ゲームブックというもの

先週金曜の夜、妻の取材に付いていった。
僕も以前一緒にお仕事させて頂いたことのある方へのインタビューで、
その途中「子供の頃好きだったものは何ですか?」という質問が出た。
「岡村さんも好きだったんじゃないかと思うんですけど。ゲームブックってわかります?」
「あ、大好きでした!」
「……ゲームブックってなんですか?」
 
ロールプレイングゲームを紙の上でやるというか、
 主人公に選択肢が与えられて、Aだったら何ページへ、Bだったら何ページへ、
 と進んでいくことでストーリーが進んでいくんですよ。
 で、体力とか魔力とかパラメーターが数値化されていたのを紙に控えておいて、
 サイコロ振って出てきた値で敵にダメージを与えたり、こっちがやられたり……」
 
いろんな仕掛けやアイデアを目いっぱい詰め込んで
冒険ファンタジー系のストーリーが展開される。
僕が中学生の頃が全盛期か。
現代教養文庫から出ていた『アドベンチャーゲームブック』のシリーズが古典か。
S・ジャクソンとI・リビングストンという両巨頭によって書かれた
火吹山の魔法使い』『死のワナの地下迷宮』『死神の首飾り』など
30冊ぐらい日本でも紹介された。
僕も10冊ぐらい買って、友達の買ったのと交換してプレイした。
最初の方に、手に入れたアイテムや戦闘力の値などを書き込むメモのページがあって、
消しゴムで消しては書いてを繰り返すからボロボロになっている。
 
その筋では有名だけど、日本人の著者によるものだと
ネバーランドのリンゴ』『ニフルハイムのユリ』のシリーズが最高だったと今でも思う。
複雑にして長大なストーリー。
繊細で翳りのある、それでいてユーモラスな味わいもあるファンタジー
異世界というものを存分に描き切っていた。
今は Kindle にもあるみたいですね。
どうやってやるんだろう。書き込めるメモ欄は用意されているのだろうか。
 
海外ものだとダントツで『ローン・ウルフ』のシリーズ。
剣と魔法の世界なんだけど、ケルト神話が根っこにあるんだろうな。
陰鬱で禍々しい、どす黒い雰囲気に満ち満ちていた。この世界観にやられる。
 
引用してみよう。 (5巻『砂上の影』より)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
         56
 小舟にぎっしりと積まれたかごの中をさがすと、手作りのきれいな皮のケースが見つか
った。留め金をはずすとケースの中にはジャカン――バサゴニアの海辺に住む漁師が使う
狩猟用の弓――が入っていた。君は弓を見つけて有頂天にになったが、残念なことにケー
スの中には矢がわずか一本しかない。
 港の広場の向こう側、マオウクの馬車の近くに小さな白壁の店があり、その一階のバル
コニーに緑色のガラスびんが並んでいる。君は弓を力いっぱいひきしぼり、慎重にねらい
を定めた。ねらうのはむずかしく、しかもチャンスは一度しかない。
「乱数表」を指せ。武術(どの武器のものでもよい)を身につけていれば、「乱数表」で
指した数に2を加えよ。
 0から3なら、7へ。
 4から11なら、28へ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
国内版はホビージャパン社から8巻『旋律のジャングル』まで刊行された。
8巻の終わりにて第9巻『恐怖のるつぼ』が予告されていたが、遂に出ることはなかった。
調べてみると本国イギリスでは30冊以上出てたのだとか。
スマホのゲームアプリにもなったらしい。(ただし英語のみ)
 
アドベンチャーゲームブック』のシリーズは処分してしまったけど、
この8冊だけは捨てずにとっといて東京にまで持ってきた。
『マグナマンド・コンパニオン』というガイドブックも当時買って
一緒に東京に送ったはずが見つからず。……残念。
Amazon で見てみたら1万6,000円という額にまで上がっていた。
 
またやってみようかな。
今度の土日……、いや、はまりそうだ……

10/28-11/01

10/28(月)
 
7時出社。
朝、ささっと3階の皮膚科へ。花粉症治療のシダキュアを処方してもらう。
昼、弁当。月曜は鯖。ウインナー。きんぴらごぼう。竹輪炒め。ブロッコリー
ほうれん草入りの卵焼き。ミニトマト
前の晩、22時過ぎには布団に入ったのに眠くて昼寝。
午後上期の目標を振り返り、下期の目標を振り返る面談。
思いがけなく好評価。
 
帰ってきて庭の水やりなど。
弁当の用意。パックの味付け豚バラ肉を焼く。
ニンジンのグラッセをつくる。
妻がしめじと舞茸を買ってきて、クリームパスタが食べたいという。
ほうれん草、ベーコン、玉ねぎでつくってみる。
塩味が足りなかったかな。でもおいしくできた。
酒場放浪記、逆転人生、町中華で飲ろうぜ。
午前0時過ぎに布団へ。
 
妻が忌野清志郎『生卵』の新装復刊を買ってきてくれた。
 
しゃべくりを冒頭だけ見る。
福山雅治が出演するってことになってたけど、
気になったのはチュート徳井が出演するのかどうか。
思いっきりカットされていた。時々ちらっと映るだけ。
今回の件、ルーズだったの一言で許されることではないが、
チュート徳井はとても好きな芸人だったので残念である。
 
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10/29(火)
 
今日の東京は大雨だという。
会社に着く頃ぽつぽつと雨。
昼休みに打ち合わせが入って少し早めに昼を食べる。
昼寝はできず。なので少し遅く起きて会社に行くことも考えたが、
大雨だと聞いて普通通り出社。
 
明日は午後帰社のため外で食べる。弁当の用意無し。
妻が出してくれるというので駅ビルの寿司屋へ。
生ビールの後、熱燗。寿司は悪くなかった。
晩酌セット1,900円で飲み放題、天ぷらと刺身付きというのが気になる。
帰ってきて迷宮グルメを見て寝る。
中島京子パスティス』読み終える。
 
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10/30(水)
 
先日妻が読んで面白かったという
清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』
こちらを読み始める。冤罪事件に迫る事件記者。確かにこれは面白そう。
 
朝から資料作成。
午後事業部キックオフ。
昼休みに出てアルタ前で妻と待ち合わせして裏の洋食屋へ。
「はやしや」にてインディアンカレーピラフ。
メニューも豊富できれい。なかなかいい店だった。
今度は夜来てみたい。町洋食屋で飲もうぜ、とでもいうか。
 
本社で年末調整の書類を提出。
キックオフでは各部門長の選んだがんばったPJに選出される。
特にやりたかったPJではなくむしろ個人的にはこっそり失注を望んでいたぐらいなのに。
この案件の受注成功は政治的な意味合いが強い。複雑な気持ちになる。
がんばったのに全く評価されなかった One of Them の案件も一方ではある。
 
懇親会には参加せず、終わって即帰宅。
中野坂上から乗っていつもより30分ほど早く着いたか。
庭に水を撒く。弁当の用意。パックのカルビ焼肉。卵焼き。
夜はトマト。冷ややっこ。武田ハムの特売で買ったパストラミビーフ
休肝日にすべきが、飲まずにはいられない。
街録を見て寝る。
妻の帰りが遅くなる。
 
ふと見ると iPhoneSoftbankメールが一昨日より受信できていない。
メールアカウントの設定を見直してください、的なエラーメッセージが出る。
メールアドレスもパスワードも変更してないが……
再起動しても変わらず。
iOS のアップデートが出たので試してみるが変わらず。
MySoftbank からパスワードを再設定したら受信できるようになった。
まさか乗っ取り?? と送信履歴を見るが、変なメールは送っていなかった。
なんだったのだろう。
 
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10/31(木)
 
10月も終わりか。
首里城で火災のニュース。正殿、北殿、南殿が全焼。
放火なのだろうか……
この日も要件定義のまとめ資料作成。打ち合わせなし。
 
帰ってきてサンドイッチをつくる。
武田ハムのパストラミビーフをそのまま食べるよりはいいかと。
妻に聞くとスクランブルエッグのサンドイッチも添えるといいという。
夜食べる分。明日の弁当にする分。
軽くトーストしてつくりたてのスクランブルエッグとパストラミビーフ
両方を挟んだサンドイッチをひとつだけつくる。これはうまかった。
 
家事の合間にケンミンショーを。
長野と群馬は隣り合わせて食べ物は似ているのに、
県民性は真逆なのだという。
群馬県民は陽気でギャンブル好き、長野県民は真面目で勉強好き。
 
着なくなった服や破れた靴下などを処分。
この日も妻は遅くなる。
 
Amazon で海外の業者から買ったCDの中身が違ってた。
たまにある。数百円で安く買ったものなので仕方ない。
 
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11/01(金)
 
珍しくストーリーのはっきりした夢を見る。
いや、ストーリーもたいしてないか。
場面転換に違和感がなかったというだけ。
登場人物も身の回りの人ばかり。
最後目が覚める頃、なんかのパーティーで一人一芸披露するというので
自分の番を待っていたところ、回ってきた。
しかし準備があるので10分ほど待ってくれという。
そこで目覚ましが鳴った。
 
昼、弁当。今日はサンドイッチ。
パストラミビーフスクランブルエッグと。
常備菜の残りを小さなタッパに詰めて持ってきた。
午後、進捗の打ち合わせ。悩ましい課題が。
ひと悶着生まれるかもしれない。
 
定時で出て南北線。永田町で田園都市線に乗り換える。
駒澤大学で下りる。
以前編集学校で一緒に仕事をした方を妻がインタビューすることになって同行する。
テレビドラマの撮影に使われることもあるという風格あるマンション。
これは一度住んでみたいな……
21時過ぎまで話を聞いて駅前に戻り、カレーうどんの店に入った。
帰ってくると午前0時半過ぎ。
タモリ倶楽部空耳アワードで間に合わず。
録画し終えたのをすぐ見た。
明日は福岡へ。寝たのは午前2時近く。

福岡、唐津 その4

(昨日4日のこと)
 
前の晩、3日は情熱大陸の寿司職人を見て、
その後武井壮の番組で凄腕の実演販売の人。
午前0時に布団に入った。
何度か目が覚めて7時半まで寝る。
8時過ぎに1階で朝食。今日もスリランカカレーを。
 
一度部屋に戻ってチェックアウト。
入口にあった今年の流行語大賞の募集、朝見ていたニュースで思いついた。
「身の丈」これを短冊に書いた。参加賞のクッキーをもらった。
 
天神駅まで歩いて地下鉄で空港へ。
新幹線の停まる博多駅まで4駅、空港まで6駅というのはなんとも交通の便がいい。
経済の発展を第一として福岡は一致団結しているのではないか。
どこかの駅のように利害関係を調整しきれず
中途半端なところに駅ができるというのはほんとアホらしい。
 
空港に着いて土産物を見るが、特には買いたいものは無い。
ポテトハウスのポテトというのがおいしそうで、それだけ。
少し前に食べたばかりだけどこれで福岡も最後となると名残惜しく、
10時になるのを待って「ラーメン滑走路」へ。
福岡や全国のラーメン屋が7つか8つぐらい集まっている。
北海道の「弟子屈」に東京の「凪」と「つじ田
福岡のラーメン屋「海鳴」にする。
10時を待っていったら既に20人ぐらい並んでいた。しまった。
ぶらぶらしてないでもう少し早く来ればよかった。
ここは魚介とんこつの店。
イタリアンのスープを融合した「ジェノバ」というメニューで有名になったようだ。
空港限定の「DX辛子明太子」にする。
一本丸ごと辛子入っているのに、クリーミーなスープと喧嘩しない。
すっごい考えて作ったスープなんだろうな、と思う。
 
何も考えずに保安検査場に入ってしまい、空港の端から端まで歩いたろうか。
12時の羽田行き乗る。
一昨日の福岡行きは今年導入された最新型の機体で、クラスJにしたら全席モニター付きだった。
行きは「機外カメラ」にして滑走路をそろそろと進んでいって離陸して、車輪を折り畳む光景を眺めた。
山並みが続き、関門海峡を渡って市街地がすぐ目の前に広がって、車輪が出てきて着陸する。
ドキュメンタリー映像を見ているようだった。
帰りもそれを、と思っていたら古い期待で各席にモニターはなし。
『犯人はそこにいる』の後半を読み続けるうちに読み終えてしまった頃、羽田に到着した。
 
モノレールに乗って、大江戸線
貯まったマイルが12月末で切れると試しに「どこかにマイル」を申し込んでみたら高松に当たった。
妻と二人、どこに泊まるか、小豆島はどうかと探しているうちに光が丘に着いてしまった。
 
家に着いてお留守番のみみたと再会。さっそくスリスリしてくる。
ペットシッターの方の報告書を見るとおりこうさんにしていたようだ。
荷物を片付けて、まだ15時。
公園の新酒祭りに行くことにする。
3連休の最終日で天気がいい。広場は家族連れでいっぱい。
風船を使った大道芸を大勢の観客が取り囲んでいた。
フリースタイルというのか、モトクロスの曲乗りを練習している若者。
エンジンのついたスケボー? に乗って子供を乗せたソリを引っ張るお父さん。
子供たちが階段の手すりを腹ばいになって滑り降りる。
新酒祭りの席もいっぱい。かろうじてテントの外に見つける。
たこ焼きとオムそばを食べながら澤野井の大辛口を飲んだ。
帰りに IMA の LIBRO に寄って『るるぶ』や『まっぷる』の香川県を見てみる。
どのガイドブックを見てもとにかくうどんだった。
 
夕暮れ。また歩いて帰ってきた。
お風呂を沸かして入り、疲れをとる。
土日遊んで今日帰ってきてぐったりと疲れた。
缶ビールを飲みながら夜はゆっくりする。

福岡、唐津 その3

(3日の続き)
 
11時半、14台全てが無事に通り過ぎていくと先輩の家にお呼ばれして、おもてなしを受ける。
2階に上がると広間にテーブルが2列並んでその上に鯛の塩釜焼きや鯛の刺身など。
その他サザエに蟹にエビフライ、海の幸がたくさん。
まだ誰も手をつけてなくて妻が塩釜焼きの塩を木づちで叩いて割った。
中から昆布を敷いた鯛が出てきた。
これがほんとうまかったなあ。何度も切り分けてもらって食べた。
唐津の酒「太閤」がグイグイと進んだ。
先輩、先輩のお母さんを初めとして女性たちが皆総出でおもてなし。
先輩のお父さんの弟という方が僕らを含めて皆に酒をついで回っていた。
いつ飲んだのか、僕ら最初の方の客が上がってくる前にすでに顔を真っ赤にして出来上がっていた。
先輩の家では今、鯛を出しているが昔はアラの姿煮だった。これが唐津くんちの名物なのだと。
他のところでは大皿に盛ったアラを運んでいるのを見かけた。
 
飲みながらねぶたの話になる。
昔は、戦後の頃は、ねぶたも今よりもだいぶ小さくて各町内で出していたから、
もしかしたら唐津のようなおもてなしを、規模が違うとはいえ行っていたかもしれない。
Nさんの住む博多の山笠の話も聞いた。
 
1時間ほどおじゃまして先輩の家を出る。
先輩たちはこのあともずっと料理を供し続ける。大変だ。
僕らがいる間にもお客さんが次から次に来て、
僕らが去った後も夕方までそれは続き、明日もまたそれが。
明日は曳山を曳いていた若者たちをもてなすために唐揚など若いメニューにするのだとか。
 
唐津神社の方まで歩いてみる。
朝の閑散としたアーケード街が嘘のようにたくさんの人出。
唐津焼の店が何軒も並んでいた。各曳山を描いた瓦煎餅を売る店もあった。
参道に入ると無数の屋台が並ぶ。
全国から集まってくるのか、中津の唐揚といった九州のB級グルメに限らず、
じゃがバターの屋台も出ていた。
射的やお面といった昔ながらの屋台の隣りに
時代を反映して「うんこドリル」の先生のぬいぐるみやタピオカミルクの屋台があった。
 
神社でお参りして、その先の西ノ門館という小さな道の駅っぽいところを覗いて
(鯨の粕漬が名産らしかった)
その横の、西の御旅所という広場に行ってみる。
各町内の曳山がここに昼前に集まって、15時より各町内に戻っていく。
全ての曳山が一堂に会すので見ごたえがある。
しかし人手がすごすぎて身動き取れず。通りを渡ったところからようやく垣間見えた。
 
朝から歩きっぱなしでおもてなしも受けて、14時、おなかいっぱいの気持になる。
先輩のところに顔を出して福岡に帰ることにした。
途中の曳山ルートを歩くと中学生、高校生ぐらいの女の子二人という組み合わせで路肩にしゃがみこんでいる。
15時からの曳山を待っているのだろう。
妻が言う。あれはきっと憧れの先輩が曳くというので待っているのだろうと。
後で先輩も言う。祭りのときはいつもよりも男の子たちがかっこよく見えるものだと。
 
市役所前の唐津さんの野菜や果物を売るマーケットを通り抜けてアーケード街へ。
先輩の家に行くと完全に酔っぱらったお父さんが担がれて帰ってきたところだった。
以前この唐津くんちの重職を担っていたので、今もあちこちにあいさつ回りをするのだと。
祭りは大変だ。
 
唐津駅福岡空港行きの来る20分も前から並ぶ。
電車が来る頃にはホームがいっぱいになっていた。
しかし早くから待ったおかげで座って帰ることができた。
なんかのトラブルがあったようで唐津駅を出てすぐ10分ほど停車。
なんだったのだろう、と思う間もなく1時間半近い道中、3人は歩き疲れて爆睡。
 
同行のNさんは途中の駅で降りた。
妻と僕は天神の一つ手前、赤坂で下りてぶらぶら歩く。
大名通りのいい感じの飲み屋の集まっている界隈を歩いていると
気になる洋服屋があって妻も僕も散財。
店員の方が元気で売り方がうまくて、ついつい買いたくなる。
パリの見本市で見かけた西海岸のブランドで日本には他に入ってきていないワンピースだとか、
The North Face とコラボしたショルダーバッグやフリースなど。
もう一軒、歩いていたら見つけた店がイギリスの職人のつくる一生ものの服を売るとかで、ここでも。
僕も妻もおもいっきりお金を使ってしまった……
これを抱えて飛行場に向かうのは無理と段ボールで送ってもらうことにした。
 
一軒目の店員の方からおすすめの飲み屋を聞く。
最初「百式」という炉端は焼きの店に行ってみるも満席で入れず。
もう一軒「八重吉」という焼き鳥の店はかろうじて入ることができた。
鶏もつ、黒皮、つくね、ゴマサバ、何を食べてもおいしかったなあ。
活気があって焼くのも早い。
洗練されつつもアジアの猥雑さを兼ね備えていて、居心地がいい。
周りはほぼ大人のカップルだった。
 
店を出てまだ19時半だったので天神をそぞろ歩いてホテルに戻ってくる。
デパートには行ってみるも20時で閉店。案外福岡の夜は早い。
その一方でおいしそうなバルや居酒屋はどこもかしこも満席。
福岡は経済が回っているなあと実感した。
九州が独立してもやっていけるというのはあながち嘘じゃないなと思った。
 
バスタブにお湯を入れて入り、缶チューハイを飲む。
NHKのクラシックを聴いて寝る。
唐津くんちのアプリを立ち上げると、曳山のアイコンが各町内の戻ったことを示していた。

福岡、唐津 その2

昨晩は探偵ナイトスクープを見終わって寝たのは午前1時半か。
5時頃一度目が覚めて、7時に目覚ましが鳴る。
この日8時には部屋を出て8時半過ぎの
唐津まで直通の地下鉄(途中からJR筑肥線)に乗る予定。
1階のフロント横の会場で朝食。
スクランブルエッグ、ミートボール、がめ煮とおかずのバリエーションはわずかだけど、
ここはなぜかあるスリランカカレーがおいしくてそれだけで満足する。
思ったよりもしょっぱくスパイシー。食べているうちにちょうどよくなる。
 
8時、ホテルを出る。天神の駅まで歩いていく。
8:29 快速西唐津行きに乗る。
姪浜までは地下鉄空港線、その先は筑肥線となる。
地上に出てしばらくすると海沿いを走った。
9:33 唐津着。早いうちに座ることができてよかった。
9月の広島、宮島行きがそうだったように乗っている人のほとんどが唐津くんちに向かう。
天神から一時間近く立っている人も多かった。
改札を出ようとすると行列になってなかなか出られなかった。
 
昨晩飲んだNさんも急遽参加することになり、改札で待ち合わせ。
駅を出ると駅前の通りに沿って屋台が並んでいる。
イカ焼き全身が500円、たこ焼き6個が300円と安い。
 
人の流れに乗って歩いているうちに寂れた、わずかばかりのアーケード街に出る。
店は唐津くんちで皆しまってシャッターが下りている。
いくつか古い建物は貸店舗となっていた。
太鼓の音が聞こえてくる方へ。飲み屋街となる。
店のドアが開いて法被を着たおやじさんが顔を覗かせる。
人だかりのする通りに着くと旧唐津銀行の前。
法被姿の子供たちの集団がエイヤエイヤという掛け声で綱を引っ張り、
その後方、大人の男たちが曳山を動かしている。
時には威勢よく走って見せ場を作り、時にはゆっくりと歩いて緩急を出す。
14あるうちの4番目、義経の兜だった。
雨がポツポツと降っていた時があったからシャワーキャップのように大きなビニールに袋をかぶっていた。
ユネスコ文化遺産に選ばれたから、ダメージを受けないようこれまで以上に曳山は注意深く守られている。
曳山は大きなものだと2トン近いという。
曳き子は子どもも含めて各町内100人以上はいただろうか。
太鼓を叩く大人もいるし、まだ小さい子供は曳山の中に入り込んで眠っていた。
 
2日は「宵曳山」と呼び、夜、中心部のバスセンターから曳山が各町内へ曳かれていき、唐津神社に戻る。
3日の「御旅所神幸」は朝、唐津神社を出て各町内を練り歩き神社の奥の御旅所に集合、また各町内に戻る。
4日の「翌日祭」は朝、唐津神社からまた町内へ、曳山展示場へと戻っていく。
3日は神社の神輿のお供としての曳山だけど、4日は神輿なしで曳山だけとなる。
各町内のもつ曳山は14台あって、古くは江戸時代につくられたものが今も守られている。
鹿沼市の彫刻屋台を思い出す。
この14台を唐津市のチラシから抜き出すと
1番曳山「赤獅子」刀町 文政2年(1819)
2番曳山「青獅子」中町 文政7年(1824)
3番曳山「亀と浦島太郎」材木町 天保12年(1841)
4番曳山「源義経の兜」呉服町 天保15年(1844)
5番曳山「鯛」魚屋町 弘化2年(1845)
6番曳山「鳳凰丸」大石町 弘化3年(1846)
7番曳山「飛龍」新町 弘化3年(1846)
8番曳山「金獅子」弘化4年(1847)
9番曳山「武田信玄の兜」木綿町 元治元年(1864)
10番曳山「上杉謙信の兜」平野町 明治2年(1869)
11番曳山「酒呑童子源頼光の兜」米屋街 明治2年(1869)
12番曳山「珠取獅子」京町 明治8年(1875)
13番曳山「鯱」水主町 明治9年(1876)
14番曳山「七宝丸」明治9年(1876)
歴史の古い順に並んでいて、この順番で町を行く。
 
この通りでは4番の源義経の兜から7番目の鳳凰丸までを見た。
人気があるのは5番目の真っ赤な大きな鯛で(他の町では「金魚」と呼んで揶揄するようだ)
脇についた大人が綱を引っ張ってその体を上下させて水を撥ねているように見せる。
7番目の飛竜も魚と龍が合体したような姿でやはり上下させる。
運行間隔を調整するために通りの先で先頭の曳山と曳き子が止まって、2台目3台目と通りにたまっていく。
僕らが立っていたところに7台目が止まって、
この場所ではこれ以上見れないだろうということになった。
妻を今回呼んでくれた先輩のところに向かうため、アーケード街に戻る。
チラシの地図に記載されたルートを見ると30分後に通ることになっている。
混みだす前にここで待っていい位置で見ることにした。
チラシを見ると唐津くんちのアプリがあって、インストールすると各曳山が現在どこにいるかが表示された。
これは便利だった。しかも各曳山がそのままアイコンになっている。
あちこちで曳山をプリントしたTシャツや曳山を模した帽子が売られていて、
外国人観光客が何人かこの帽子をかぶって楽しんでいた。
 
待っていると妻の先輩が来て、一緒に見る。
昨日の夜も今日の朝もずっとお振舞いの仕込みをしていたという。
男たちが外で曳山を引いて
(町内によって女の子は高校生まで曳けるところから一切男性のみのところまである)
女たちは家の中で料理を用意して客をもてなす。
長いことずっとそういうしきたりだった。
 
アーケードの通りを曳山と曳き子たちが賑やかに通り過ぎていく。
アーケードにぶつからないよう皆一度立ち止まって一休みして、
魚だと尾びれの位置を下げたりしてからまた掛け声をあげてくぐり抜けていく。
4台ほど行くと神主が無言で乗った神社の神輿が2台ずつ静かに通り過ぎて、
賽銭箱代わりの桶を持った子供たちが続いて、また次の曳山へ。
曳山なしで綱だけを小さい子供たちが曳いているというのもあった。
お年玉を親が預かって袋だけ子どもたちがもらったような感じでかわいらしかった。

福岡、唐津 その1

この週末、3連休は唐津くんち
妻の先輩が唐津出身で以前から是非と。
よし、今年行ってみるかとなって今日は福岡に泊まり、
明日は終日唐津へ。福岡に戻って来て月曜に東京に帰る。
そんな2泊3日となった。
 
前の晩は妻の取材に同行して遅くなる。
録画したタモリ倶楽部空耳アワードを見て寝たのが午前2時近く。
8時起き。iPhone の電源コードやシェーバーに着替えなど荷物をまとめて
大草原の小さな家を見て家を出る。
みみたがキョトンとしてボールをくわえて階段を下りてくる。
そんなみみたも昨日が(便宜上の)誕生日で3歳。
もう一人で留守番できるだろう。
 
大門でモノレールに乗って羽田空港へ。
それはそうと唐津という場所がどういうところなのか、
唐津くんちという祭りがどういうものなのかよくわかっていない。
栃木県鹿沼市の彫刻屋台のように大きな山車を曳くんでしょ、
ぐらいのことしか頭に入っていない。
ま、いいか、何とかなるかと思う。
 
3連休ということもあって福岡行きに限らずどこもかしこも混んでいるのだろう。
離陸が少し遅れた。
機内では『殺人犯はそこにいる』の続きを読んで過ごした。
足利事件の冤罪が証明され無罪となるが、一方で真犯人を追う足取りは迷走を始める。
事実は小説より奇なり。やめられない。
 
14時過ぎに予定通り福岡国際空港着。
さっそく2階のフードコートへ。
佐賀県のチャンポンの店が出したカツ丼屋「井出カツ丼」で「至福のカツ丼」と
「稲葉うどん」でごぼう天うどんに丸天追加。
福岡出身のタモリがコシのないうどんが好きというだけあって、ほんとやわらかい。
だけど讃岐うどんとはまた別のおいしさがあって。甘い醤油のダシもやさしい。
カツ丼も久々においしいカツ丼を食べたなあ。
タレがいい。玉子がいい。肉の柔らかさがいい。
おかわりしたくなったががまんする。
3階に上がって、「海幸」という居酒屋に入って生ビールを飲む。
かんぱちの刺身と、揚げ餃子と、おでんは里芋、玉子、牛筋。
これもまたおいしかったなあ。
里芋が予想を上回る大きさで腹いっぱいどころか苦しくなってしまった……
 
地下鉄に乗って天神へと向かう。
駅5つなのですぐ近く。空港に街が近いっていいなあ。
住んでると飛行機がうるさいかもしれないけど。
地下街を歩く。ソフトバンクホークス優勝の余韻はさほど残っていない。
どこかの壁のショーケースにホークスグッズが飾られていたぐらい。
人通りは多い。
 
ホテルに着いて16時。
宿泊客の書いた絵馬と今年の流行語を当てる短冊というのがあった。
ほとんどが消費税と令和とラグビーがらみ。
吉本のこととか他にもあったと思うが。
台風のことについては誰も触れず。
ホテルのフロントの方から一枚どうですかと誘われるが、何も思いつかず。
 
少し昼寝して17時過ぎに外へ。
裏通りにいい感じのバルや古着屋があって散策したくなるが、今回は残念ながら時間がない。
天神から警固へ向かう通りを歩く。ヤンキーっぽい若者やカップルがたくさん歩いている。
編集学校で出会った方のコーヒーショップへ。
コーヒー豆をつけた焼酎を飲む。
豆を焙煎して挽いてもらう。ブレンド、温泉ブルボン、コモドドラゴンの3種類。
飾られていた熊本の張り子作家の方の小さな猫の張り子雄雌2頭も買った。
 
天神まで歩いて大名の裏通りの繁華街へ。
もつ鍋の「楽天地」に入って編集学校九州支社の方たちと懇親会。
福岡行きますと伝えたら集まってくれた。
その中の一人は僕が編集学校に入ったときに最初の教室の師範代の方で。
思いがけず再会。あれこれ話して、たらふく食べて腹いっぱい。
自家製の柚子胡椒やわらすぼ、むつごろうの干物、山本作兵衛さんの手ぬぐいをお土産にいただく。
 
親不孝通りの方まで行って2軒目。
ギャラリー兼カフェ、というような落ち着いた雰囲気の居心地のいい店だった。
23時半まで飲んで天神の町を歩いて帰ってきた。
缶チューハイを飲みながら探偵ナイトスクープを見る。
所長はまだ西田敏行
 

ドムドムバーガー

何かの記事を読んでいたらドムドムバーガーの名前を見かけた。
あー、まだあったのかと象のマークを思い出し、懐かしい気持ちになる。
正しい名前はドムドムハンバーガーか。
日本初のチェーン店のハンバーガーショップなんですよね。実は。
 
青森市に最初にできたのがたぶん、ドムドムバーガーだった。
(当時、周りでは皆この名前で呼んでいたので以下そのように略す)
(たぶん、と書くのは東バイパスやジャスコ周辺の事情がわからないから。
 個人経営の小さなバーガーショップが実はあったかもしれない)
 
僕が小学4年生ぐらいまで、80年代半ばはドムドムバーガーしかなかった。
青森駅の駅ビルLOVINAの1階にあって駅前のローターリーに面していた。
LOVINA ができたのが1986年とあるので、オープンもその頃か。
その後、新町の駅近くの交差点にロッテリアができたのが
小学5年生だったことを覚えているので2年後の1988年か。
その少し後に新町のもっと奥の方、今のさくら野、かつてのカネ長の向い側の通りにモスバーガーができて、
高校生の頃かな、ジャスコの近くにマクドナルドができた。
映画とかドラマとか漫画ではハンバーガーと言えばマクドナルドなわけでようやくの黒船襲来であった。
ロッテリアモスバーガーは田舎のよく知らない小中学生からすればバッタもんに過ぎなかった。
それはさておき。
 
今、公式サイトを見てみると
「パワフルポパイバーガー」とか「丸ごと!! カニバーガー」というメニューがあるけど
当時はそんなバラエティに富んだものはなかったな。
単純にハンバーガーというものがあるだけ。チーズバーガーすらなかったかもしれない。
当時の値段で100円ぐらいだったんじゃないか。お小遣いで普通に買える。
その分他のハンバーガーショップよりも小ぶり。駄菓子感覚。
よって僕ら子供からするとロッテリアモスバーガー以上にバッタもんであった。
いや、もちろん喜んで食べてました。
叔父の車で叔父の家に行くとき、途中寄って10個ぐらいまとめて買って、
家に着いて従兄弟らと奪い合いになって好きなだけ食べるという。
小さいから二つ三つ当たり前なんですよね。
 
そのドムドムバーガーもいつ閉店したのか。
気が付いたらなくなっていた。
90年代の大学生の頃か、00年代の社会人になってからか。
公式サイトによれば東北は岩手と山形だけ。
東京は赤羽、大泉学園、小平の3店舗だけ。なんだか寂しい。
中部地方は静岡だけで、名古屋にはないんですね。
九州は熊本にないので、妻も知らないかもしれない。
ダイエー系列だから親会社の婦長により規模を縮小していったか。
 
大泉学園の店舗はマルエツの中か。
かなり近いな。今度行ってみようかな。
ノーマルなハンバーガーがイートイン税抜きで219円か。
マクドナルドが今、100円台・200円台のメニューが増えているので
いつのまにか逆転してしまったのだな。