祝いの品をもらって、送別会で居酒屋に行って、それで終わりか。
そう、式ではなく、会へとグレードが下がる。
卒業という言葉が似あうのは学生時代までか。
 
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妻から聞いた話。
母親ペンギンが卵を産むと、父親ペンギンがその卵を抱えてうずくまり、温める。
母親ペン儀は産み終えてすぐ、食べ物を探して海へ旅立つ。
海辺が遠いこともあり、何カ月も帰ってこない。その間ずっと父親は孵化を続ける。
産卵を終えて母親ペンギンもズタボロの状態だ。命を落とし、戻ってこれない者もいる。
そこまで聞いて思う。…なんで父親がエサを探しに行かないのか。
 
ペンギンは人懐っこい生き物である。
遠くに生物学者がいるのを見かけると鳴き声を上げる。
生物学者は敵ではないことを示すために鳴き声を真似する。
しかし何も返さなくてもペンギンはトコトコと近づいてくるという。
 
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最近塩レモンサワーが流行っている。
サントリーから「明日の塩レモンサワー」というのが出てた。安いので何度か飲んだ。
寶酒造のレモンサワーのシリーズからも満を持してなのか、
「つけ込み塩レモン」というのが出た。
あのシリーズは「熟成つけ込みレモン」とか「瀬戸内レモン」とかおいしいですね。
 
缶のレモンサワーって難しい。なかなかこれ、というものに出会わない。
変に甘ったるかったり。
グレープフルーツやオレンジは本絞りを飲むけど、レモンだけは飲まない。何か微妙に合わない。
一方で店で飲むレモンサワーはうまい。ビールを最初に飲んでからはあと、そればかり。
この難しさって鮮度によるものだろうか。そう、缶チューハイにはどうしても雑味を感じてしまう。
どこのメーカーだったか、収穫してから絞るまでの工程を見直して、いかに圧縮するかに取り組んでいた。
でもそういうことを考えると、ただのチューハイにレモンを自分で絞った方が断然うまいということになる。
というか焼酎と炭酸水とレモンを買って自分で配分する。
思えば去年の夏はそうやってつくったレモンサワーばかり飲んでいた。
無意識のうちにそうなっていたことにようやく気付いた。

04/01-04/07

04/01(月)
 
いつも通り7時出社。大江戸線のダイヤ変わったかな。
4月1日。新入社員らしき若者たちが集団で乗ってくる。
朝早い会社なのか。皆寝てるかスマホをいじっている。会話はない。
 
google は今年もキーボード。
8:22 の時点で動画の再生数は 13,821 と振るわないような。
公開したのはいつなんだろう。
もう飽きられてんじゃないかな…
 
11時半、新しい元号が発表される。
ネットの中継動画をミーティングスペースで見ている人たちもいた。
昼、弁当。焼き鮭や竹輪炒め。
 
仕事が行き詰まって、先週からずっと鬱々として過ごす。
ギブアップ。定時で帰る。
帰り、やはり定期券売り場が混んでいる。すごい行列。
 
家に着いた頃から大雨。
昨日車検で出した車が返ってくることになっていたが、妻も早く帰ってこれた。
蕎麦を茹でて食べる。
酒場放浪記。22時からは特に見るものもなく。
23時半に寝た。
 
リリアン・J・ブラウン『猫は14の謎をもつ』を読み始める。
 
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04/02(火)
 
昨日までの鬱々した気分が朝起きたらなぜか消える。
慣れたのか。吹っ切れる。
一日よい感じで過ごせた。
このレベルの成果物を日々出していければ、最後までなんとかやっていけるか。
 
昼、弁当。豚肉の金山寺味噌漬けなど。
20時半まで打ち合わせ。
帰り、30分ほど早く駅に着いて、LIVIN で買い物しながら待つ。
夜は海老と空豆のおつまみ天、一口イカフライ、ポテサラを買う。
妻が追加でアボカド、トマトのサラダを。
NHKのプロフェッショナルが幻の和菓子職人。
助けを求める声があれば全国どこでも車で駆けつけて指導する。
弁当の用意をして午前0時、布団に入る。
肌寒い一日だった。
 
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04/03(水)
 
世の中は元号の話ばかり。
昼、弁当。昨晩LIVINで安く買った牛肉のプルコギ、ほうれん草の卵焼きなど。
打ち合わせが15時まで。その後ぐったり疲れ切る。眠い。
甲子園は東邦が優勝。
定時を過ぎてから見積もりに向けて社内の打合せ。
19時半にオフィスを出る。
妻も早く帰ってくる。夜は湯豆腐ということになる。
鶏肉団子、マロニー。えのきだけ、水菜など。
『This Is Us』を見ながら弁当を作る。安く買った牛プルコギ。
猫歩きミニを見て寝る。
 
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04/04(木)
 
午前中、業務一覧の直し。
昼、弁当。焼いた鯖。
午後内部レビュー。皆疲れきって険悪な雰囲気に。
その後ずっとまた業務一覧の直し。オフィスを出たのは22時前。
夜は下で買ったサンドイッチ。
帰ってくると妻が風呂を沸かして、弁当の準備をしている。
午前0時前。すぐ寝る。
リリアン・J・ブラウン『猫は14の謎をもつ』を読み終える。
 
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04/05(金)
 
7時からもくもくと仕事。
午前中は業務一覧の直し。
どこまでやっても終わらないし、午後の打合せで間違いが次々に見つかる。
夕方から機能一覧の FIX に向けてエンドレスの打合せ。
朝まで、終電まで、という話も最初あったが、23時には一応終わった。
疲れきって帰ってきた。
 
松本仁一カラシニコフ』というノンフィクションを読み始める。
ロシアだけでつくられるのではなく、
旧ユーゴや中国、北朝鮮でつくれれた AK47
アフリカの反政府ゲリラのもとへ。
扱いが簡単だから、少年兵、少女兵のもとへ。
 
昼、昨晩妻が作ってくれた炒飯。
夜は打ち合わせの合間に買ったサンドイッチ。
帰ってきてタモリ倶楽部にギリギリ間に合う。
あいみょんが出てきて官能小説をリコメンドされる。
東京ラフストーリーの皇族の番組を見る。
名前が変わっただけで内容は変わらず。
妻が沸かしておいてくれた風呂に入る。
藤原ヒロシのCDガイドブックを読みながらウィスキー。
午前2時に寝た。
 
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04/06(土)
 
8時起きで昨晩見れなかった「チコちゃんに叱られる」を。
晴れ、というか暑いぐらい。
走りに行けばよかったんだけど、疲れててそんな気分にならず。
昨晩から鼻水が止まらない、というのもある。
暖かすぎて花粉が飛びまくっているのか。
掃除したりソファーで昼寝したり、『カラシニコフ』の続きを読みながら過ごす。
14時を過ぎて妻の運転する車で墓参り。
ライフで花とワンカップ大関、使い捨てライターを買う。
大泉学園のお寺さんへ。隠れた桜の名所。静かに手を合わせる。
 
帰りにくら寿司に寄って遅めの昼食。
しゃりカレーというやつを食べてみたいと。
初めての人にはどうやって皿をカウントするのかとか、
生ビールや瓶ビールをどうやってオーダーするのか、
とかよくわからないことばかり。
どことなく清潔感的にも落ち着かない。
食べ終えた皿を入れる口が機械的に洗いにくいんだろうなあとか
厨房が見えないところとか。
安いのはいいことで、2人で腹いっぱい食べて僕は生ビールも飲んで2,500円で済んだ。
たまにはありかな。でも、広告のようなネタではない。どこも同じか。
 
妻は学生時代バイトしていた小料理屋のマスターを偲ぶ会。
僕も駅までついていって、rockin'on を買った。
LIVIN は花見客でごった返していた。
18時から『小さな村の物語 イタリア』の300回記念スペシャル。
ベネツィアの近くの島。霧に包まれるため、家をカラフルな色に塗っている。
その後、『メロン牧場』と藤原ヒロシのCDガイドブックを読んで過ごす。
23時過ぎか。飲みすぎた妻を迎えに行く。
 
細野晴臣イエローマジックショー2』の再放送を見る。
正月に見逃した。ナイツが出てきて漫才形式で細野晴臣の経歴を。
教授の出演はちょっとだけだけど YMO が一瞬再結集して「RYDEEN」を、
星野源マリンバに加わって「Firecracker」を。
小山田圭吾もコントに出てたかな。
細野晴臣が「もやさま」に出た時の模様も紹介された。
表参道を歩いていて定食屋に入ったら偶然、細野晴臣がいたと。
最後の方寝落ち。午前1時過ぎていたか。
 
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04/07(日)
 
9時までよく寝た。
この日も晴れ。暑いぐらい。
妻は思いっきり二日酔い。
10時からイタリアの再放送。
これは以前、というか見初めの頃に見たことがある。
遂に追いついたか。
リリー・フランキー深津絵里のCMがなくなっていた。
四月の改編か。残念。
昨日のスペシャルの時からなくなっていた。
 
Lazy Sunday を聞きながら、常備菜きんぴらごぼう、こんにゃく炒め。
妻が置きあがれずで昼は焼きそばUFOに缶ビール。
酒のつまみにスモークウィンナーを焼く。
Lazy Sunday が終わって、散歩がてらライフへ。
途中にある高級な回転寿司の店が年末で閉店していたことを知った。
買い物を終えてまた歩いて帰る。
米を買なきゃいけなかったことを思い出し、引き返す。
 
日が暮れて妻の調子が戻ってきて、先日の車検証をもらいにいく。
カーステを新しくできないか相談する。
続けてその近くのコジマへ。空気清浄機とポータブルテレビを買った。
家に戻ってきてさっそくセットアップ。
この週末の暑さで花粉がひどかったのが、ぴたりと収まった。
もっと早く買えばよかったな…
ポータルテレビもサクサクっと。Wi-Fi経由でネットにもつながる。
録画もできる。防水で、風呂に入ったときに見ようかと。
 
弁当の用意。鮭を焼く。ウィンナーを焼く。ほうれん草入りの卵焼き。
夜は妻のリクエストでそうめんを茹でる。
麺つゆがないことに気付き、セブンイレブンに買いに行った。
夜は各地の知事選挙、県議会議員選挙の結果を見る。
大阪の都知事、市長は予想通りの結果に。
北海道知事はあの夕張市長が36歳の若さで当選。
『Song to Soul』は Enya 「Orinoco Flow」
あのアルバム、中学校の時に買おうかどうか迷って、
お金がなくて買えなかったんだよなー、ということを思い出す。
午前0時に寝る。

身体知

先週の『Lazy Sunday』でジョージさんがこんなことを言っていた。
サーフィンをやっていて、この波に乗るかどうか、
一瞬でも迷ってしまったらその波には乗れないのだと。
0コンマ何秒のことだとしても、タイミングを逃してしまう。
 
続けてこんなことを言っていたと思う。
だから来る日も来る日も海辺に出てかけて
何度も波に乗るということを繰り返すのは
技術の練習というよりも、
その時が来たら頭で判断するよりも前に身体が動き出せるように
感覚を研ぎ澄ませることなのだと。
 
考えなくていい、ということではない。
頭で考えることがその全てではなく
指の先が覚えていること、腹の底が覚えていること、
そういったことのひとつひとつが身体的な知性となり、
頭脳の知性と調和することでより大きな力を発揮するようになる。
 
その身体的な知性は繰り返し試すことでしか身に付かないものであるし、
先達に倣わないといけないし、少しずつしか進んでいけない。
そのために舞踏の型のようなものがあって身体に通していくことで学んでいく。
はるか昔の人類にはそういう知性しかなかった。
 
もっと言えば身体的な知性の時代があって、
頭脳的な知性の時代が社会的な知性の時代と結びついて、
それが AI であるとかネットの向こう側の知性の時代へ。
今はその転換の途上にある。
そんな時代だからこそ、身体的な、指先の、感覚の、知性がより重要になっていく。
でないと受け身になって他人の知性をただ受け入れるだけになってしまう。
その人の知性が奪われていく。
プリミティブな知の受け皿として、やはり身体的なものは必要なのだということ。

墓参り '2019

午後、妻の運転する車で墓参り。
大泉学園保谷の間にあって、混んでなければ15分ぐらいか。
途中、近くのライフに寄って墓に備える花とワンカップ大関
線香に火をつけるための使い捨てライターを買った。
車に乗せておけばいつか使うこともあるだろうとビニールシートも買った。
そういうことを思うのは桜の季節だからであって、
今日明日が最後の見ごろか。見事に咲き誇っていた。
 
手水所の近くに置いてある引き出しから線香を取り出して、浄財箱にお賽銭を入れる。
妻は桶に組んだ水で花を受ける細長い器を満たし、花の根元を鋏で切って挿していく。
その間僕は先行にライターで火をつける。
最初のうちは全然つかない。ついてしまうと全然消えない。
 
東京に来てからもう25年以上経つんだな、ということを思う。
上京して大学生のうちは小平や国立に住んでいて、
父の命日の頃、祖母に電話して待ち合わせて墓参りをした。
電車を乗り継いでいく。
祖母とはお寺さんの門のところで待ち合わせて、そこで別れただろうか。
会社員になって一年目の時に祖母が亡くなった。
 
荻窪に住んでいた頃は青梅街道を自転車で通って、
祖母の家の様子を見てから墓参りへ。
桜の季節だったから帰りは石神井公園に寄っておでんを食べながら缶ビールを飲んだ。
祖母の家は道路になることが決まって取り壊しになった。
その後も変わらず、かつて祖母の家のあった辺りを通ってから向かうのが習慣になっていた。
一人きり、気ままなサイクリングがてらの。
 
結婚して二子玉川に住んでいた頃はどうしていただろう。
今は車があって、二人のスケジュールを合わせて、という。
墓参りひとつとってもいろんなことが変わってしまったな、ということを思う。
帰りはくら寿司に入ってみた。二人とも初めてだった。
全国チェーンの回転寿司は安いのと奇抜なメニューが売りで、
周りは大家族か一人きりか。
40半ばの墓参りってこんなもんだよな、と思う。
東京は既にあちこちで桜吹雪が舞っていた。

妻とみみたの待つ家

仕事がまた大変な時期に差し掛かる。
なかなかうまく前に進まない。
スケジュールがかなり遅れている。
昨晩は会社を出たのが21時半か。家に着いたのは23時。
玄関を開けるとみみたが階段に座って顔をちょこんと出していた。
待っていてくれたんだな。
外の門扉が開く音を聞きつけて下りてきたのだろう。
 
妻が風呂を沸かしてくれている。弁当の用意もしてくれていた。
明日も早いし、帰りも遅いとすぐ布団に入る。
このところ僕が寝ようとすると、みみたは
さあスタートと言わんばかりに何度も何度もボールを咥えてきてはポトリ。
それを投げ返してと何十分も続いたもんだけど
この日ばかりは何かを察したのか、みみたも僕の側にやってきて
顔を少しばかりペロペロして、前脚をペシペシして、
手を出すとクンクン匂いを嗅いで甘噛みする。
足の方に回って、指先をまたカプカプと甘噛み。
一通り終えるとまたモソモソと歩いてリビングに戻っていった。
みみたなりに僕を元気づけようとしてくれたのだと思う。
 
今日も5時半前に起きて7時出社。
みみたに行ってくるよと声をかけて家を出る。
午後はずっと打ち合わせ。
夕方からはミーティングスペースを占有して、エンドレス。
終わるまで帰れない。
終電か、朝までかと言っていたが、一応23時には終わった。
へろへろになったがやりきった。
帰る家があって、妻とみみたがまっていることをありがたく思う。
 
鍵を取り出そうとしてふと見上げると
みみたは2階の和室の窓から見下ろしていた。
上がっていくとさっそくやってきて足元でスリスリ。
食べものをちょうだいと。
冷蔵庫から猫用のかにかまスライスを取り出して少し猫皿に。
しゃくしゃくと食べて、疲れて眠っていた妻の側で丸くなった。

ネバーエンディングストーリー

昨晩、なんとはなしにテレビをつけたら
桐谷健太がアフリカのサバンナを旅するという番組だった。
見る端々で「なあ、萬平君」「親友やないか」「100円は高すぎる」と言い出しそうな気がした。
今後、桐谷健太はどこで何に出るときにも「世」と書かれたバッチを胸につけるべきだと思う。
そんなわけで、なんだかんだ言いつつ「まんぷくロス」
 
個人的には助演男優賞を与えるなら、ダントツで世良さん。
最初スポットで出てきた悪役かと思いきや、
いつのまにかしっかり定着して仲間に加わっていた。
ジャンプ的と言うか、最近(でもないか)だと『ONE PIECE』的というか。
老いも若きも、皆そういうのが好きなんだな。
様々な個性を持ったキャラクターがひとつになって目標に向かって進んでいく。
降りかかる試練の数々を乗り越えながら。
指輪物語』しかり、物語の基本構造だ。
 
遠くに目標を置いて、仲間との出会いと別れ、強い敵と遭遇して戦う、
その時々の無くしたものや探すべきものがある、
というエピソードを連ねていくと永遠に書き続けることができる。
ONE PIECE』のように旅してさすらう、舞台の変化が物語の変化になるほうが作りやすいかな。
渡る世間は鬼ばかり』のようにひとところで年月を積み重ねていく方がはるかに難しいと思う。
(『サザエさん』や『ドラえもん』は設定だけがあって、永遠に変化しない、どこにも向かわない)
 
そこでふと、だけど。
NHK も本気で、ある一家の出会いと別れと成長の物語を30年かけて毎日15分ずつ放映します、
みたいな別の意味での大河ドラマに取り組んでみてもいいと思うんですよね。
始まったころには産まれたばかりの赤ん坊が中年に差し掛かり、
若い母親も初老になり、というのを少しずつ描いていく。
一人の役者が演じるのが望ましいけど、
いろいろと事情があるから途中で他の人に代わってもいいだろう。
毎日は難しいか。一カ月に一度、60分のドラマで、とか。
リチャード・リンクレイター監督の『6才のボクが、大人になるまで』のように。
国民の多くが見守りながら成長していく家族の物語。
スポンサーの制約のない NHK でないとできない。
 
テレビでは難しくても、ラジオドラマではできるんじゃないかな。
それでいえば、また少し変わって、
役に扮して疑似家族として一家だんらんの場で
その週の出来事を話す、みたいな番組があってもいいのかもしれない。
ドラマの要素半分ぐらいの。

いきものがかり

最近この曲いいな、と思うといきものがかりだった、ということが何回かあった。
でも曲の名前を覚えることがなかなかできず…
ベストアルバムがあったら買ってみるかな、と調べてみると
CD3枚組とか4枚組とかで手軽に10数曲入ったもの、なんてのがない。
 
じゃあってんで Amazon Echo で聞いてみるかとリクエストすると
Amazon Music Unlimited」でないと聞けないという。
(やたら細かく丁寧に AIスピーカーが解説してくれた)
Spotify にあったのでそっちで聞いた。
 
ここで、ハッと気付く。
ベストアルバムってこんなふうにストリーミングで聞く時代なんだな…
ベストアルバムってつまるところプレイリストだ。
 
だからいきものがかりもメンバー自身がセレクションしたというところを強調して、
独自のプレイリスト感を出している。
あるいは3枚組、4枚組としてファンへのノベルティ感を出す。
所有することにありがたみを持たせるようなパッケージでないといけない。
 
ドリカムのコンサートに行くと中村さんがよく、こんなことを言う。
「今回もCDで出すことができてありがたいものです。
 海外ではよく、CD出すってすごいねと言われます。
 今回がCDで出す最後かもしれません」
 
ここ数年、海外の余り知られていないミュージシャンやグループの音源を聞こうとすると
CDでは出てないことがよくあって。
ダウンロードかストリーミング、あったとしてもアナログ。
 
話がちょっとそれて。
前からそれとなく気になっていたけど、
いきものがかりのメインの曲書いてる方って大学の後輩にあたるんですよね。同じ学部。
だからなんか接点があるかというと何もなく、もちろん何年も離れてて、すれ違ってもいない。
同じ県、同じ市に住んでますというぐらいの近さでしかない。
もちろん、それが音楽性を評価する基準にはならない。
歌詞の中に思い出の定食屋が出てくるわけでもないし。たぶん。
でもなんか自分にしかわからない、独特な淡いポイントがありそうで。期待してしまう。
(自分の、というと語弊があって同じ学部の、ってことだけど)
 
同じ大学で言うと、先輩に Daily-Echo というバンドがあったけど
その後どうしたんだろう。
たまに思い出すが、一度も聞いたことがない。同じ学部ではなかったからか。