11/25-12/01

11/25(月)
 
朝、小雨。
7時に出社すると土曜出てた後輩が僕よりも早く来ている。
例の厄介な件を説明するための資料作成。打ち合わせ。
進んでるような進んでないような。
昼、弁当。昼寝。
妻が具合が悪く早退。帰ると寝ている。
プリンが食べたいと言っていたので買って帰った。
明日の弁当は豚ロース肉の味噌漬け焼きのパック。卵焼き。
おかゆをつくる。ネギをたくさん入れて、自分用にチャーシューを刻む。
酒場放浪記を見る。
妻の邪魔をしては悪いと下の部屋で町中華で飲ろうぜを見て寝る。
午前0時過ぎ。
 
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11/26(火)
 
今朝も小雨。
高校の同級生の LINE グループから英語の先生が亡くなられたと。
三年間一度も授業を受けたことがなく接点はなかったが。
同級生のあげた新聞の訃報欄の写真を見ると
喪主の名前を見ると別の英語の先生だった。
本人はたまたま見かけたと言っているが、地元でもそれなりの立場にある。
毎日欠かさず訃報欄をチェックしているのだろう。
 
今年の年末年始、出社の可能性も捨てきれず、
だとしてもフルでということはないだろうと
2日に東京に戻ってくるつもりで新幹線を事前予約。
しかしこの事前予約、販売開始の1週間前からかと思ってたけど、
えきねっとを見ても特にそういう記載なし。
もしかしてもっと前から申し込めるのか。
 
妻の体調が思わしくなく、地下鉄通勤も辛そうだ。
昼、弁当。昼寝。
例の大きな問題はひとつ頼ってみたところが思わしくなく、進展なし。
他のことは少しずつ一歩ずつ進んだ。
しかし次から次に問題と不満ばかり。
 
定時で帰ってくる。
タワレコに寄って取り置きのCDを受け取る。
新宿西口の駅は何かの実証実験を行っていて腕章をつけた大勢のサラリーマンが立っている。
タワレコは何かのアイドルの発売日なのか、レジ前がこれまで見たことないぐらいの行列。
帰ってきてクリーニング屋で先日出した、買ったばかりの服の染み抜きを受け取る。
汚れが目立たなくなりました、ではなく、落ちました、とのこと。よかった。
弁当は厚揚げと豚バラ肉の炒め物。
夜はサッポロ一番のご当地別を茹でて食べる。今日は京都の白みそ。
武田ハムのチャーシューを入れて食べる。
鑑定団を見る。
 
その後下で音楽を聞いて過ごす。
妻が講評を書くのを邪魔しないようにする。
早く布団に入るつもりがいつの間にか遅くなっている。
午前0時に寝る。
 
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11/27(水)
 
5時半前に起きて、最近はすっかり暗い。
朝はPowerCenterを、その後要件定義の資料、打ち合わせ。
例の件、少し方向性が見えてきたか。
昼、弁当。昼寝。
 
定時で出て、新宿の DiskUnion を回って取り置きのCDを。
中野坂上で妻と落ち合って練馬の焼鳥屋へ。
今月切れる妻のホットペッパーのポイントを使おうと。
入ってみたら地元の常連客ばかりだけど居心地よく、応対もいい。
焼き鳥も刺身もおいしかった。
その場で年末の予約を入れる。
僕らはホットペッパーのポイントを最も多く利用した客なのだと聞いた。
 
帰ってきて冷蔵庫にあるもので弁当の用意。
妻が風呂を沸かしてくれたので入る。
街録は再放送だったので23時過ぎに布団に入った。
 
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11/28(木)
 
朝から例の件の対応について。
こちらの対応方針が固まってきた。
午後一の打ち合わせのため朝からずっと資料作成していたが、
昼を食べ終わったころ連絡があって、担当の方がお休みでリスケ。
今日は遅くなるかと覚悟していたが、逆に余裕ができた。
 
松屋のオリジナルカレーが販売終了のニュースがネットを駆け巡る。
こうしてはいられないと夜、仕事帰りに食べに行くが完売の貼り紙。
妻と駅で待ち合わせして家の近くの店舗にも行ってみるがやはり完売。
カルビ焼肉とチゲ鍋の定食を食べて帰ってきた。
妻の原稿の手伝いをして、風呂に入って、寝る。
23時半過ぎ。
 
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11/29(金)
 
今朝はこの秋一番の寒さだという。というか冬か。
飯田橋に着いて再度松屋。今度は普通にカレーがあった。
朝からカレ牛。たまにはいいか。
オリジナルカレーもうまかったな。
 
この日弁当を持たず、昼は後輩と天鴻餃子房へ。
後輩の周辺では他にこのところ高松に旅行する人が別々に二人いて、
このところ高松って流行ってるんですか、という話になる。
 
打ち合わせを終えて夕方には気持ち的に営業終了。定時で帰る。
チコちゃん、新日本風土記十津川村。猫歩きはアメリカ。
おんな酒場放浪記。タモリ倶楽部相鉄線の続き。寝落ち。
 
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11/30(土)
 
小豆島弾丸ツアー。
6時起き。羽田に着くとキーホルダーが没収され、レンタカーは二重予約で……
高松空港讃岐うどんを食べ、レンタカーを借りてフェリー乗り場へ。
一本早いのに間に合った。
1時間で到着。港の観光センターでオリーヴオイルをかけたアイスと
オリーブ入りのそうめんを食べた。
尾崎放哉記念館と墓参り。
四方指展望台までドライブして紅葉を見る。
ホテルにチェックイン。大きなリゾートホテルで、年配の団体客で混んでいる。
露天風呂から海に落ちる夕暮れを眺める。
夜はビュッフェで飲み放題。後半からは小豆島の酒を熱燗で。
部屋に戻ってIPPONグランプリを見て、終わった後にもう一度露天風呂へ。
尾崎放哉の句集を読んで、午前0時半過ぎに眠る。
 
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12/01(日)
 
6時起きで大浴場へ。
朝食。そうめんのガレットが名物とのこと。
セルフでそうめんを茹でて生卵と絡めて生醤油をかけて食べるというのがおいしい。
妻は昨晩飲みすぎて二日酔い。
無理に運転させてとても申し訳ないことになった。
 
フェリーに間に合い空港へ。途中高松市内の大きなスーパーの駐車場で休憩。
保安検査場では地元の中学生の集団が。沖縄への修学旅行だという。
飛行機の中で尾崎放哉の句集を読み終える。
羽田に到着、大江戸線に乗って帰ってくる。
Lazy Sunday の最後5分に間に合う。
高松空港で買ったいりこ飯のおにぎりを食べる。
 
ライフに買い物。戻ってきて常備菜の準備。
きんぴらごぼう、こんにゃく炒め、ニンジンのグラッセブロッコリーを茹でる。
そのまま弁当の用意。骨取り済みの鯵を焼く。ソーセージを焼く。
笑点世界遺産ブルガリアの大理石でできた山。
モヤモヤさまぁ~ず2はなし。
風呂を沸かして入る。
 
土曜の新聞のクロスワードパズルを解く。
いだてんを見て、その後明日からNHKで始まる東京に直下地震が発生した想定の
4夜連続のドラマのプロローグ的なものを見る。
ぐったりと疲れて、22時には布団に入る。
ピーター・バラカンの音楽日記』の続きを読む。
22時半には寝たか。
 

小豆島へ その3

(昨日、1日のこと)
6時起き。まだ夜は明けていない。大浴場はそこそこ混んでいた。
朝食。昨晩食べすぎてあっさりと。
生野菜、名物だという素麺のガレット。
素麺を茹でて生卵と醤油を絡めたのがおいしく、おかわりした。
 
妻は昨晩飲みすぎて調子が悪く、ホテルを出るのもギリギリになる。
二日酔いの中運転させて悪いことした。
運転できればいいのだが……、またペーパードライバー講習をやり直すか。
港の方に行くと道端に待ちの人たちが集まって警官も立っている。
ラソン大会が行われるようだった。
フェリーを一本遅くしたら交通規制にかかって港までたどり着けないかもしれなかった。
 
8:35発の高松行きフェリーに乗る。
朝の早い時間帯なので空いてるかなと思いきや昨日の小豆島行きよりも混んでいて
客室の席も空きがない。
小豆島に住んでいる人たちが高松で日曜を過ごす、ということか。
 
尾崎放哉の句集を読み、少し寝る。
1時間後、高松港到着。
レンタカーは11時まで。
あと1時間半あるが、妻の体調がなかなかよくならず途中休み休み空港へ向かうことにする。
半分ぐらい来たところで大きなスーパーを見つけ駐車場に入った。30分ほど休んだ。
トイレに行くと入口は正月飾りが山と積まれていた。
「まんば」という緑色の野菜を見かける。四国特有なのだろうか。
 
ガソリンを入れてレンタカー会社に返却。
マイクロバスで空港まで送ってもらった。
讃岐うどんの出汁の出る蛇口を妻に見せようとしたが、それどころではなく。
妻はまだ辛そうなまま。
保安検査場を抜けてあとはずっと休んでようとしたら大勢の中学生たちが。修学旅行か。
沖縄行きに乗るようだ。
野球部の生徒たちはユニフォームを上だけ着ていた。たぶんそれがかっこいいのだろう。
 
搭乗まで30分近くあって、
ANA / JAL 両方の売店を行き来して時間をつぶす。
妻には昨晩の増せすぎて悪いことをしたとオリーヴオイルの化粧水を買う。
家に着いたら食べるかと瀬戸内のいりこ飯のおにぎりも。
 
登場時刻となる。
機内に向かう通路に新聞などと一緒に、
日本航空高松空所整備STAFFによる「航空整備士のかなりマニアックな飛行機豆知識」という
A3のコピー用紙1枚を折っただけの簡単なパンフレットが置いてあって、
そのうちの vol.4,5,6 が。もらっていく。確かにすごくマニアック。
でも飛行機に対する愛を感じた。
翼の真横の席だった。今度は僕が窓際に座る。
昨日の高松行は3列、通路、3列という小さい機体だったのが、
今日の高松発は2列、通路、4列、通路、2列という大きな機体。
しかしガラガラだった。直前の羽田発高松行の利用者が多かったのだろうか。
JALの機内誌がたまたま小豆島特集だった。持ち帰ることにする。
昨日気付かなかったな……、いや、昨日が30日で今日が1日だから新しくなったのか。
尾崎放哉の句集を読み終える。
持ってきた『ピーター・バラカン音楽日記』を読む。
 
予定通り、13時に羽田到着。
モノレール、大江戸線と乗り継いで帰ってくる。
15時前。Lazy Sunday の終わりの方が聞けた。
みみたはおりこうさんにして留守番していたようだ。
いりこ飯の空弁を二人で分けて食べた。
 
ライフに食材を買いに行って、帰ってきて常備菜を。
きんぴらごぼうとニンジンのグラッセをつくって、ブロッコリーを茹でる。
この土日の弾丸ツアーでぐったりと疲れた。明日は仕事か……
風呂を沸かして入った。

小豆島へ その2

(30日、続き)
小豆島の土庄港に着く。
この日必ず行きたかった場所として、妻は尾崎放哉記念館を挙げていた。
友人が最近訪れたのだと聞いて、吉村昭による評伝『海も暮れ切る』を妻は読んでいるところだった。
尾崎放哉と言えば「咳をしても一人」「いれものがない両手でうける」といった自由律俳句。
夏目漱石に学んで東大法学部を出てエリートサラリーマンだったのが
酒に溺れて家庭も仕事も投げ出して、あちらこちらと転々としては金と酒を無心する毎日。
最後は小豆島で墓守をしていたのだという。
 
この記念館が港の近くにあってまずはそこに行こうと。
その前にコンビニに寄ると目の前に大きな観光センター兼土産物屋が。
揚げそうめんのスナックにオリーブの身の入った食べるラー油
オリーブオイル入りのパスタとパスタソースと見るもの皆美味しそうでたくさん買ってしまった。
食堂ではアイスにオリーブオイルをかけたものとオリーヴ入りの素麺を頼んでみた。
素麺ってこれまでとりたてて好きではなかったんだけど、
それっておいしい素麺を食べたことがなかったからだな。
生まれて初めておいしい素麺を食べた。
オリーヴもさることながら、水がいいのではないか。
茹で具合、締め具合がよかった。
食べ終わった頃、団体のバスが到着して賑やかになる。
 
記念館はそこから車で5分ほどのところにある。
港はあるが潮に焼けた漁師町というのではなく
大きなダイソーにドラッグストアというよくある田舎町。
違うのはオリーヴの木が家の周りなどあちこちに植えられていることか。
生前の尾崎放哉が墓守をしていたからか墓地の脇にある。
南郷庵という一間きりの小さな庵に住んでいたのを再現したのか、そこに資料が集められている。
墓地には尾崎放哉の墓もある。探してみる。
入口には戦没者を祀る慰霊の塔が形作られていた。
無数の墓石を積み上げてピラミッドのようになっている。
墓地はこの地域独特なものなのか、区画には分けられているが塀で囲われてはいない。
砂っぽい土の中に墓石があるだけ。仏花ではなく、榊を備えているところが多い。
尾崎放哉の墓を見つけて手を合わせ、「墓のうらに廻る」
 
記念館は吉村昭の『海も暮れ切る』を橋爪功を主演にNHKがドラマにしたときの撮影の模様の写真や
尾崎放哉との往復書簡、代表的な句を書いた色紙や山笠など。
自由律俳句のコンテスト「尾崎放哉賞」「放哉賞」の歴代の優勝作品の短冊も飾られていた。
応募してみるかな、と思ってチラシを見てみたら今年の締切はまさに今日、11月30日だった。
尾崎放哉の句集を買う。
 
紅葉がきれいなので見晴らしのいいところに行って瀬戸内海を眺めようということになる。
島の真ん中に「四方指展望台」があって、ホテルはその近くだとわかる。
記念館の近くのコンビニで酒を買い込んで、車へ。
海辺の町から山の中に入っていくとここが島だとは思えなくなってくる。
それぐらい島が大きく、その大半が山、急なヘアピンカーブが続く。
紅葉のトンネルを抜けると瀬戸内海が広がる。
展望台に着いた。先に車が何台か駐車場に留まっていた。バイクも1台。
瀬戸内海を見下ろす。入江に船が停泊している。静かに、静止しているようにみえる。
遠くに見えるのは広島、岡山方面だろうか。都市部の建物が海辺に密集している。
反対側からは高松方面も。
向こうにロープウェーの鉄塔。
団体客が観光バスに乗って、この時期はギュウギュウだと紅葉を見に来て、
記念館の若い女性の係の人も言っていた。
 
車に戻り、もう一つ先の展望台にも行ってみた。
松尾芭蕉の句が石碑となっていた。
夕暮れの斜めに差し込む光が山いっぱいを照らす。
その日最後の光を浴びて島は輝いていた。
ホテルに行こうとして山道を引き返す。
西日がまぶしく、目がくらんでいるうちになぜか一つ目の展望台に戻っている。
眩しい、と思ったところでちょうど右に曲がるのを左に曲がっていた。
かたぬきに化かされたと妻と言いあう。
 
ホテルへ。16時過ぎには到着した。
リゾートホテル。シニア世代の方たちがテニスを興じている。
水を抜かれたプールがごろんと転がっている。
ロビーでウェルカムドリンクのスパークリングワインを飲んだ。
クリスマスを前にしてお菓子の家をつくっているところだった。
クッキーを壁に貼り付けているところだった。
 
大浴場へ。露天風呂から夕陽が見えた。
団体客も多く、夕食前の時間は洗い場もないぐらい混んでいた。
18時半、部屋を出る。ビュッフェの夕食を頼んでいた。
寿司に天ぷらに鉄板ステーキとその場でつくってくれる。
飲み放題にして、本当は1時間半分のところを2時間半も飲み続けてほぼ最後の客となった。
香川の酒蔵の「金陵」と小豆島の「森」を熱燗で何杯も飲んだ。
 
風呂にまた大浴場に行って、「IPPONグランプリ」を見る。
バカリズムは決勝に進めず。いつのまにか大悟が優勝していた。
終わってもう一度風呂へ。誰もいない。貸切の露天風呂に入る。
島のほとんどで明かりが消えていて真っ暗な海に囲まれている。
昼に立ち寄ったセブンイレブン青森県田子町のホップを使った缶ビールが。
尾崎放哉の句集を少し読んで寝た。

小豆島へ その1

JALマイレージがたまって「どこかにマイル」を利用してみたら
高松、徳島、帯広、旭川の4つの候補が出てきて、その中から高松に決まった。
残りのマイレージJALクーポンに変えて使える宿泊施設を探してみたら
小豆島のリゾートホテルが出てきた。
じゃあせっかくだからフェリーで渡ってそこに泊まってみようということになった。
会社は休めず、土日だけの1泊2日。
高松空港着が11:00で、翌日高松空港発が11:50とほぼ24時間の弾丸ツアー。
 
6時起き。外はまだ暗い。7時半、家を出る。大江戸線はほとんど寝て過ごす。
大門からモノレールに乗る。
通路を挟んで妻と分かれて座ったら妻は相席になった老夫婦と話が弾んだ。
これから八重山諸島をめぐるというが、旅慣れた二人はスーツケースひとつだけだった。
 
保安検査場にギリギリに到着。
リュックサックをX線に通すと、気になるものがあったようでやり直すことになった。
キーホルダー入ってますか? と聞かれて、取り出してもう一度。
見せてくださいと言うので渡すと、小さなナイフや爪とぎなどをコンパクトに折り畳んだもの。
刃物に該当するので機内に持ち込めないという。
ここで破棄するか、航空会社に預けて帰りに受け取るか。
手続きする時間もなく、泣く泣く諦めて破棄することにする。
今年の初め、グアムに行ったときに自分に買った唯一のお土産だったのだが……
こんなんで素人に人が殺せるはずもなかろうに。
 
出ると妻が電話で誰かと話している。
レンタカー会社からで、重複して予約が入っているという。片方をキャンセルする。
最初、比較サイトの rentalcars.com で予約してみたんだけど確認メールが届かなくて、
これはうまくいかなかったんだろうと「じゃらん」で取り直してみた。
そしたら rentalcars.com の予約が生きていて……、という。
ドライバーである妻の方にメールが届いていた。
えー!? 申込者とドライバーが違うなら両方メールを送ってほしいんだけど。
どこかに小さく書いてたのだろうか。海外のサイトはわかりにくい。
取り消すなら rentalcars.com の方にしたいんだけど、
レンタカー会社から予約を取り消すことはできず、直接 rentalcars.com に電話するしかないのだという。
今飛行機に乗るという時にそんな余裕もなく……
rentalcars.com の保証料がレンタカー代金そのものよりも高かったのでほんとはかなりいや。
こういうとき、今後は海外のサイトを使うのはやめよう。
それにしても、rentalcars.com もじゃらんも同じレンタカー会社に申込しといてよかった。
きまぐれに別々にしていたら当日キャンセルで料金を払うことになった。
今回はレンタカー会社が気を利かせてじゃらんのほうを無料で取り消してくれた。
 
飛行機に乗る。1時間少々で到着。速い。
この日は天気がよくて下界がはっきり見える。
千葉の工業地帯を抜けて、静岡の山の中へ。
山頂に雪を抱いた富士山も真下にくっきり見えた。
名古屋を過ぎて長良川木曽川、やがて琵琶湖が見えてきた。
 
予定通り11時、高松空港に到着。
「徳之島子宝空港」とか「おいしい山形空港」とか「徳島阿波おどり空港」とか
最近の地方の空港はアピールポイントを空港名につけていることが多いので
ここも「高松讃岐うどん空港」かと思いきやそんなことはなく。
でも滑走路の脇の植え込みに大きく「さ」「ぬ」「き」の文字が描かれていた。
 
朝から何も食べてなかったのでさっそく讃岐うどんの店に入る。
空港には2つみたいで、そのうちの1階の方。
鳴門のわかめを使ったうどんと迷って、
牛肉と玉子の入ったかけうどんに野菜のかき揚げを追加。
さすがさぬきうどんだけあってトッピングが豊富。
他には半熟玉子天やアジフライなど。
きつねが専用の鍋に入っていておいしそうだったな。
 
レンタカー会社のカウンターへ。
マイクロバスに乗って空港を出て支店で手続きをする。
フェリー乗り場へと向かう。
よくできたもので空港まで鉄道は通ってないものの
高松駅、その近くのフェリー乗り場まで途中曲がらず、まっすぐ一本道なんですね。
とてもわかりやすい。
栗林公園を過ぎて高松市街の中心部に入る。
アーケードの商店街にチラホラ歩いている人が見えたものの他はほとんど人通りがなく……
スカスカでなんだか活気のない町のように思えた。
昼時だったのでアチコチで見かけるうどん屋の駐車場だけは賑わっていた。
 
フェリーは13時半のを予約していて、とりあえずフェリー乗り場へと車で入ろうとしたら
1本早い 12:35 のに今から乗れるという。だったらとそうする。
あと10分もしないでフェリーが出る。
助手席を出て慌てて走って切符売り場に買いに行く。
往復の車と乗船代で1万3,600円だったか。
カードで払おうとしたら現金のみだという。
財布を開いたらちょうど1万4,000円。危ういところだった。
現金の持ち合わせがないとなったら結局元のに回されて1時間待つところだった。
 
車を停めてデッキに出た頃、フェリーが港を離れた。
快晴。どんどん港から遠ざかり、周りには瀬戸内海の小さな島々が過ぎてゆく。
赤に黄色に木々が紅葉している。
客室に入る。売店でホットコーヒーを頼むと作り置きせず、都度入れるのだという。
やはりうどんもメニューにあった。
両脇の窓際の席はどこも埋まっていて、間の長椅子のような席は割と空いている。
そのうちのひとつに横になって過ごした。

松屋、続き

昨晩は松屋の「オリジナルカレー」を食べようと職場の近く、家の近くと二軒回ってどちらも完売。
むむーと思いつつ、チゲ牛カルビ御膳を食べた。
家に帰って Twitter を見ていた妻が、
吉田戦車先生は諦めず3軒回ってようやくカレーにありついたと。
そう聞くと黙ってられない。
明日の朝ダメもとでもう一度職場の近く、飯田橋駅前の松屋に行ってみようと心に決める。
 
で、朝となって松屋に行ってみると普通にカレーが……
7時前。夜のうちに補充されたか。
今日は29日、「いいにくの日」なのでカレ牛にする。
朝にしては高カロリーだが、そんなことは言ってられない。
来週からのカレ牛は「創業カレー」となるのか。合うのだろうか。そんなことを思う。
 
朝のこの時間の松屋は何年ぶりだろう。
カウンターに並ぶサラリーマンや作業員たちがコートやジャンパーを着たまま黙々と食べている。
食べ終わって出ていく。入れ替わりにまた誰か食券を手に入ってくる。
新メニューの厚切りトンテキ定食のCMが流れる。3日の10時まではご飯大盛無料。
店内は雑然としていて、徹夜明けなのか店員も怠そう。
アメリカのダイナーってこんな感じなんだろうか。
それとなく見渡すと皆朝定食か牛めしでカレーを食べている人はいない。
常連たちはそれまで毎朝繰り返してきたように、いつものメニューを食べるのだろう。
 
カレ牛が運ばれてくる。
いろんな肉や野菜を煮込んだのだろう。黒っぽいルーのカレー。
今改めて味わってみるとルーの味よりもその溶け込んだ食材の味のことを思う。
創業カレーもいいが、オリジナルカレーもやはりうまかったな。
これまで長い間ありがとう。
やはりカレ牛は松屋史上最高の発明にして発見だったな、ということもまた心に刻んだ。
 
松屋は「ごろごろチキンカレー」であるとか
過去の人気メニューが期間限定で復活することはよくあるので、
このオリジナルカレーも半年後ぐらいに突然再開するかもしれない。
オリジナルカレーと創業カレーの合いがけができたら最高だ。
キッチンスペースの関係でカレーの大なべをふたつも置くのは難しいかもしれないけど、
郊外の大型店とか、できないかな。そういうの。
 
大学に入ったばかりの頃、ある先輩が
メシはすた丼と松屋さえあればいい、野菜が食べたくなったら松屋に行くと語っていた。
あの先輩は元気だろうか。
そんなことを思い出しながらカレ牛を食べた。

松屋オリジナルカレー販売終了

会社で何気なく yahoo を見ていたら
松屋がオリジナルカレーの販売を終了するというニュースが。
公式アカウントが先だって自らリークしたというもの。
え!? と驚いてその後またあちこち見てみたら
オリジナルカレーは1日でなくなるものの、
その代わりに創業時のカレーが復活して3日より販売開始されるようだ。
 
この創業時のカレーというのは恐らく、
僕が90年代前半に上京した時に食べたあのカレーではないか。
肉と野菜がホロホロになるまで煮込まれた。
今のカレーに変わったときとても残念に思った。復活は嬉しい。
 
でもその今のカレーがなくなるというならば
食べたくなるのが人情というものであって。
いてもたってもいられなくなる。
妻に夜は外で食べると連絡して、仕事帰りに飯田橋駅前の松屋へ。
もしかして行列になってるのでは? と思いきやそんなことはなく。
しかし券売機でいくら探してもカレーが見当たらない。
定食? 丼? サイドメニュー?
後ろに人が並んだので諦めて外に出る。
そこに店員が紙をもってやってくる。カレー完売の貼り紙だった。
チクショウ、やられた……
 
家の近くの松屋ならあるんじゃないかと思った。
埼玉と東京の境目。まさか、ねえ。
妻も早く帰るというので駅で待ち合わせして、車に乗って松屋へ。
県境を超えて和光市に入る。
駐車場にはほどよく車が停まっていて、はやる気持ちを押さえながら建物へと向かう。
え? ええ!?
ああ……、この店のドアにも完売の貼り紙が……
ネットで見かけた全国の人たちがこぞって松屋へと押しかけたのだろうか。
 
普通にチゲ牛カルビ御膳を食べて帰ってきた。
いや、おいしかったけど……
でも……
 
明日も挑戦だ。

ヴァージンレコード、ヴァージンメガストア

先週末からヴァージングループの創設者、リチャード・ブランソンの伝記を読んでいる。
神保町の小宮山書店で時々やっている3冊500円のガレージセールで買った。
たぶん4・5年前で、先日初めて開いてみたらサイン入りだった。
日本に来た時にサイン会があったのだろうか。
 
1960年代後半、学生向けの雑誌『スチューデント』を在学中に仲間たちと創刊したのが
起業家としての第一歩。
1970年代初めには『ヴァージン』の名をつけた若者向けレコードショップをオープン、
やがてレコードレーベルへ。
後に『エクソシスト』で使われて有名になった
Mike Oldfield『Tubular Bells』の特大ヒットで大金を手にするもその次のヒットがなかなか出ない。
Tangerine Dream の諸作もファンの間では人気ではあるが、広く売れるものではない。
1977年、EMI や A&M といった大手がいったん契約するものの
そのスキャンダラスな言動で放り出された Sex Pistols を獲得、
鳴り物入りで『Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistls』が発表されるが、
ヴァージンが金を稼ぐ前にバンドは空中分解。
1980年代に入って時代はポスト・パンクニューウェーヴということで
XTC や Magazeine と契約するも、サッチャー政権発足後の不景気で経営危機に。
……というところまで読んで 1/3 ぐらいか。
この後、Culture Club が登場したり、航空会社ヴァージン・アトランティックを立ち上げたり、
といった話に進んでいくのだろう。
 
僕が上京した頃には HMVタワレコと並ぶ大手CDショップとして
ヴァージン・メガストアがあちこちにあった。
新宿や池袋の店は広くて品ぞろえがよくて、かなり利用したなー。
21世紀に入ってCDが売れなくなって次々に店舗が消えていった。
2004年、モロッコを旅行した帰りにドバイを訪れたとき、
たまたま入ったショッピングモールにヴァージン・メガストアがあって、
そこの店員が熱心にあれこれテクノやハウスの新譜を薦めてくれた。
あのときは10枚ぐらい買ったんだったか。
Richie Hawtin とかだったかな。
 
そういえば。
僕が洋楽を聞き始めた80年代終り頃、
『ミュージック・ライフ』誌が40周年ということで
日本のレコード会社12社がそれぞれ洋楽の有名な曲を集めたコンピレーションを発表した。
EPIC SONY / CBS SONY / フォノグラム / RCA / A&M / 東芝EMI / ワーナー・パイオニアなど。
そのうち半分ぐらいをレンタルから借りることができたかな。
テープにダビングしてよく聞いた。
そうだ、これが僕にとって洋楽の入り口のひとつになった。
この中でもヴァージンのは出色の出来だった。
トラックリストを書き写すと……
 
01. Mike Oldfield「Tubular Bells」
02. XTC「Making Plans For Nigel」
03. Orchstral Manoeuvres In The Dark「Enola Gay」
04. Japan「Gentlemen Take Polaroids」
05. Culture Club「Do You Really Want To Hurt Me ?」
06. 坂本龍一 & David Sylvian「Forbidden Colours」
07. UB40「Red Red Wine」
08. David Sylvian「Red Guitar」
09. Julian Lennon「Calotte」
10. Scritti Politti「Absolute」
11. Cutting Crew「(I Just) Died In Your Arms」
12. Belinda Carlisle「Heaven Is A Place On Earth
 
ヴァージンはいろんなコンピを出してるけど、
これ以上のはないんじゃないかと今でも思う。
日本の洋楽雑誌が主体となって選んでいるので
日本人好みの選曲というのもひとつポイントとしてあるんだな。