先週買ったCD #19:2021/02/15-2021/02/21

2021/02/17: diskunion.net
Warpaint 「Heads Up」 \854
Ash 「A-Z Vol.2」 \465
Astor Piazzolla 「Live In Tokyo 1982」 \1892
Anatoly Vedernikov 「Scriabin & Prokofiev」 \854
Kirkby / Hogwood 「Mozart Requiem」 \659
Jello Biafra & The Melvins 「Never Breathe What You Can't See」 \854
 
2021/02/18: diskunion.net
ゆらゆら帝国 「美しい」 \680
 
2021/02/18: ヤフオク
裸のラリーズ 「Laid Down 76 Again」 \2000
裸のラリーズ 「Cable Hogue Soundtrack」 \4000
 
2021/02/18: www.amazon.co.jp
Pixies 「Trompe Le Modne」 \3322
 
2021/02/20: TowerRecords 新宿店
(V.A.) 「ムーミン・ヴォイセズ ~スウェーデン語版」 \990
タワレコの70%OFFのワゴンセールにて
 
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Pixies 「Trompe Le Monde」
 
ふと、Pixies が聞きたくなった。
1作目「Surfer Rosa」や2作目「Doolittle」は数年前に
アニヴァーサリー・エディション的な3枚組が発売されたが、
そういえば、3作目「Bossanova」や
4作目「Trompe Le Monde」はどうなんだろう? と思う。
2004年に紙ジャケットで再発されたものの
このときはリマスター盤ではなかった。
 
探してみると『Mobile Fidelity Sound Lab』から4作品とも出ていた。
アメリカ西海岸で設立された再発専門のレーベル。1977年に遡る老舗。
高音質のアナログレコードかSACDで提供。
ジャケットの上側欄外に必ず「ORIGINAL MASTER RECORDING」と記す。
オリジナルのマスターを忠実に再現するのが身上となる。
 
僕が最初に買ったのは昨年の4月、
Cowboy Junkies 「Whites Off Earth Now !!」
で、やはりリマスター盤を探していた時。他には出てなかったんですね。
amazon にもなく、ヤフオクで9,000円となった。他、そのすぐ後に
Bill Withers 「Live At Carnegie Hall」 3,795円
どちらも発売されたばかりの新品で。限定盤、ナンバリング入り。
どれぐらいの量が流通するのか。
Vanilla Fudge は2,000枚限定と書いてあった。
残り2つも恐らくそれぐらいなのだろう。
 
もちろん、音は想像以上のものだった。
ここまで彫の深く、鮮明で、温かい音となるとは。
もっぱら iPhone + AirPods で聞く僕であっても
目の前で演奏しているかのようだった。
これがロックだと、しみじみした気持ちになった。
 
ロック、ソウル、ジャズ、ジャンルを問わず大御所たちの作品の多くが
ここから再発されている。先ほどざっと見てみたら、
もっと時代を下ったものだとこういった辺りが。
Guns N' Roses / The Cars / Beck / Faith No More / Weezer / Run DMC ......
 
「Trompe Le Monde」は解散、再結成前ではラストアルバムに当たる。
1991年の作品で、当時僕はリアルタイムに買って聞いた。
冒頭の表題曲 ”Trompe Le Monde” から "Planet of Sound" への
ぶちぎれた疾走感が素晴らしく、
”Alec Eiffel” ”The Sad Punk” と重心は低いのに高速なナンバーが繋いで、
畳みかけるように The Jesus &Mary Chain の ”Head On”のカバー。
あまりの爽快さに何度も何度も繰り返し聞いた。
当時の Rckin'on ではヴォーカル・ギターのブラック・フランシスはその体躯ゆえに
確か ”疾走するデブ” と紹介されていたように思う。
 
残念ながら当時の国内盤は若干音が薄っぺらく、
リマスター盤が出ないかとずっと思っていた。
先日、Mobile Fidelity から出ていることを知って
HMV のサイトでダメもとでオーダーしたら9,000円近く。
でもしょうがない、これはその価値があると思うことにした。
あ、そうだ、amazon で最初 Mobile Fidelity 盤が見つけられなかったんだよな、
もう一度ちゃんと探してみようと検索のキーワードを工夫したら、ヒットした。
しかもなぜか新品で。3,300円ぐらい。もちろんこれは買い。
 
Dinosaur Jr. などと並んで、グランジの源流のひとつ。
解散後、21世紀に入ってから再結成。
僕は見ることができなかったが、フジロックにも出ている。
NirvanaSmells Like Teen Spirit” は Pixies のような曲を書きたくて書いた、
という話を聞いたことがある。尾ひれのついた噂なのかもしれないが。
 
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Anatoly Vedernikov 「Scriabin & Prokofiev」
 
時々思い立ってまとめて買ったりで、年に10枚はクラシックのCDを買う。
たぶん200枚ぐらいにはなったか。
それでもいまだに、クラシックをどこから聞いたらいいのか、
どこを入り口にしてどう進んでいったらいいのかよくわからずにいる。
そのCDのアーティスト名が作曲者だったり演奏者だったり指揮者だったりするのが
まちまちで違和感あったりして。気にしなくてもいいんでしょうけど。
アカデミックに歴史と評価が記述されていることへの気おくれもあるのだろう。
ロックの歴史はたかだか数十年。クラシックは300年以上となる。
中高生の時に膨大な時間と熱量をもってしてロックに詳しくなった。
あれと同じことを中年になった今、クラシックに対して行うというのは無理。
 
小さい頃 ”展覧会の絵”に心惹かれ、
大人になってからは作曲家のバルトークに興味を持つ。
フルトヴェングラーの指揮が聞いてみたくなったり、
ピアニストのグレン・グールドが話題になると映画を見に行ったり。
去年は中世の音楽ってどうなんだろう? と中古を探してみた。
その時々でつまみ食いして、知識が虫食いのまま。
まだ全然入り口に立てた気がしない。方向性が定まらない。
お世話になった叔母はモーツァルトが好きで、
マチュアの研究家の集まりにも顔を出していたようだ。
そういう確固たる核が、見いだせない。
 
それでも少しずつ見えてきたのは、自分はピアニストの独奏が好きなんだなと。
べたですが、まずはマルタ・アルゲリッチから。
廉価版8枚組の全集をソロ、室内楽、オーケストラと買ってみた。
モーツァルトを聞きたくなった時にピアノ演奏の第一人者と知って
リリー・クラウスの弾くソナタを集めてみた。
DiskUnion のクラシック館の壁に飾られていたジャケットの美しさから、
クレール=マリ・ル・ゲを集めたこともあった。
 
そんなある日、床屋のラジオでロシアの作曲家、スクリャービン前奏曲を聞く。
4年前の今頃だった。土曜の朝に切ってもらうこと多いので
恐らく、NHKの『世界の快適音楽セレクション』だったと思う。
ゴンチチがナビゲートの。
なまめかしく官能的なのに肉体的ではなく、精神的な。
心の闇もどこか感じさせるような。
誰が演奏していたのかは聞きそびれた。ロシアのピアニストだった。
(もしかしたらヴラディーミル・ソフロニツキーだったのかもしれないと今は思う)
 
これはもっと聞きたいと帰りの丸の内線の中で検索しているうちに
アナトリー・ヴェデルニコフの名前を知り、新宿の DiskUnion に寄って探した。
すぐには見つからず、実際に聞くことができたのは数週間後か。
1960年代、70年代に多く録音を残す。冷戦時代、旧ソ連のピアニスト。
その気品ある姿勢の良さ。演奏の豊かさと簡潔さがひとつの音に宿る。
それでいてロシアの冬の枯れた寂しさも感じさせる。
僕が求めていたピアニストはこれだ、と直感した。
 
コロンビアから出ていた『ロシア・ピアニズム名盤選』というシリーズで
ベートーヴェンドビュッシーを弾くヴェデルニコフを聞くことができると
それから一年ぐらい、熱心に新宿やお茶の水の DiskUnion のクラシック館を回った。
シリーズの中のゲンリヒ・ネイガウス、スタニスラフ・ネイガウス、マリヤ・グリンベルク、
ヴラディーミル・ソフロニツキーも聞いてみた。
 
その後も少しずつ、見つけるたびに買い集めてきた。
今回入手したのは、ようやくのスクリャービン
でもソナタであって、前奏曲ではない。
あの日聞いたものとは違うけど、
自国の作曲家と向かい合うピアニストの演奏はすとんと腑に落ちるものがある。
自然な呼吸が感じ取れるというか。
 
僕にもクラシックに向かうにあたっての核ができてきたように思うが、
では次どこへ、というのは以前としてわからず。
1,000枚ぐらい買って聞いてみて初めてわかるのか。
 
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Astor Piazzolla 「Live In Tokyo 1982」
 
特定の地域に根差して広まってきた音楽は、多くの場合、
ビギナーにとってはまずはこの人、このグループを聞け、もうそれだけでいい、
という水先案内人が存在する。
そしてその水先案内人はその後どれだけそのジャンルに詳しくなったとしても、
その人にとってずっと大事な精神的支柱であり続ける。
わかりやすい例は、レゲエのボブ・マーリー
 
もちろん、ボブ・マーリーが全てではなく、
Black Uhuru や Aswad といった人気のグループを好きになってもいいし、
Trojan や Studio One といったレーベルに目を向けてもいい。
Adrian Sherwood の英国産ニューウェーヴダブもあるし、
日本の Mute BeatLittle Tempo を聞いてもいい。
でも最後はやはり、ボブ・マーリーに戻ってくる。
 
同じように、タンゴだとアストル・ピアソラ
群を抜いて巨人過ぎる。後続への影響もいまだ大きい。
僕もその後、一世代下のフアン・ホセ・モサリーニやロドルフォ・メドロス、
最近の若い世代のディエゴ・スキッシなど
様々に興味を広げて聞いてきたが、やはりこの人にはかなわない。
作曲者として、バンドネオン奏者として、楽団のリーダーとして、
タンゴの現代化を一代で成し遂げた。
 
1921年に生まれる。幼少期こそアルゼンチンで過ごすが、
その後10代半ばまでニューヨークで過ごしたというのが大きいのかもしれない。
あるいはクラシックの作曲家を目指して若い頃パリに留学してブーランジェに師事するが
タンゴに向かい直したという経験が大きく関わっているのかもしれない。
アルゼンチンに戻ってきて自身の五重奏団や八重奏団で前衛的なタンゴを演奏。
最初のうちは難解だと敬遠されたがやがて海外を中心に圧倒的な支持を受けるようになる。
「ニューヨークのピアソラ」といった名演・名盤を数多く残し、
世界的な名声を得た後も自らの音楽を高め、深めることを貪欲に求め続けた。
1980年代、60歳を過ぎてからの、キップ・ハンラハン
(現代ニューヨークの知性派的ラテン音楽語り部とでもいうか)
プロデュースによる「Tango: Zero Hour」3部作で生涯何度目かのピークに再度達した。
1992年、71歳で亡くなる。
Wikipedia を見たら、前年にパリの自宅で脳溢血で倒れた時、
大統領専用機でアルゼンチンに運ばれた、とあった。
 
彼は言葉でタンゴを、自らの音楽を、語ることはほとんどない。
寡黙にして雄弁な演奏によってのみ語る。
その音楽は一言で言ってしまうと、現代音楽とタンゴの融合ということになるだろうか。
この世で最も緊張感の高い音楽。一瞬の緩みもないし、一音の無駄もない。
しかし、それは官能的でなまめかしい緊張感の持続であって。
そこに不安、恐れ、羨望、憧憬といった感情を乗せていく。
それはアルゼンチンの市井の人々の感情というよりも、
全人類普遍の感情といった方がいいだろう。
 
今回入手できたのは円熟期の1982年、渋谷公会堂でのステージを録音したもの。
恥ずかしながら僕は知らなかったのだが、藤沢嵐子という歌手の方をゲストに迎えて
聞けば誰もが知っているタンゴを代表する曲 ”ラ・クンパルシータ”や
ピアソラ作曲の代表曲のひとつ ”ロコのバラード” を歌っている。
他、五重奏団だけの演奏でも
ブエノスアイレスの冬” ”ブエノスアイレスの秋” ”天使のミロンガ” 
”AA印の悲しみ” ”アディオス・ノニーノ” などその長いキャリアを総括するような曲目。
19080年代前半から半ばにかけて、「Live in Wien」や「AA印の悲しみ」といった
ライヴアルバムの名作を残していて、どれも甲乙つけがたい。非の打ち所がない。
しかし日本人にとってはこのアルバムが決定版となるかな。
藤沢嵐子が母国語以外の言葉で歌うことによって、
ムードある日本語のモノローグを加えることによって、
日本人にとってのタンゴが何であったのかが重ね合わせられている。
 
僕が60歳、70歳になったとき、このアルバムはさらに輝きを増すだろう。
生涯聞き続けるべき名盤。
 
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ゆらゆら帝国 「美しい」
 
先日暇なときに2009年、解散間際のゆらゆら帝国のライヴDVDを見た。
日比谷野音
(なぜかたまたま、この頃見たライヴDVDのことごとくが日比谷野音
 Bo Gumbos の1995年の解散ライヴや、
 『Folk』の特典だったハンバートハンバート二人だけのもの。2015年)
 
ゆらゆら帝国については90年代後半のメジャーデビュー後、
1999年の「ミーのカー」辺りから Rockin'on JAPAN でも
大きく取り上げられるようになったと思う。
僕の所属していた映画サークルのロック好きがこぞって聞いていたように思う。
”人間やめときな”とか”ミーのカー”とか、
沈み込むような和風サイケデリックな音が耳から離れなかった。
その後のアルバムも全て買った。CDシングルもほとんど買っていた。
最終作の「空洞です」は Studio Voice のロック特集であるとか
いろんなところで高く評価されていた。
一時期聞き過ぎていた分、ここ10年ぐらいはご無沙汰だった。
 
改めてその演奏を映像で見て、やはり彼らは唯一無二のかっこよさだったなと。
MCなし、3人で演奏するだけ。
(僕がフジロックで見たときはヴォーカルの坂本慎太郎
 ギターを弾く合間にボディビルのポーズを冗談でキメていたが)
淡々と沈むような曲を刻んでいたかと思えば
急にドライヴがかかってギターノイズが天の川のように降り注いだりと変幻自在。
マジカルな瞬間ばかり。
 
見ていて思ったのは、
実は日本のアンダーグラウンドなロックの歴史、
その最良の部分を集めたのがゆらゆら帝国なんじゃないかと。
四畳半フォーク、総天然色のグループサウンズから暴力的なカオスまで。
3ピースのパンクと70年代のスペイシーな実験音楽が共存する。
バンド後期のリミックス音源を集めた「REMIX 2005-2008」は
外部のDJに託すのではなく坂本慎太郎自身が行っている。
聞くと、テクノやダブの素養があることもわかる。
 
flower travellin band も沢田研二ボアダムズも。
小山田圭吾もジャックスもかぐや姫も。
「過去」の日本ロックは皆ここにある。
それが無愛想でひと気のないぐにゃぐにゃした天国を形作る。
 
MIDI 時代のベストアルバムや
ライヴアルバム「な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い」
「空洞です」のひとつ前のアルバム「Sweet Spot」など。
iPhone に入れてどっぷり聞き直そうと昔買ったCDを取り出してみたら
メジャー後の彼らが出した音源のうち、
ラストシングルの「美しい」を持っていなかったことに気づく。
「冷たいギフト」「つぎの夜へ」といったシングルは持っていたのに。
これが4曲入りでアルバムとは別バージョンが2曲、アルバム未収録が2曲。
買いだな、と。
 
ベースとドラムがシンプルな、これ以上そぎ落とせないような簡潔なリズムを繰り返し、
ギターもまたありふれたリフレインを繰り返す。
以前はその反復のずれから生まれるどろっとしたものを描いていた。
それが「反復です」ではずれを生み出さず、
繰り返すたびに同じだけの余白を塗り重ねていった。
それまでの到達点として辿り着いたのは、
何の変哲もないありふれたロックナンバーだった。
なのにそこには空洞がある。空洞を感じさせる構造がある。
それは曲自身の構造でもあるし、
ロック史におけるゆらゆら帝国の位置づけという構造でもある。
 
”美しい” ”なんとなく夢を”はシングルバージョンだけあってさらに軽くなっている。
より純度を増した、より淡々と単純になった、きらきらとしたポップソング。
(”美しい”の歌詞はかなりなところ、なんですが。
 漫画家天久聖一の手掛けたアニメのPVは人によってはトラウマになりそうな)
その分、何年もかかって中毒死させるような毒性の高まりがある。
 
普通になれば普通になるほど、普通ではなくなっていく。
映画であれ、文学であれ、そういう表現者こそ本物だと思う。
日本のロックではそれがゆらゆら帝国ということになる。
イエモンなんかもそうだな。

身辺雑記:02/15-02/21

02/15(月)
 
みみたに起こされたりでよく眠れず。
7時起き。朝から雨。
低気圧の通過で妻は頭が痛いという。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。
グレートトラバース3
瓶缶ペットボトルを出す。
左脇の下がまだシクシクと痛む。
これが後遺症の神経症なのか。
 
午前中はモビリティの件の打ち合わせ。
昼、昨晩の手羽中・大根の煮物の残りを温める。
残った煮汁をご飯にかけて食べる。
午後は以前のPJの打ち合わせ。
 
夕方になってようやく雨が上がる。雲一つない空へ。
定時で終えて、ロック画報:ラリーズの残りを読むなど。
左脇の下が痒くなってベビーパウダーをはたく。
治りかけは痒くなるもの。
 
夜はホワイトソースのボンゴレを作る。
酒場放浪記。
逆転人生はワンマン経営に失敗、サイゼリアでバイトしたオーナーシェフ
町中華で飲ろうぜは再放送。
月曜から夜ふかしを少しだけ見て寝る。
 
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02/16(火)
 
7時起き。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー、グレートトラバース3
燃えるゴミの日。
8時から事業部のワーキンググループの打ち合わせ。
無事終わって、この日の重要な仕事が終わり。
後は雑用。
 
快晴。2階だと暑いぐらい。
昼はうまかっちゃんを茹でる。
小説の手直し。
妻が郵便局へ。書き損じの年賀ハガキを切手に交換。
窓口に持っていったら緊急事態宣言後にしてほしいと貼り紙があったと。
ライフに買い物。
富里市からスイカマラソン中止のハガキが届く。
 
サラメシからTOKYO SLOW NEWSへ。
夜は山安のイカの一夜干しと鮭トバを焼く。
野菜サラダ。大根おろししらす
舞茸を焼くが、バター塩を振りすぎてしまった。
猫歩きはかまくらの再放送。
ぼっちキャンプの再放送を見て寝る。
 
佐藤正午『月の満ち欠け』を読み始める。
傑作の予感。意外に、青森が重要な舞台となりそうな展開。
 
おさんぽの取材のやりとり。
緊急事態宣言下でやるべきか、と。
 
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02/17(水)
 
7時起き。快晴。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー、グレートトラバース3
少しずつ、左脇の下の違和感が薄くなっているか。
 
午前中の打ち合わせが無くなる。
昼、蕎麦。
ライフに買い物。
午後から曇る。急に寒くなる。
夕方打ち合わせ。
定時後、毎週の勉強会。
 
TOKYO SLOW NEWSを聞く。
寒かったのでお風呂を沸かして入る。
夜は納豆ご飯、味噌汁、しらすおろし。
テレビは見ずに23時過ぎに寝る。
 
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01/18(木)
 
7時起き。この日も快晴。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー、グレートトラバース3
小説の手直し。
昼は冷凍ご飯を解凍してサバの味噌煮の缶詰をかける。
インスタントのわかめスープ。
やまやに買い物。
 
午後打ち合わせ。
テストケースの作業の続き。
仕事を終えて iPhone の曲の入れ替え。
鑑定団の再放送。
ユーカリが丘視察に出かけて見に行けなかった時のもの。
夜は妻がやよい軒で買ってきてくれるという。
牛・豚・鶏のスタミナ焼き。
コチュジャンのタレをかけて。おいしいですね。
お笑い演芸館。東京ホテイソン、瀧音、ゾフィーなど。
23時過ぎに寝る。
 
熊本に雪が降ったと聞く。
 
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01/19(金)
 
1時に起こされて、そこではカリカリを上げず。
4時にも起こされてそこでカリカリを。
すぐ戻ってきて、また? と思っていたら布団に入ってきた。
 
7時起き。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー、グレートトラバース3
いちごを食べる。
給料日。他口座への振り込み。
健康保険組合からポイントが余っているというメールが来て、
妻に欲しいものがあるか聞くと体温計となる。
一時全く入手できなかったが。
 
朝イチにエールの岩城さんが。吉原光夫。
レ・ミゼラブルの主演だったのか。
午前中、飯田橋のクリニックへ。11時から予約。
時間があったので飯田橋のアンテナショップに行ってみたら
ねぶた漬けのプレッツェルがあったので買ってみた。
でもよく見たらグリコのポッキーではなかった。
『愛すべきねぶたバカたち』というムックを見つけてそちらも購入。
ねぶた絵師のインタビューや過去の名作ねぶたについて。
 
薬を受け取って、総武線を一駅乗って水道橋のすた丼屋へ。
移転して神保町寄りになってたんだな。
「すたみな‘‘肉ざんまい”焼肉丼」を食べてみる。これ、なかなかいい。
妻からは昨晩、車で帰ってきた帰りに練馬駅の近くにすた丼屋を見かけたと。
調べてみたらテイクアウトの専門店が3/3オープンとあった。
 
ねぶた漬けプレッツェルのネタを放り込んだところ
妻の友人の青森出身の後輩ちゃんから「ひばの減水」というのがいいと。
入浴剤としても使うみたいなんだけど抗菌作用もあると。
帰りに飯田橋に寄ってペットボトル1本買って帰る。
1.8リットルのサイズしかなく、なかなか重かった。
 
午後の仕事は問い合わせで電話対応が2つ並行して
なんだかバタバタと忙しく。
その合間にテストケース一覧の第一弾を完成させる。
しかしこれは難解で誤解を招くな……、と週明け練り直すことにする。
 
妻からバレンタインデーのチョコの代わりに
軍艦島の写真集をもらう。
イオンで古本フェアをやっていて見つけたという。
 
妻が肉団子の甘酢あんかけをつくってくれる。
チコちゃん。新日本風土記は学生の町、神保町・お茶の水
ダウンタウンなうのつまみになる話。
アンタッチャブルの二人がそろって出ている。
おんな酒場放浪記が出ているうちに寝落ち。
気が付いたらナスDの番組だった。
 
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02/20(土)
 
7時起きで荻窪の床屋へ。
朝一で切ってもらって、新宿。
この日は午後神保町でおさんぽの取材。
時間があったのでタワレコに行ったら70%OFFのワゴンセール。
ムーミン用にトーベ・ヤンソンが作曲した曲を
スウェーデンのジャズミュージシャンが録音したアルバムというのを見つけて買う。
ポストカードが3枚付いていていた。
 
神保町に移動して昼を食べる店を探す。
キッチン南海もはちまきも丸香もさぼうる2も行列。
バンビにする。以前は猿楽町の方にあったのが移転してきたという。
妻と落ち合って僕はカツカレー、妻はバターチキンカレーの甘口。
 
待ち合わせの時間まで時間があると小宮山書店の
3冊500円のガレージセールを覗いてみたら結局9冊買ってしまった。
大型本もあって重いのを抱えて取材先へ。
終わって妻は米伯餅本舗のいちご大福を買う。
甲子屋酒店で焼酎と日本酒も。
僕はもう一冊別な店でアンディ・ウォーホル展の図録を買う。
さらに重くなった……
 
帰ってきてイタリアの再訪編。
演芸グランドスラムマヂカルラブリー、ロバート、 NON STYLE まで見た。
夜は妻が用意を。キャベツと菜花のお好み焼き、じゃがバターとベーコンなど。
19時半より熊本県の酒イベント、今月の分に参加。
酔いどれ編集長倉嶋喜和子、相当出来上がっていた。
途中、早い者勝ちのクイズに答えるとお酒がもらえる。
絶対これがキーワードだろうとコメント欄に書いてスタンバイしていたら
いや、やっぱこっちじゃないかと別なものにする。
そしたら最初に書いた方になった。しまった……
終わって演芸グランドスラムに戻る。
ナイツや和牛。爆笑問題太田がピンで登場。
最後の東京03が一番面白かっただろうか。
 
お笑い向上委員会。蛙亭の中野、恋愛の伝道師。かっこよかった。
世田谷ベース。
米米CLUBKOMEGUNY』の特典DVDを見る。
この頃の米米はほんとよかったなあ。
2軒目どうする? を見て寝る。
密を避けるため、倉嶋編集長は別撮り。
 
---
02/21(日)
 
8時半起き。
縄跳び、クッション腹筋、コーヒー。快晴。
おさんぽ神保町の原稿を書く。
一時間ほどで出来上がった。
街録の再放送、イタリアの再放送、Lazy Sunday
 
昼、菜の花・ベーコン・じゃこのペペロンチーノ。
ライフに買い物。
新聞のクロスワードパズル。
Lazy Sunday はジョージさんの誕生日で
マヤさんが年に一度の料理を。
終わって、CDの解説を読んで過ごす。
 
妻は庭仕事。近所の方から畑でとれた野菜をいただく。
そういう日に限って妻は昼、農協の直売所に野菜を買いに行っている。
頂いた菜の花などで妻がナムルを作る。
 
孤独のグルメは砂町の商店街で総菜を買って食べる。
ハムカツを買った飲み屋でジョッキを傾けていたのは吉田類
そんなコラボがあるなんて。
 
昼にライフで買った刺身の端切れで漬け丼。
妻が大河を見るので横で見る。
モヤさまは渋谷。
シンパイ賞。突っ込まれ過ぎてこがけんが悲惨なことになっていた。
蛙亭中野のアドリブ力のすごさ。
昨晩の向上委員会といい、今年は蛙亭が来るな。
 
こころ旅のディレクターズカット、先週録画したのを一本見る。
福島県いわき市のへそ石。
先週金曜にアンテナショップで買ったねぶたムックを読む。
後半、ねぶた師たちのインタビュー。
BRUTUS の音楽とバーの特集を見て寝る。

神保町さくら通り・靖国通り

昨日、『おさんぽ神保町』の取材。
靖国通りから一本入ったさくら通りを歩いた。
 
白山通りはよく店が入れ替わるけど、
さくら通りはそこまで替わらないかな、でも最近ギャラリーが増えましたねと。
古書店街の鄙びた街並みの中にシックなギャラリーが溶け込んでいる。
 
看板建築の、古くからの建物が取り壊されてこういったギャラリーになる。
それは僕ら部外者にとっては残念なことだけど、
持ち主からすれば借り手がつかないまま放置するわけにもいかないし、
という話に。
 
どの店だったか、靖国通りに面した古本屋なんだけど
一部を改装してガラス張りのギャラリーにしたところもあった。
こちらは絵画ではなくてあくまで古書を。
中原中也『山羊の歌』の恐らく初版が飾られていた。
 
店を閉めているところなのか、
それともこれから始めるところなのか、
暗くなった店内に什器と書籍が山積みとなった店もあった。
あれ、ここのショーウィンドウは版元じゃなかったっけ?
何もなくなってしまった、というところもあった。
 
聞くと昨年4月・5月の緊急事態宣言の際、
どの古書店も閉めていたけど、することがなかったわけではなくて
ネット販売でそれなりに忙しかったのだという。
高齢者の方は店に来ることができないし。
メールで仮注文を受けると、在庫を探して送料などを添えて返信、
本注文のメールを受け取ってクレジット決済が確認できると発送する。
昨年は全国的に古書のネット販売の売り上げが増えた。
 
古書店はこのようにネットを通して専門的な商品を売ることができるけど、
新刊本を売る店はそれができないから辛いと。
始めたところで amazon に太刀打ちできるわけではないし。
なるほどなあ。
 
昨日僕は結局10冊の古本を買っていた。
少しは何かに貢献できているならばよいのだが。

神保町で爆買いを

コロナ禍の影響もあり、一年ぶりに『おさんぽ神保町』の取材。
朝一で荻窪の床屋に行ったのち、新宿のタワレコでワゴンセールをぶらぶらして
昼過ぎに神保町へ。
昨晩のNHK-BS『新日本風土記』の舞台が学生街としての神保町・お茶の水界隈で、
取り上げられていたことも関係するのか、「さぼうる2」が行列。
キッチン南海」も「はちまき」もちょっとした行列。
「二郎」なんて行列が長すぎて、通りを渡って折り返して
どこが終わりなのか、何時間待つのかよくわからない状態。
緊急事態宣言下でも人のでは減らなかった、というのがよくわかった。
 
妻と落ち合って「JANIS2」近くの「バンビ」というカレー屋へ。
僕はカツカレー、妻はバターチキンカレーの辛口。
これはうまいですね。つまもおいしい、また来たいと。
夜の居酒屋メニューもほどよいラインナップ。
名前に見覚えあってもしかして以前は猿楽町の方の?
と思って店員の方に聞いたらまさにそうで、昨年移転してきたという。
 
取材の待ち合わせまで時間があって、三省堂に入る。
今日は本は買わないと決めていたはずなのに
BRUTUS』の特集「世の中が変わるときに読む本。」というのと
『歩く地図 東京近郊散歩 2021-2022』というのを買ってしまった。
BRUTUS』は最新の「音楽と酒。」を買ったばかりでまだ開けてもいなかったのに。
『歩く地図』は砧公園・岡本、上野毛二子玉川等々力渓谷
豪徳寺松陰神社国分寺(おたかの道の辺りなど)と
結婚後妻と歩いてきたところが多く取り上げられていて、あ、これいいねと。
 
まだ30分あるねと小宮山書店のガレージセールに行ったのが運の尽き。
3冊500円でいつも買い込んでしまう。
3冊も欲しいの見つけるの大変だよな、なんて最初の内は言ってたのに、
気が付いたらあれもこれもで9冊……
それでも1,500円というのは安すぎ。
 
宮脇俊三『旅の終わりは個室寝台車』
中山可穂サイゴン・タンゴ・レッスン』
ばばこういちばばこういちinterview10 華麗なる仮面の人々』
近藤唯之『プロ野球俺の必殺技』
清水義範『映画で僕が勉強したこと』
村上龍『フィジカル・インテンシティ ‘97-‘98 season』
サントリークォータリー傑作選 酒場のショートショート
『FILM - PHOTOS WIE NOCH NIE』
トム・ヒンプ『世界のインパクト・キャンペーン アイデア溢れるブランド・コミュニケーション成功例』
 
最後の2冊が大型本。
『FILM』はよくわからず。1978年、ドイツで出版された本。
アメリカのモノクロ映画、もしかしてサイレント映画
の場面場面を切り取ってコラージュしたもののようだ。
パラパラめくってみるが、知っている映画は一つもなし。
 
近藤唯之という方の名前は、
以前読んだ秀逸な野球エッセイ
『止めたバットでツーボール』で取り上げられていて、覚えていた。
 
『酒場のショートショート』はサントリー広告部全盛時代に思いを馳せたく。
眉村卓赤川次郎古井由吉星新一といった名前が。
サントリーなので最後はもちろん山口瞳ショートショート論を書いている。
 
ばばこういちという方の名前は知ってたような知らなかったような。
奥付を見ると文化放送のアナウンサーだったようだ。
なかにし礼加藤登紀子堤清二、日野皓正、黒川紀章といった方たちに
行ったインテビューを集めたもの。
 
さらにもう一か所、別な美術系古本屋で
アンディ・ウォーホル展の図録、1,100円を買ってしまった。
これも大きくて重たくて帰りの地下鉄が大変であった。
まあ仕方がない。
 
ブックハウスカフェで取材。
終えて、甲子屋酒店へ。妻が買ってくれる。
鹿児島の黒麹麦焼酎「黒さそり」は
その名の通り、ラベルに黒さそりが描かれている。
もう一本新潟の酒蔵「今代司」の極辛口純米酒のブラック。
こちらは店主のおすすめの酒蔵だった。
豊盃は限定品があるし、加茂鶴はひやおろしが。
やっぱここの品ぞろえはすごいな。
 
最後にもう一押し。
先月東京進出したばかりの、
熊本の米白餅本舗のいちご大福を買って帰った。
 
さて、どの本から読むとするか……

些細なことですが

先週、ふとしたことから iPhone から PC に取り込んだ写真を見ようとしてギョッとする。
これまで、取り込むと”ピクチャ”フォルダに
撮影日ごとのフォルダが自動作成されてそこに写真ファイルが格納されていたのが、
12/19頃から日付フォルダが作成されずに
”ピクチャ”フォルダの直下にそのまま格納されていた。
 
これまでデジカメで撮影してきた
10年分の写真を日付ごとのフォルダに格納していたので、
それをそのままにしておくのがなんとも気持ち悪い。
土曜にわざわざ手動で1日ずつ日付フォルダを作成して
何百枚もの写真をせっせと移していった。
 
不具合なのだろうか。
それともなんらかの誤操作で設定が変わってしまったのか。
その後 Windows の設定 > デバイス の辺りを見直してみるが、
特に日付フォルダに関する項目はなし。
Windows > デバイス > 自動設定
にて、iPhone を接続する際に都度確認したら
フォルダの指定ができないかと試すも、ダメだった。
状況は変わらず。
 
ネットで同じ状況に困っている人がいないか検索してみたら、
なんと Windows の仕様変更でそうなったとのこと……
Windows のフォーラムに問い合わせが寄せられていた。
 
そういえばその頃、Windows のアップデートをしたような。
改善要望のフィードバックを挙げるべきという結論となっていたが、
直近の解決方法はなし。
いいのか、それで。
 
撮影日ごとのフォルダに格納するよりも、
”ピクチャ”フォルダの直下ないしは指定したフォルダに
ドサドサ格納され続ける方が好ましいというユーザーの方が世の中多いのだろうか?
少なくとも Microsoft の内部には。
Windows側で仮のフォルダに格納したのち、
自分で好きに作成したフォルダに移すから
日付ごとのフォルダに振り分けられた方がめんどくさい、ということなのか。
 
百歩譲ってそういうユーザーの声が多かったとしても、
普通、選択できるようにするんじゃないか。
それまでできていたことなのだから。
・”ピクチャ”フォルダの直下であれ指定したフォルダであれそこに格納する。
・それらのフォルダの配下に撮影日ごとのフォルダを作成して格納する。
 
たぶん僕は、同じ質問をしていた方たちは
圧倒的な少数派何だろうな。
とりあえず、microsoft にフィードバックの機能で意見を伝えてみたところ。

最近のみみた

夜中起こしにきてカリカリをせがむのは、
少しおとなしくなったとはいえ相変わらず。
 
最近のみみた、というよりも昔から、ですが。
そういえば猫ってなんでソファーの下に物を隠すんだろうか。
ボールを投げて遊んでいるといつのまにかチョイチョイとソファーの下に押し込んで、
あとは姿勢を低くしてじっと隙間を見つめている。
そのうちにボールが出てくるのを待っているのか。
 
最近だと小さな魚のぬいぐるみを入れてみたり。
猫はお気に入りのものを隠す習性があるのか。
調べてみる。オスだと狩りの本能で、みたいですね。
ねぐらにもっていくのだと。
でもみみたはソファーの下で丸くなるわけでもなく。
 
寝るのはその脇の、みみた用に買った小さな丸いベッド。
クッションをくりぬいたような。
昨年の冬は全く見向きもしなかったのに、
今年の冬はなぜかまたお気に入りになった。
とはいえここにボールなどの宝物を隠すことはない。
 
ふと思ったのは、みみたが熊本で野良猫だった小さい頃、
縁側の下で寝ていたのではないか。
妻の友人から譲り受けたんだけど、古い大きな家だった。
東京に連れ帰ってきたとき、1日ソファーの下に隠れていた。
似たような場所を探したんじゃないか。
今はもうもっさり大きくなってソファーの下に潜り込むことは無理。
でも今も、入りたいなあと思っているのかもしれない。
 
メスの場合だと、子猫に餌を運ぶ、やはり本能の行動とのこと。
あるいは子猫を運ぶときに首を咥える、あの動作なんじゃないかと。
なるほどなあ。
 
みみたはなんでもかんでも小さいものをソファーの下に隠すのではなく、
あくまでボールか、その代わりとなる時々のお気に入りのものだけ。
あれ? 消しゴムが見つからないとなったとき、
いちいちソファーの下を探さなくてよいのはよかった。

運命の二人

こういう設定を思いつく。
連作用のアイデア
 
地球から遠く離れたその星に住む人類にも男女の性別があった。
惹かれ合い、共に生きることを選んだ二人は
(つまるところ、地球で言うところの結婚をした二人は)
石を交換する。それは首から下げた袋に入っていて、
生まれ育ってから今その瞬間までその人と共にあった石だ。
 
石を交換した二人は、それが運命の二人、
定められた正しい組み合わせの二人ならば
やがてその姿が互いに似ていくようになる。
何十年もかけてゆっくりとそれは進んでいき、
あるとき身長・体重共に全く同じ姿となる。
(厳密に言うと、子育てを終えた最後のステージでは
 生殖器官の大きく異なっていたのも変化していく)
 
その二人は成就した、ということになる。
もはや悪いことはできない。
その時が来たならば親類縁者、近くに住む者たちを集めて
盛大に祝い事を行う。
 
その社会では鑑定人が重要な役割を担うことになるだろう。
例えば一年に一度写真を撮ったものを保管していて、
前回よりもさらに姿が似てきたということを判定する。
最後に、同一になったことを認める。
 
互いに激しく惹かれ合い、恋焦がれて一緒になっても
全く姿が変わらないままという二人もいる。
鑑定人が最初から三回連続で何も変わっていないと判定したならば
諦めてその二人は諦めないといけない。
石を元に戻す。
(諦めきれずに遠くの地へ二人きりで逃げるということもあるだろう。
 あるいは、整形手術を行うか。
 なんにしても見つかった場合は厳罰が下される)
 
運命の二人はやがて年老いて、片方が亡くなる時を迎える。
喪に服す時期が終わった時、自分がどちらであったのか忘れてしまっている。
共に生きることを選ぶ前の、一人でいた時代の自分とは大きく変わっている。
そこに戻ることはできない。
子供たちもパパ、ママという呼び方をやめて、もっと別な、
男女の性別に基づかない呼び方を選んでいるだろう。
 
(もっと言うと、互いに似るというよりも
 人類共通のひとつの容姿に向かうという方がよいか。
 いや、それはやりすぎか)