『破獄』

昨晩、NHK BSの放送された『破獄』を見た。
 
1985年に初回の放送がなされている。
吉村昭原作。ドラマ化されてたんですね。
妻が好きで本棚にもあったのでいつでも読めると思っていたら先に映像で見ることになった。
太平洋戦争が本格化する前の青森の寒村(造道とあった)。
誰もかれもが生活に困っている。
緒形拳扮する主人公は仲間と泥棒に入り、不覚にも殺人を犯してしまう。
刑務所に入れられるが、生来の反骨心からか脱獄を試みる。
身体的能力の高さ、何年も機会を待つ忍耐力、そして頭もよかったのだろう。
しかし逃亡は長く続けられず、やがてつかまってしまう。
それでも脱獄を繰り返し、秋田、網走と転々とすることになる。
その間に日本は終戦を迎える。
 
最初の脱獄のときの看守が津川雅彦で、失敗を恥じ、
網走への転籍を願い出たところ何年もしてまた緒形拳と再会する。
そこから生涯続く腐れ縁へ。
脱獄衆と看守、表向きは敵であって津川雅彦緒形拳を本気で殴り、
緒形拳も闘志むき出しにして言葉少なく反抗を続ける。
しかしいつしか心の奥底に静かな友情が生まれる。
出所してからの二人の姿には涙が出た。
緒形拳のあの死に様。迎え入れる津川雅彦
緒形拳津川雅彦、それぞれの役者人生の極点のひとつではないか。
 
雪深い北海道の原野で撮影。
あの頃が貧しい日本を普通に撮影できた最後の時代ではないか。
脚本もよかった。
四回の脱獄をどのように行ったのか事細かく紹介することには費やさない。
二人の人間ドラマに焦点を当てて、一切ぶれない。
省略するところは大胆に省略する。
手品の種明かしには感動は生まれないのだ、ということ。
 
今も NHK は良質のドラマを生んでいるとは思うが、
あんな骨太なドラマはもう二度と生まれないかもしれない。
今だと食物を粗末にしている、暴力的な場面が多いというクレームも入るだろう。
光源氏が現代にタイムスリップしてというライトでポップなのを否定するわけではないけど、
そういうのばかりでもなあ、とも思う。
役者と役者の裸のぶつかり合いのような愚直なドラマをまた見たい。
いや、しかし、緒形拳クラスの役者がもはやこの国にはいないのか。

最近のいくつか

・お客さんの会社で出た業務連絡をたまたま目にしたら、
 運送会社からのお願い事項というのがあった。
 アルコールを含むものは航空便の取り扱いは不可なので気を付けてくださいと。
 確かに、飛行機に乗るとき機内にアルコールの類は持ち込んではいけない。
 お客さんの会社もIT関係なのでこれまでそういうものを扱うことはなかった。
 しかし社内でアルコール消毒用のあれこれを送るようになったのだろう。
 こういうの、意外な盲点だと思う。
 
・昨日、19日他県への移動自粛が緩和された。
 これまで閑散としていた羽田空港も帰省客の姿が見えるようになったとニュースで。
 朝、荻窪の床屋に行って、終わって吉祥寺に行ってみる。
 マスクをしているところがこれまでと違うけど、
 井の頭公園に向かう通りとかハモニカ横丁とかかなりの人手だった。
 あっというまに世間は三密に戻る。僕も人のことは言えず、いせやで焼き鳥を。
 一方で WHO はコロナウィルスによる死者は全世界で1日15万人を超え、危険な兆候であると。
 
・帰ってきたら妻が母と電話していた。
 帰省した時に母が見ていた番組を息子も見るようになる。
『小さな村の物語 イタリア』もそうだし、最近だと火野正平の『にっぽん縦断 こころ旅』か。
 若い頃なら決して興味をもたなかった。これが年を取るということなのだろう。
 次に僕が見始めるのは『相棒』だろうか。
 昨年帰省していた時に母がやっていたというので僕も新聞のクロスワードパズルを解くようになった。
 でもいまだに、母の勧める健康法をやってみることはない。
 
都知事選が公示されて数日。選挙ポスターがチラホラと枡に貼られるようになった。
 今朝、N国党のポスターが3枚並んで増えているのを見かけてギョッとした。
ホリエモン新党」とあって、ホリエモンの写真を使っている。いいのだろうか。
 ホリエモンがN国党に協力することになったのかと思いきやそんな事実はなく
 例によって勝手にやってるようだ。しかし何が目的なのだろう。
 無邪気にホリエモン知名度にあやかりたいとは思えず。恨みがあって貶めたいのだろうか。
 単なる話題作りなんだろうけど。ここでホリエモンに引っ付く辺り、妙なセンスあるなと思う。
 
・昨晩『タモリ倶楽部』の総集編を見ていたらマニアックな趣味をとことん突き詰めた人がテーマで、
 架空の町の地図をつくり続けている青年が最初に紹介されていた。
 架空の大学の歴史、架空のコンビニのロゴマーク、架空の地図記号
 今も地図はアップデートされ続け、詳細化されているという。
 架空の町というのは僕も小さい頃考えていた。今も時々考える。
 しかしそれは一瞬のことでそれ以上のものとならない。
 自分の想像力の貧しさ、乏しさに侘しい気持ちになった夜だった。

痩せ期

痩せ期に入った。
6月頭に思い立って、3週間で3kg弱痩せたことになる。
朝と夕方、縄跳び。続けて、クッションを使った腹筋。
床に座って厚めのクッションを右から左へ、右から左へ、大きく脇腹をねじるように。
片側50回終えたら、反対側をねじるように左から右へ、左から右へ。
食べるものも減らす。昼は極力ざる蕎麦か掛け蕎麦。夜もあんまり食べない。
 
ここ数年、痩せようと思ったらいつでも痩せられると思ってずっとほったらかしてきた。
昨年の健康診断の前にちょっとがんばって少し戻した後は食べる誘惑に逆らえず、
美味しいものを食べるときはご飯も大盛にしてしまったり。
食べないときは食べないからと自分ではセーブしているつもりでも全然減っていなかった。
 
現実を直視したくなく、体重計も乗らずにいた。
それが今月頭、妻からみみたの体重を測りたいと強制的に体重計に乗せられて驚愕の結果に。
人生最高に太っているどころではなく、遂に80kgの大台に乗ってしまった。
自分では77kgだろうか、と甘く考えていた。
これはいかん、という気にようやくなった。
 
幸か不幸か新型コロナウイルスの影響で在宅勤務というのがよかった。
昼に蕎麦を食べるというのが簡単に実践できる。
会社に通って昼に弁当を食べていた時は
ついつい自分の食べたいものが中心になってご飯の量も多くなっていた。
スーパーで買った味付け肉のパックとか、冷凍食品が必ず一品は入る。
あれを続けていたら一生痩せなかっただろう。
なんなら弁当箱も小さいものに買い替えたほうがいいな。
 
外出もしない、旅行に出かけないというのもよかった。
旅先でどうしても食べすぎてしまう。
せっかくだからあれを食べたい、これを食べたいとなってしまう。
熊本や青森に帰省するとおいしいものばかりで 2~3kg は太って戻ってくることになる。
膨らんだ胃袋のまま、東京で食べ続けてしまう。あれがよくなかった。
新型コロナウイルスの影響で僕は健康的な生活を取り戻した。
なぜかそういうことになった。
 
大学時代の友人もダイエットに目覚めて、
facebook に毎日の体重を乗せている。
以前は僕よりも太っていたのに、今や僕の方が体重がある。
巻けてらんない。そういうのがかなり励みになる。
 
腹のぜい肉が少し減って引き締まってきたのが実感できる。
なんともうれしい。
7月末の詳細健康診断の前に72kgを切るのが今の目標。
それまで在宅勤務だったらいけそうだけど……

幽霊船

主人公は幽霊船の中で目を覚ます。
鉛色の分厚く雲が重なり合った空。吹き荒れる嵐。
高い波がボロボロになった船に襲い掛かる。
骸骨になった船長が操舵室にいて、落ち着き払って船をどこかへと導いている。
朽ち果てた乗組員たちも無言で働き続ける。
 
与えられた部屋の中にいて、主人公は自分が死んでいることを知る。
しかしどのようにして死んだのか、なぜここにいるのか記憶を失っている。
わずかな持ち物を調べてもかつての自分を思い出すことはない。
他にも乗客たちがいるが、彼らもまたなぜここにいるのかわからない。
様々な年齢の、様々な理由で亡くなった者たち。
 
やがて船はある島に到着する。
この世のどこにも存在しない島。そこには幽霊しかいない。
主人公は、そうか、自分は死者の世界、
その入り口に連れてこられたのだ、ということを知る。
島はひとつではなく、無数に分かれていると教えてもらう。
それらを渡るには船か、あるいは今なら飛行機という手段もある。
島の中では自動車や鉄道も走っている。
 
どこでどのように過ごしてもよいと主人公は言われるが、
永遠に死後の世界から出られることはない。
その苦しみに耐えかねて生者の世界に生き返ることは可能だが、
人間とは限らない。虫や植物かもしれない。それでもよければ。
しかしそれを選ぶ人も大勢いる。
一方で何の気兼ねもなく死後の世界に暮らす者もいる。
主人公は道端に生えている草のひとつひとつが
かつては生の世界にいた植物だったのだということに気づく。
 
主人公は他の島を見てみたいと思う。
また、幽霊船は生者の世界と死者の世界のはざまに唯一近づけるということを知って、
興味を持つ。自分は幽霊船で働きたいと思うようになる。
見習い乗組員となって、船出の日を迎える。
港は深い霧で包まれている。
見送る者はいない。

明け方の音

 
夏は寝室の窓を開けて網戸にして寝ている。
明け方、4時過ぎには明るくなっている。
たまたま目を覚ましたとき、外から聞こえてくるかすかな物音を何とはなしに聞く。
東京の外れの、住宅地の物音。
車の往来もなく辺りはまだ寝静まっている。
明け方の白い空、白い音。
 
この界隈は農地は多くても木々には乏しいので鳥たちが集まるということはなく、
鳥の鳴き声がするということはめったにない。
この夜明けの物音も、生活や生命に結びつく音が聞こえてくることはほとんどない。
住宅地というひとつの大きな生き物が横たわり、眠っている。
その吐息は明け方の何もない、まっさらな空間に吸い込まれている。
そんなことを思う。
 
ふと気づくとどこから発しているのか、遠くからなのか、ゴーッという音が続いている。
僕だけが聞こえる耳鳴りなのか。
少し行った先の通りを深夜走り続けたトラックが無数に通り過ぎていく音なのか。
環八につながっている。
東京の大動脈を大型トラックの群れが合流しては分かれて行く様を思い浮かべる。
こんな時間にも大勢のドライバーが徹夜で運転している。
 
本当ならこの時間にも外を歩いていて、
例えばその少し行った先の通りにあるコンビニに向かう人がいるとか。
ひと気のない時間帯をジョギングするのが好きな人とか。
いるはずなのにその足音は聞こえてこない。
携帯で会話する人もいない。
車の存在は感じるが、人の存在は感じられない。
もしかしてトラックたちも無人で走っているのか。
一瞬そんなことを考えるが、いやいや、そんなわけはないとすぐ打ち消す。
布団の中で丸めた足を伸ばしながら。
 
この明け方の音はいつ、どの瞬間から生命の音、生活の音に満ち溢れるようになるのか。
気がつくとそのときは既に失われている。
僕が起き上がったときがそうなのか。耳を澄ますことを忘れたそのときが。
空の色も変わっている。
無数の家が無数の音を内側から発して、始発が走り始めて、
もしかしたらコンビニのシフトも交代して。
朝が訪れて。

窓というもの

YKK の CM のシリーズ「窓と猫の物語」が好き。
 
アメリカだろうか、一人の少女が大人になるまでを描く。
 窓辺にいつも茶色い猫がいて、外にいる少女は近づくと両耳を引っ張って顔を振る。
 大学を卒業し、家を出て行く日が来る。そのときも猫は窓辺にいる。
 
・飼い主のおばあさんが外出してお留守番。
 仲間の猫を呼んで家中で飛んだり跳ねたりいたずらし放題。
 夜になっておばあさんが帰ってくると全て片付いていて何食わぬ顔で窓辺で迎える。
 
などなど。猫ってこともあるからだけど。
 
窓って面白いよな、と思う。
概念的には、人類の歴史にとって車輪に並ぶ大発明だと僕は考える。
洞穴に暮らしていた時、そこにはひとつの出入り口があるだけだった。
木々を組み合わせて粗末な家をつくり、壁に土を塗り固めるようになったとしても
壁はあくまで壁であって、長い間人類は窓を開けることを考えなかっただろう。
寒さを防ぎたいし、外敵から侵入されたくない。
粗末な造りで壁に隙間が開いたとしてもそれを決して広げない。
意図的に開けて装飾を施すようになるのは相当後になってからのはずで、
そもそも透明なガラスが発明されない限り窓を開ける意味がない。
一年中暖かくて身の危険もない、南国の楽園のようなところでない限り。
 
窓の役目というのは、内と外の間にあって、
こちら側にいるまま、向こう側を覗き見ることができるというところにあると思う。
人類の歴史は内と外の関係を巡る歴史であった。
部屋や家という形のあるものの内と外。
集団や国という形の無いものの内と外。
身体の内と外。心の内と外。
内から外に意思をもって出て行くことや力で押し出されること、
外から内に侵入することや帰ることには
単に場所の移動にとどまらない象徴的な意味を伴ってきた。
出入り口をまたぐという行為は通過儀礼にも芸術作品にもなってきた。
物語というものも、必ず何らかの内から外に出ることから始まる。
 
そのとき、出入り口から出て行く前に
物理的なガラス窓であれ概念的な窓枠的なものであれ、
窓という隙間から垣間見ることによって外界を知る、想像をする、
という前段階が存在することが人の有り様を豊かなものとしてきた。
それは近代においては望遠鏡や顕微鏡になったし、
現代においてはテレビやブラウザというものになった。
 
窓から身を乗り出し、外を歩く誰かに手を振ること。
病床から窓越しに見る枯れた木に自分を重ね合わせること。
玄関の鍵をなくし、窓ガラスを割って外からくぐり抜けること。
窓というものが無ければ
僕らの人生は何とも味気ないものになったことだろう。
 

06/08-06/14

06/08(月)
 
涼しい夜だったが、寝たり起きたりあまり眠れず。
7時起き。縄跳び。金瓜を食べる。
この日は夕方まで打ち合わせなし。
 
昼、以前頂いた鯛茶漬けを。
午後、ポストを除くと回覧板が入っていた。
町内会の昨年度の活動記録。
清掃や敬老、農園など。
今年度の活動の直近のものはどれも中止となっていた。
 
夕方の打ち合わせを終えて、駅前へ。
コンビニで妻に頼まれた週刊文春週刊新潮を買う。
LIBRO で Rockin'on を買う。
夜は焼き鳥、枝豆などタイムセールで安くなった総菜を。
酒場放浪記。逆転人生はeスポーツ
町中華で飲ろうぜは家飲みで総集編。
ワカコ酒を見ようと思ったら、0時半からだったので見ないで寝る。
 
熊本の義父から、父の日のウィスキーが届いたと。
青森の義弟からはアイスコーヒーの詰め合わせが届く。
 
八王子の高校生が拳銃自殺。
 
---
06/09(火)
 
先週後半は右肩が痛くなったり、左肩が痛くなったり、
両方がじわじわと痛くなったりとしていたが、
今日は軽く首を寝違えている。
 
7時起き。縄跳び。バナナ。ヨーグルト。
ゴミを捨てて、こころ旅を見る。
 
わさおが亡くなった。
 
昼、桂花のカップラーメンを食べる。
武田ハムのチャーシューを入れる。
妻も昼、桂花ラーメンに行ったという。
 
午後、月一の報告。さらに混とんと。
夕方打ち合わせ。
18時半まで仕事して縄跳び。
こころ旅を見る。
 
妻の帰りが遅くなる。
夜はどん兵衛の焼うどん。
昼夜続けてはなんだなとトマトを切る。
サラメシ、NHK BSのスペイン巡礼のシリーズ、
鑑定団の総集編はアスリート特集。
猫歩きはロサンゼルス。
遅くなった妻が帰ってくる。
職場で腹の立つことがあって、話を聞くと僕も腹が立つ。
午前0時過ぎに寝る。
 
30℃越えとのことだがそこまで暑さは感じなかった。
週半ばから梅雨入りのようだ。
 
---
06/10(水)
 
7時起き。縄跳び。バナナ。ヨーグルト。腹筋。こころ旅。
今日もまだ寝違えた痛みが。昨日ほどではないが。
ボーナス支給日。ふたつの貯蓄口座に振込・振替。
思っていたよりは少し少なかった。
コロナは関係ないか。
 
会社のLTD制度の説明会にZOOMで参加。
昼は蕎麦を茹でて食べる。
この日はずっとワーク。最後にチームの夕会のみ。
早めに仕事が終わって外へ。
ローソンとタワレコに取り寄せていたCDを受け取りに行く。
ボーナス支給日ということもあって、LIVIN の地下で寿司と刺身を買う。
しかしほとんど売り切れ。この日ボーナスの出たところが多いからだろうか。
同じく地下の北海道アンテナショップでサッポロクラシックと北海道産のウィスキーを買う。
 
夜はその寿司と刺身を。
CDの解説を読んで過ごす。
午前0時過ぎに寝る。
 
---
06/11(木)
 
7時起き。縄跳び。バナナ。ヨーグルト。腹筋。こころ旅。
コーヒーを淹れる。梅雨入りと聞いたが朝は晴れ。
 
この日も夕方まで打ち合わせなし。このところ停滞感あり。
昼、この日も蕎麦を茹でて食べる。
午後から雨。食後ポツポツ来て慌てて洗濯物を取り込む。
ご飯を炊いて、みそ汁をつくって、納豆。
アボカドを切る。豆腐に刻んだザーサイとごま油をかける。
鑑定団の再放送を見る。
 
K・W・ジーター『重力世界の戦士』を読み始める。
独特の世界観、言語観。やはり特異な作家だなと思う。
読んでるうちに眠くなって22時半には布団へ。
 
---
06/12(金)
 
7時起き。縄跳び。バナナ。ヨーグルト。腹筋。こころ旅。
コーヒーを淹れる。梅雨入りと聞いたが朝は晴れ。
同じ朝の繰り返し。
昼、この日も蕎麦を茹でる。出汁を煮た中に玉子を落として固める。
この日も午後雨だというので早めに洗濯物をしまう。
 
この日は午後、細切れに打ち合わせがあって落ち着かず。
終わって夕方、ライフにサングリアの材料を買いに行く。
こころ旅、チコちゃんの再放送。サングリアをつくる。今回は赤。
ライフで買った焼き鳥と、妻の買ってきたハムカツ、チャプチェ。
ほうれん草とトマトのサラダをつくる。
新日本風土記小笠原諸島。最初に移り住んだ欧米人の子孫たち。
おんな酒場放浪記は今回も新作は家のみ。
見ているうちに寝落ち。
タモリ倶楽部とシンパイ賞をウトウト過ごす。
 
---
06/13(土)
 
9時過ぎまで起きられず。
この日は外出することになっていて、妻が起き上がるのを待つ。
12時近くに家を出たか。
電車で行くつもりが大雨。車で。
 
中野ブロードウェイの天ぷら屋に行くつもりがしばらく休業。
新宿に出て伊勢丹に行くか、となる。
本館の駐車場が入場待ちのすごい行列。
少し離れた系列の駐車場に停める。
伊勢丹に入って7階のレストランフロアに向かうがどこも行列。
別館に移って天ぷらを食べた。
 
タワレコに行ってサザンのアルバムを。
伊勢丹と違ってタワレコはほぼ人気なし。
伊勢丹に戻る。妻の誕生日のプレゼントでブレスレットを買う。
地下の飲食店フロアを回って韓国料理の店でチヂミやキンパを買って帰った。
 
17時過ぎに戻って来て風呂を沸かして入る。
イタリアの再放送。
その後、霜降り明星率いる第七世代と爆笑問題率いるベテランによるネタ合戦。
新井恵理那が司会なのでシンパイ賞の拡大版なのだろう。
でも急ごしらえの番組なのか、いやそもそもコロナ後のバラエティ番組のあり方を模索しているのか、
ゲストの扱いとかいろんなところが中途半端だった。
ナイツを初めとして出てくる芸人たちのネタの精度も低い。
NON STYLE霜降り明星かな、面白かったのは。
爆笑問題アンジャッシュ渡部をネタにしていたので収録は数日前だったのか。
 
続けてIPPONグランプリ。こちらは安定の面白さ。
四千頭身後藤、アインシュタイン稻田、ミルクボーイ駒場が初出場で
ハリウッドザコシショウアンガールズ田中となんだか心配なメンツ。
しかし意外とみな大健闘で手も足も出ないプレーヤーはいなかった。
今回もしっかり楽しませてもらった。
お笑い向上委員会を見て寝る。
 
---
06/14(日)
 
この日も9時過ぎまで起きられず。
この日も雨。縄跳び、クッション腹筋。
イタリアの再放送とLazy Sundayを。
昼はどん兵衛の坦々焼うどん。
クロスワードパズルを解く。
Lazy Sundayが終わって、『垂直世界の戦士』の続きを読む。
 
モヤさまは横浜。中華街の「景徳鎮」という店の麻婆豆腐が
大江アナとしてはNo.1なのだという。
夜は僕が豆腐、わかめ、レタス、トマト、しらすなどのサラダをつくり、
妻がいんげん、アスパラの肉巻きを。
 
麒麟が来るがお休みで、過去の戦国大河の傑作選を。
今回は独眼竜正宗。
勝新太郎演じる豊臣秀吉渡辺謙演じる伊達政宗が接見する場面は今見てもすごい。
夜、iPhone の曲の入替作業。
寝たのは午前0時半。
みみたがボールをくわえて持ってくる。